<data xmlns:xsi="http://www.w3.org/2001/XMLSchema-instance">
<row _id="1"><番号>k01</番号><読み句>いにしえに 都置かれし 柴籬宮</読み句><読み句_カナ>イニシエニ ミヤコオカレシ シバガキノミヤ</読み句_カナ><読み句頭文字>い</読み句頭文字><解説>丹比柴籬宮址は、18代反正天皇が5世紀前半、ミヤコを定めた皇居址で、現柴籬神社付近が中心地であろうと推測されている。宮は、柴で垣根をめぐらしていたので柴籬宮と名づけられたといわれる。五年余りのミヤコで、その間、国内は平和で五穀豊穣。天下は太平であったという。ミヤコ址の位置を推定させる大門、中門、極殿山、東宮などの地名が残っている。</解説><主な時代1>古墳</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.57181</緯度><経度>135.559785</経度><現在の地域名1>松原市上田</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007324</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>丹比柴籬宮</キーワード1><キーワード2>柴籬神社</キーワード2><キーワード3>広庭神社</キーワード3><キーワード4>神話・伝承</キーワード4><キーワード5>日本書紀</キーワード5><キーワード6>古事記</キーワード6><キーワード7>反正天皇</キーワード7><キーワード8>大和朝廷(大和政権)</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>反正山</キーワード10></row>
<row _id="2"><番号>k02</番号><読み句>ロマンあり 我堂八幡宮 力石</読み句><読み句_カナ>ロマンアリ ガドウハチマングウ チカライシ</読み句_カナ><読み句頭文字>ろ</読み句頭文字><解説>天美我堂にある我堂八幡宮は、厄除宮として知られ、誉田別命(応神天皇)を祭神としている。境内には、明治時代に地域の若者たちが力くらべした力石が6個残っている。「明治石」「金剛石」「八幡石」「龍王石」「力石」「力石」と刻まれており、民俗資料としても貴重である。</解説><主な時代1>明治</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.582839</緯度><経度>135.526236</経度><現在の地域名1>松原市天美我堂</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立天美西小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007404</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>我堂八幡宮</キーワード1><キーワード2>誉田別命</キーワード2><キーワード3>厄除宮</キーワード3><キーワード4>力石</キーワード4><キーワード5>民俗</キーワード5><キーワード6>天美我堂</キーワード6><キーワード7>応神天皇</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="3"><番号>k03</番号><読み句>はるかなり キリシタン灯籠 熱田神社</読み句><読み句_カナ>ハルカナリ キリシタントウロウ アツタジンジャ</読み句_カナ><読み句頭文字>は</読み句頭文字><解説>別所にある熱田神社は、日本武尊を祭神とする。境内には大木のクスが多数あり、鎮守の杜の雰囲気をただよわせている。正面の「熱田神社」の社号標石は、大阪の有名な漢学者の藤澤南岳が大正8年(1919)に書いたものである。鳥居を入った西側に、江戸時代のキリシタン灯籠が建っている。当時、江戸幕府によってキリスト教が禁止されていたが、ひそかに信者が灯籠に十字架を模したり、地蔵像に似せたマリア像を彫り、信仰したと思われる。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>大正</主な時代2><緯度>34.588912</緯度><経度>135.563808</経度><現在の地域名1>松原市別所</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立恵我小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007388</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>熱田神社</キーワード1><キーワード2>日本武尊</キーワード2><キーワード3>キリシタン灯籠</キーワード3><キーワード4>漢学</キーワード4><キーワード5>藤澤南岳</キーワード5><キーワード6>別所</キーワード6><キーワード7>教育</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="4"><番号>k04</番号><読み句>西除の 夜桜たのし 今池堤</読み句><読み句_カナ>ニシヨケノ ヨザクラタノシ イマイケツツミ</読み句_カナ><読み句頭文字>に</読み句頭文字><解説>西除川は古くは丹比野の西部を北流して丹南、岡、新堂、高見、河合、東代、更池、向井、高木、堀、池内、芝、油上、城連寺を経て大阪市内を通り、淀川へ注いでいた。江戸時代中期、大和川の付替えで西除川も流路変更されたが、現在、西除川沿いの天美西の今池水みらいセンター(もと今池)付近に桜並木が植えられ、人々の目を楽しませている。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.587724</緯度><経度>135.522073</経度><現在の地域名1>松原市天美西</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立天美西小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007404</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>西除川</キーワード1><キーワード2>今池</キーワード2><キーワード3>大和川付替え</キーワード3><キーワード4>狭山池</キーワード4><キーワード5>農業</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="5"><番号>k05</番号><読み句>本尊は 楠木守る 聖観音</読み句><読み句_カナ>ホンゾンハ クスノキマモル ショウカンノン</読み句_カナ><読み句頭文字>ほ</読み句頭文字><解説>安明寺は天美北(城連寺地区)の最勝寺境内にある。本堂には、1寸8分で、唐獅子の上に立つ聖観音が安置されている。元中年間(1384～92)、楠木家の一族で和田和泉守正遠の家臣、城連寺左衛門安明が、この地に永住した時、正遠の守り本尊である聖観音をいただいてきた。安明はこの聖観音を本尊として、一寺を建立し、安明寺と名づけ、地名も城連寺になったといわれる。</解説><主な時代1>南北朝</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.595313</緯度><経度>135.534896</経度><現在の地域名1>松原市天美北</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立天美北小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007431</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>安明寺</キーワード1><キーワード2>聖観音</キーワード2><キーワード3>最勝寺</キーワード3><キーワード4>和田和泉守正遠</キーワード4><キーワード5>城連寺</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="6"><番号>k06</番号><読み句>扁額は 八つの景勝 布忍宮</読み句><読み句_カナ>ヘンガクハ ヤッツノケイショウ ヌノセミヤ</読み句_カナ><読み句頭文字>へ</読み句頭文字><解説>布忍神社は、北新町向井にあり、祭神に八重事代主命、素盞鳴命、武甕槌命を祀る。境内にはクス、エノキなどの巨木が繁茂している。本殿(大阪府指定有形文化財)に布忍八景(布忍地方にある八つの景勝を選定したもの)を絵と歌でしるした扁額が掛っている。扁額は大きな横長の板で、四面一組である。布忍八景扁額(松原市指定有形文化財)は、宝永2年(1705)に布忍神社に奉納されたものである。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.579032</緯度><経度>135.536166</経度><現在の地域名1>松原市北新町</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立布忍小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007379</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>布忍神社</キーワード1><キーワード2>八重事代主命</キーワード2><キーワード3>素盞鳴命</キーワード3><キーワード4>武甕槌命</キーワード4><キーワード5>扁額</キーワード5><キーワード6>八景</キーワード6><キーワード7>農村文学</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="7"><番号>k07</番号><読み句>土器づくり 文化の名残り 立部の土師器</読み句><読み句_カナ>ドキヅクリ ブンカノナゴリ タツベノハジキ</読み句_カナ><読み句頭文字>と</読み句頭文字><解説>立部の集落には、古墳時代半ば頃に土師部が住んでいたという。18代反正天皇が、丹比柴籬宮にミヤコを置いたと伝えているので、立部で、土器をつくり、反正天皇に献上したという。江戸時代、河内地方の中でも立部では「土わん」が、名産として有名であったと『河内志』(享保20年、1735)に書かれている。</解説><主な時代1>古墳</主な時代1><主な時代2>江戸</主な時代2><緯度>34.564628</緯度><経度>135.562972</経度><現在の地域名1>松原市立部</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原東小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007440</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>土師部</キーワード1><キーワード2>反正天皇</キーワード2><キーワード3>丹比柴籬宮</キーワード3><キーワード4>土器</キーワード4><キーワード5>かわらけ</キーワード5><キーワード6>立部</キーワード6><キーワード7>神話・伝承</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="8"><番号>k08</番号><読み句>ちちかみの 伝説かなし はがみさん</読み句><読み句_カナ>チチカミノ デンセツカナシ ハガミサン</読み句_カナ><読み句頭文字>ち</読み句頭文字><解説>柴籬神社に住吉神社(反神社)が合祀されている。住吉神社は、もともと現在の松原郵便局東側の長尾街道沿いにあり、「はがみさん」として祀られていた。昔、愛児に乳房を含ませていた母親が、急にむずかった愛児に、含ませていた乳房を噛みきられ絶命したという悲しい伝説がある。住吉神社に接して「ちちかみはし」が架かっていた。母親の霊をなぐさめるため、祠が建てられたのである。明治43年(1910)、大阪府が建立した「ちちかみはし」「長尾街道」の道標が建っている。</解説><主な時代1>不明</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.576884</緯度><経度>135.55222</経度><現在の地域名1>松原市上田</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007324</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>松原北小学校</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>B127210007342</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>住吉神社</キーワード1><キーワード2>反神社</キーワード2><キーワード3>はがみさん</キーワード3><キーワード4>ちちかみはし</キーワード4><キーワード5>長尾街道</キーワード5><キーワード6>柴籬神社</キーワード6><キーワード7>神話・伝承</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="9"><番号>k09</番号><読み句>りりしきは 阿保親王と 人したう</読み句><読み句_カナ>リリシキハ アオシンノウト ヒトシタウ</読み句_カナ><読み句頭文字>り</読み句頭文字><解説>阿保親王は、51代平城天皇の第2皇子で、在原行平、業平の父としても有名である。最初、大和に居住していたが、大同4年(809)、薬子の変により政界を去って、承和元年(834)頃、市域の阿保に移住したと伝える。親王は阿保の地が水利の便が悪く、干害に悩む農民のために池を造り、農業をすすめたという。</解説><主な時代1>平安</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.582085</緯度><経度>135.556879</経度><現在の地域名1>松原市阿保</現在の地域名1><現在の地域名2>松原市田井城</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原北小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007342</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>阿保親王</キーワード1><キーワード2>溜池</キーワード2><キーワード3>阿保</キーワード3><キーワード4>神話・伝承</キーワード4><キーワード5>薬子の変</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="10"><番号>k10</番号><読み句>布忍にも 十一面観音 大林寺</読み句><読み句_カナ>ヌノセニモ ジュウイチメンカンノン ダイリンジ</読み句_カナ><読み句頭文字>ぬ</読み句頭文字><解説>西除川に架かる朱塗りの橋の東側のたもとに融通念仏宗の大林寺がある。その大林寺に等身大(1m70cm)の十一面観音立像が祀られている。もとは、北新町向井の布忍山永興寺の本尊として祀られていたが、明治6年廃寺となり、大林寺に移された。年代は、平安時代後期の作と考えられ、松原市指定有形文化財である。</解説><主な時代1>平安</主な時代1><主な時代2>明治</主な時代2><緯度>34.579063</緯度><経度>135.537217</経度><現在の地域名1>松原市北新町</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立布忍小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007379</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>大林寺</キーワード1><キーワード2>十一面観音</キーワード2><キーワード3>永興寺</キーワード3><キーワード4>布忍</キーワード4><キーワード5>向井</キーワード5><キーワード6>廃仏毀釈</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="11"><番号>k11</番号><読み句>類のない 印材技術 地場産業</読み句><読み句_カナ>ルイノナイ インザイギジュツ ジバサンギョウ</読み句_カナ><読み句頭文字>る</読み句頭文字><解説>印鑑の材料、すなわち印材は、昔から天美や布忍地区において生産され、松原市の誇りとすべき特産品のひとつとなっている。原料の水牛の角は東南アジア、象牙はアフリカ、山牛の角はインドから輸入されている。ただ今では、ワシントン条約によって、水牛の角や象牙が輸入の制限を受け、希少なものとなった。</解説><主な時代1>現代</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.587989</緯度><経度>135.531118</経度><現在の地域名1>松原市天美東</現在の地域名1><現在の地域名2>松原市天美南</現在の地域名2><現在の地域名3>松原市北新町</現在の地域名3><現在の地域名4>松原市南新町</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立天美小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007351</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>松原市立布忍小学校</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>B127210007379</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>印材</キーワード1><キーワード2>印鑑</キーワード2><キーワード3>地場産業</キーワード3><キーワード4>ワシントン条約</キーワード4><キーワード5>天美</キーワード5><キーワード6>布忍</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="12"><番号>k12</番号><読み句>織りつづく 木綿の技術 金網に</読み句><読み句_カナ>オリツヅク モメンノギジュツ カナアミニ</読み句_カナ><読み句頭文字>を</読み句頭文字><解説>松原の地場産業のひとつに金網製造業がある。現在、阿保地区を中心として金網の製造が行われるようになったのは、江戸時代から松原でも盛んであった河内木綿の栽培にあったようである。松原には明治末期から大正時代にかけて各地に織物工場ができていたが、河内木綿の需要が減少してきたこともあって、河内木綿の織機が金網の織機に利用されたようである。</解説><主な時代1>近代</主な時代1><主な時代2>現代</主な時代2><緯度>34.582225</緯度><経度>135.55699</経度><現在の地域名1>松原市阿保</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原北小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007342</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>金網</キーワード1><キーワード2>産業</キーワード2><キーワード3>河内木綿</キーワード3><キーワード4>織物工場</キーワード4><キーワード5>近代産業</キーワード5><キーワード6>地場産業</キーワード6><キーワード7>阿保</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="13"><番号>k13</番号><読み句>王仁博士 教えしあとや 聖堂池</読み句><読み句_カナ>ワニハカセ オシエシアトヤ セイドウイケ</読み句_カナ><読み句頭文字>わ</読み句頭文字><解説>15代応神天皇の頃(4世紀末)、朝鮮半島の百済から王仁という学者が大和王権に招かれて、やってきた。この時、論語十巻と千字文一巻を献上したといわれる。王仁博士は、享保20年(1735)刊の『河内志』に、河内の新堂村に聖堂を建て、宗廟を祀ったと記されている。その聖堂址が、松原第六中学校前の聖堂池(宮ノ池)あたりだと伝承されている。現在、聖堂址には弁財天社が祀られている。</解説><主な時代1>古墳</主な時代1><主な時代2>江戸</主な時代2><緯度>34.564654</緯度><経度>135.553777</経度><現在の地域名1>松原市岡</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原南小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007333</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>王仁</キーワード1><キーワード2>百済</キーワード2><キーワード3>渡来人</キーワード3><キーワード4>大陸文化</キーワード4><キーワード5>聖堂池</キーワード5><キーワード6>宮ノ池</キーワード6><キーワード7>弁財天社</キーワード7><キーワード8>松原</キーワード8><キーワード9>新堂</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="14"><番号>k14</番号><読み句>河内画師 仏教文化の 名の誉れ</読み句><読み句_カナ>カワチエシ ブッキョウブンカノ ナノホマレ</読み句_カナ><読み句頭文字>か</読み句頭文字><解説>奈良時代、仏教美術の参画者に丹比郡土師郷に居住していた河内画師と呼ばれる専門画家の氏族がいた。土師郷は、現在の立部から上田にかけての地域に広がっていたと思われる。河内画師の活躍は、奈良の東大寺大仏殿の須理板の彩色や庇絵に残っている。</解説><主な時代1>奈良</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.564628</緯度><経度>135.562972</経度><現在の地域名1>松原市</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原東小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007440</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>河内画師</キーワード1><キーワード2>仏教</キーワード2><キーワード3>東大寺</キーワード3><キーワード4>大仏造立</キーワード4><キーワード5>土師郷</キーワード5><キーワード6>立部</キーワード6><キーワード7>上田</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="15"><番号>k15</番号><読み句>世の移り 変り見て来た 追分地蔵</読み句><読み句_カナ>ヨノウツリ カワリミテキタ オイワケジゾウ</読み句_カナ><読み句頭文字>よ</読み句頭文字><解説>松原市内を走っている古道の竹内街道、長尾街道、高野街道の道筋には、角型道標、地蔵像彫り出し型道標など数多い。中でも、高見の里の敬念寺門前にある追分地蔵が最も古く、天和2年(1682)7月10日の銘がある。もともとは、長尾街道と住吉道が分岐する高見村と東代村(東新町)の境界あたりに建てられていた。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.574411</緯度><経度>135.545463</経度><現在の地域名1>松原市高見の里</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原西小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007413</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>道標</キーワード1><キーワード2>追分地蔵</キーワード2><キーワード3>長尾街道</キーワード3><キーワード4>住吉道</キーワード4><キーワード5>高見</キーワード5><キーワード6>東代</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="16"><番号>k16</番号><読み句>丹南藩 一万石の 陣屋址</読み句><読み句_カナ>タンナンハン イチマンゴクノ ジンヤアト</読み句_カナ><読み句頭文字>た</読み句頭文字><解説>丹南藩主高木氏は、清和源氏の源頼親の7世、八条院源信光より出ている。信光は、三河国高木郷(愛知県安城市)が本貫地であった。のち、高木正次は、天正10年(1582)に徳川家康に仕え、元和9年(1623)には河内国丹南を与えられ、一万石の大名となった(初代丹南藩主)。高木氏は、陣屋近くの来迎寺を再建し、寺の周りに堀をつくり城のかまえとした。三笠宮妃百合子殿下は、最後の13代丹南藩主正善の孫としても有名である。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.559393</緯度><経度>135.556143</経度><現在の地域名1>松原市丹南</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原南小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007333</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>丹南藩</キーワード1><キーワード2>高木正次</キーワード2><キーワード3>陣屋</キーワード3><キーワード4>大名</キーワード4><キーワード5>江戸幕府</キーワード5><キーワード6>来迎寺</キーワード6><キーワード7>丹南</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="17"><番号>k17</番号><読み句>れんめんと 農業 見守る 田坐神社</読み句><読み句_カナ>レンメント ノウギョウ ミマモル タザジンジャ</読み句_カナ><読み句頭文字>れ</読み句頭文字><解説>田坐神社は、田井城の陽雲寺の南側にあって、延喜式内の古社で、祭神は豊受姫命である。『三代実録』によると、清和天皇の貞観4年(862)に従五位下を授けられている。延喜式内社とは、平安時代の『延喜式』という書物に載せられており、祈年祭にあたって国家から幣帛を受ける由緒深い神社である。全国に2861社あり、市内関係では同社のほか、酒屋神社、阿麻美許曾神社がある。</解説><主な時代1>平安</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.582035</緯度><経度>135.546041</経度><現在の地域名1>松原市田井城</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立中央小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007422</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>田坐神社</キーワード1><キーワード2>豊受姫命</キーワード2><キーワード3>式内社</キーワード3><キーワード4>田井城</キーワード4><キーワード5>神話・伝承</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="18"><番号>k18</番号><読み句>そもそもの 農の初まり 池内遺跡</読み句><読み句_カナ>ソモソモノ ノウノハジマリ イケウチイセキ</読み句_カナ><読み句頭文字>そ</読み句頭文字><解説>阪南大学の北側の天美東から天美北地区の池内地域では、いまから二千数百年ほど前から、弥生人が水田耕作を行っていた。近畿地方でもいち早く米づくりが行われていたことを示す水田址が発見され、松原の農業の始まりを示す遺跡の一つである。</解説><主な時代1>弥生</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.593163</緯度><経度>135.537332</経度><現在の地域名1>松原市天美東</現在の地域名1><現在の地域名2>松原市天美北</現在の地域名2><現在の地域名3>松原市天美東</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立天美北小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007431</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>池内遺跡</キーワード1><キーワード2>弥生時代</キーワード2><キーワード3>農耕</キーワード3><キーワード4>米づくり</キーワード4><キーワード5>水田</キーワード5><キーワード6>天美</キーワード6><キーワード7>池内</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="19"><番号>k19</番号><読み句>つれづれに 橘庵名医 漢詩詠む</読み句><読み句_カナ>ツレヅレニ キツアンメイイ カンシヨム</読み句_カナ><読み句頭文字>つ</読み句頭文字><解説>北山橘庵は、享保16年(1731)一津屋に生まれ、少年時代から俊才で医学を橘元泰に学んで医者となる。のち、狭山藩や岸和田藩のおかかえ医となった。また、文学を大和郡山の柳沢棋園に学んで漢詩にすぐれ、文化人としても有名である。著書に『橘庵詩鈔』三冊、『鶏壇咽鳴集』、『北山医版』などがある。寛政3年(1791)11月15日に61歳で死去。厳島神社の近く、一津屋荘園の一角に橘庵など北山家代々の墓がある。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.578893</緯度><経度>135.574841</経度><現在の地域名1>松原市一津屋</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立恵我南小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007468</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>北山橘庵</キーワード1><キーワード2>藩医</キーワード2><キーワード3>先人</キーワード3><キーワード4>狭山藩</キーワード4><キーワード5>岸和田藩</キーワード5><キーワード6>漢詩</キーワード6><キーワード7>一津屋</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="20"><番号>k20</番号><読み句>願いごと かなえてほしき 天神様</読み句><読み句_カナ>ネガイゴト カナエテホシキ テンジンサマ</読み句_カナ><読み句頭文字>ね</読み句頭文字><解説>屯倉神社の創建は、天慶5年(942)菅原道真を祀ったのが初めという。道真は、のち天神として筆徳の神とされた。また、屯倉とは、天皇に直属する屯田(ミタ)から収穫した物を貯える倉のことである。三宅地方は、米倉として朝廷の直轄地になっていたらしく、屯倉が置かれたと考えられる。この屯倉から、三宅の名称が起ったと伝える。境内に、道真が腰かけて休憩したという神形石と呼ばれる巨石がある。</解説><主な時代1>平安</主な時代1><主な時代2>江戸</主な時代2><緯度>34.588757</緯度><経度>135.555107</経度><現在の地域名1>松原市三宅中</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立三宅小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007397</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>屯倉神社</キーワード1><キーワード2>菅原道真</キーワード2><キーワード3>天神</キーワード3><キーワード4>神形石</キーワード4><キーワード5>屯倉</キーワード5><キーワード6>三宅</キーワード6><キーワード7>神話・伝承</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="21"><番号>k21</番号><読み句>難波から 飛鳥にかよう 丹比道</読み句><読み句_カナ>ナニワカラ アスカニカヨウ タジヒミチ</読み句_カナ><読み句頭文字>な</読み句頭文字><解説>竹内街道は、松原市南部の岡から立部を東西に通る。『日本書紀』推古天皇の21年(613)に「難波より飛鳥に至る大道を置く」と記されている。この大道が、竹内街道(丹比道)と考えられている。わが国最古の官道の一つといわれる竹内街道には、難波津から朝鮮や中国の学問、美術工芸などが渡来人により持たらされ、また、わが国の使節や留学生が大陸と都を往き来したといわれている。</解説><主な時代1>飛鳥</主な時代1><主な時代2>奈良</主な時代2><緯度>34.56089</緯度><経度>135.564393</経度><現在の地域名1>松原市岡</現在の地域名1><現在の地域名2>松原市立部</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原南小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007333</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>松原市立松原東小学校</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>B127210007440</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>松原市立天美西小学校</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>B127210007404</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>竹内街道</キーワード1><キーワード2>丹比道</キーワード2><キーワード3>難波大道</キーワード3><キーワード4>官道</キーワード4><キーワード5>神話・伝承</キーワード5><キーワード6>日本書紀</キーワード6><キーワード7>大陸文化</キーワード7><キーワード8>岡</キーワード8><キーワード9>立部</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="22"><番号>k22</番号><読み句>来迎寺 藩主の墓地や 大いぶき</読み句><読み句_カナ>ライゴウジ ハンシュノボチヤ オオイブキ</読み句_カナ><読み句頭文字>ら</読み句頭文字><解説>来迎寺は、丹南にあり、融通念仏宗である。本尊は阿弥陀如来。天平3年(731)、僧行基が毘沙門天を祀ったのが始まりであると伝える。鳥羽天皇の勅願により融通念仏宗となったが、正和年間(1312～16)に荒廃したため、平野(大阪市)の大念仏寺の法明上人が美原の菅生天神より阿弥陀如来を安置してから、来迎寺と称された。丹南藩主高木家の菩提寺でもあり、境内のいぶきは大阪府の天然記念物に指定されている。</解説><主な時代1>中世</主な時代1><主な時代2>江戸</主な時代2><緯度>34.559114</緯度><経度>135.555166</経度><現在の地域名1>松原市丹南</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原南小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007333</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>いぶき</キーワード1><キーワード2>来迎寺</キーワード2><キーワード3>融通念佛宗</キーワード3><キーワード4>法明</キーワード4><キーワード5>丹南藩</キーワード5><キーワード6>菩提寺</キーワード6><キーワード7>高木氏</キーワード7><キーワード8>大名</キーワード8><キーワード9>丹南</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="23"><番号>k23</番号><読み句>むかしより しめす石標 高野みち</読み句><読み句_カナ>ムカシヨリ シメスセキヒョウ コウヤミチ</読み句_カナ><読み句頭文字>む</読み句頭文字><解説>高野山(和歌山県)へ至る高野街道としては、西高野街道、東高野街道が有名であるが、この両街道の中間を行く道も利用され、やはり高野街道と呼ばれていた。松原にも中高野街道と下高野街道が南北に通っている。南北を走る高野街道と、東西を走る長尾街道や竹内街道がそれぞれ交わる地点には、阿保茶屋や松原茶屋が出来たりして賑わった。また、道標も多く建てられ、当時の往来の様子をしのばせている。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.560881</緯度><経度>135.55853</経度><現在の地域名1>松原市阿保</現在の地域名1><現在の地域名2>松原市天美北</現在の地域名2><現在の地域名3>松原市天美東</現在の地域名3><現在の地域名4>松原市天美南</現在の地域名4><現在の地域名5>松原市上田</現在の地域名5><現在の地域名6>松原市岡</現在の地域名6><現在の地域名7>松原市河合</現在の地域名7><現在の地域名8>松原市北新町</現在の地域名8><現在の地域名9>松原市新堂</現在の地域名9><現在の地域名10>松原市立部</現在の地域名10><現在の地域名11>松原市丹南</現在の地域名11><現在の地域名12>松原市東新町</現在の地域名12><現在の地域名13>松原市南新町</現在の地域名13><現在の地域名14>松原市三宅中</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立三宅小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007397</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>松原市立松原北小学校</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>B127210007342</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>松原市立松原小学校</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>B127210007324</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>松原市立松原南小学校</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>B127210007333</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>松原市立天美小学校</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>B127210007351</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>松原市立布忍小学校</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>B127210007379</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>松原市立河合小学校</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>B127210007459</関連小学校7_学校コード><キーワード1>高野詣</キーワード1><キーワード2>中高野街道</キーワード2><キーワード3>下高野街道</キーワード3><キーワード4>阿保茶屋</キーワード4><キーワード5>松原茶屋</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="24"><番号>k24</番号><読み句>駅家には 清水もありし 大津道</読み句><読み句_カナ>ウマヤニハ シミズモアリシ オオツミチ</読み句_カナ><読み句頭文字>う</読み句頭文字><解説>長尾街道は、古来大津道と呼ばれる古道である。堺東付近から丹比道に平行して、北側を走る道路で、新町地域の清水地区には旅人などに飲み水なども与える休憩地としての駅家があったという。現在の長尾街道は石川を渡って柏原市国分に至り、そこから穴虫峠のすこし西で大坂道に合流し、奈良県葛城市長尾に至ったもの。長尾で竹内街道より分岐することから、のちに長尾街道の名がつけられたといわれる。</解説><主な時代1>飛鳥</主な時代1><主な時代2>江戸</主な時代2><緯度>34.576863</緯度><経度>135.533577</経度><現在の地域名1>松原市阿保</現在の地域名1><現在の地域名2>松原市天美我堂</現在の地域名2><現在の地域名3>松原市上田</現在の地域名3><現在の地域名4>松原市北新町</現在の地域名4><現在の地域名5>松原市田井城</現在の地域名5><現在の地域名6>松原市高見の里</現在の地域名6><現在の地域名7>松原市西野々</現在の地域名7><現在の地域名8>松原市東新町</現在の地域名8><現在の地域名9>松原市一津屋</現在の地域名9><現在の地域名10>松原市松ヶ丘</現在の地域名10><現在の地域名11>松原市南新町</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立布忍小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007379</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>駅家</キーワード1><キーワード2>清水</キーワード2><キーワード3>古代国家</キーワード3><キーワード4>大津道</キーワード4><キーワード5>長尾街道</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="25"><番号>k25</番号><読み句>井筒は 弘法の井戸 村すくう</読み句><読み句_カナ>イヅツハ コウボウノイド ムラスクウ</読み句_カナ><読み句頭文字>ゐ</読み句頭文字><解説>平安時代の弘法大師空海ほど、豊富な伝説をもった人物は少ないであろう。特に弘法井戸、弘法清水の伝説は全国に数多い。松原にも弘法大師の伝説を持つ井戸がある。高見の里の高見神社の南にある井戸もその一つである。平安時代初期の頃、弘法大師が諸国巡錫のおり、松原にも足をのばされたと伝える。高見の里付近は、水の便が悪く、飲み水にも困っていた。そこで、大師は携えた錫杖で地面をついたところ、清水が湧き出し、村人は大変助かったという。</解説><主な時代1>平安</主な時代1><主な時代2>江戸</主な時代2><緯度>34.573187</緯度><経度>135.545544</経度><現在の地域名1>松原市高見の里</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007324</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>弘法大師</キーワード1><キーワード2>空海</キーワード2><キーワード3>神話・伝承</キーワード3><キーワード4>井戸</キーワード4><キーワード5>高野山</キーワード5><キーワード6>高見</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="26"><番号>k26</番号><読み句>野に多く 伝説の池 親王池址</読み句><読み句_カナ>ノニオオク デンセツノイケ シンノウイケアト</読み句_カナ><読み句頭文字>の</読み句頭文字><解説>松原には灌漑用の池が多い。その一つに、親王池(稚児が池あるいは棒池)があった。阿保の南端、長尾街道に沿ってあり、阿保親王の人徳を慕って名付けられた灌漑池である。母の病のため願をかけ満願の日に稚児が身を投じたという伝説がある。人々はのち孝養の厚い稚児の災厄を哀れみ、池の中に墓標を建てて供養した。稚児の名は幸松麿、13歳であったという。現在、埋めたてられ、説明板のみが建つ。</解説><主な時代1>平安</主な時代1><主な時代2>江戸</主な時代2><緯度>34.578661</緯度><経度>135.559967</経度><現在の地域名1>松原市松ヶ丘</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原北小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007342</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>親王池</キーワード1><キーワード2>稚児が池</キーワード2><キーワード3>ため池</キーワード3><キーワード4>農業</キーワード4><キーワード5>阿保</キーワード5><キーワード6>神話・伝承</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="27"><番号>k27</番号><読み句>大庄屋 昔しのばる 門がまえ</読み句><読み句_カナ>オオショウヤ ムカシシノバル モンガマエ</読み句_カナ><読み句頭文字>お</読み句頭文字><解説>松原市内に残る古民家の一つに、天美我堂の西川家がある。主屋の最も古い部分の建築年代は、江戸時代初めとも考えられている。屋敷構えは大きく、主屋も整った大和棟の広い家である。当家は、仏間が独立してできた五間取りの最も早い例である。居室部分は、きわめて古い柱間が残存する17世紀中頃以前の遺構として、大阪府内でも最古級の重要な住宅である。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.583617</緯度><経度>135.524873</経度><現在の地域名1>松原市天美我堂</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立天美西小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007404</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>古民家</キーワード1><キーワード2>大和棟</キーワード2><キーワード3>大庄屋</キーワード3><キーワード4>庄屋</キーワード4><キーワード5>我堂</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="28"><番号>k28</番号><読み句>楠大樹 千年と伝う 阿保神社</読み句><読み句_カナ>クスタイジュ センネントツタウ アオジンジャ</読み句_カナ><読み句頭文字>く</読み句頭文字><解説>阿保神社は阿保の海泉池の北側にあり、菅原道真を祀る。境内には、同地区に住んだと伝える阿保親王を祀る親王社があることから、阿保の名がついたという。境内には、厳島神社も合祀されている。また、本殿裏には、阿保親王お手植えの樹齢1000年以上と伝える幹周り4m強のクスの大木がある。</解説><主な時代1>平安</主な時代1><主な時代2>江戸</主な時代2><緯度>34.582084</緯度><経度>135.556878</経度><現在の地域名1>松原市阿保</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原北小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007342</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>阿保神社</キーワード1><キーワード2>菅原道真</キーワード2><キーワード3>親王社</キーワード3><キーワード4>阿保親王</キーワード4><キーワード5>厳島神社</キーワード5><キーワード6>海泉池</キーワード6><キーワード7>楠</キーワード7><キーワード8>阿保</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="29"><番号>k29</番号><読み句>大和川 しずかに流る 川違え</読み句><読み句_カナ>ヤマトガワ シズカニナガルル カワタガエ</読み句_カナ><読み句頭文字>や</読み句頭文字><解説>江戸時代までの大和川は、石川と柏原で合流し、北西に向かい、淀川に流れていたが、大雨が降るたびに河内平野は洪水にみまわれ、農民は苦しめられてきた。元禄16年(1703)、幕府は大和川の川違えを決定した。柏原から松原市北部の恵我や天美を経て、堺に至る距離15km、幅200mの新大和川の付替え工事が実施され、翌、宝永元年(1704)に完成した。旧大和川の流路は、長瀬川、平野川、玉串川、楠根川として、残っている。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.598066</緯度><経度>135.53612</経度><現在の地域名1>松原市天美北</現在の地域名1><現在の地域名2>松原市天美西</現在の地域名2><現在の地域名3>松原市大堀</現在の地域名3><現在の地域名4>松原市別所</現在の地域名4><現在の地域名5>松原市若林</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立天美西小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007404</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>松原市立天美北小学校</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>B127210007431</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>松原市立恵我小学校</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>B127210007388</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>大和川</キーワード1><キーワード2>川違え</キーワード2><キーワード3>中甚兵衛</キーワード3><キーワード4>***</キーワード4><キーワード5>***</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="30"><番号>k30</番号><読み句>松とバラ 市民が憩う 公園に</読み句><読み句_カナ>マツトバラ シミンガイコウ コウエンニ</読み句_カナ><読み句頭文字>ま</読み句頭文字><解説>「松原」は、昭和30年2月1日、大阪府下21番目の市として発足した。当時の人口は、36258人である。面積16.575㎢。標高10~39mの平坦地である。市の木は「松」、市の花は「バラ」である。反正天皇の丹比柴籬宮の址が、「松生いし丹比の松原」と詠まれ、現在の地名の由来ともいわれている。昭和58年3月には、田井城に松原中央公園が完成し、噴水のある市民の憩の場として親しまれている。</解説><主な時代1>現代</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.578109</緯度><経度>135.548868</経度><現在の地域名1>松原市田井城</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立中央小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007422</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>中央公園</キーワード1><キーワード2>松原市</キーワード2><キーワード3>市制</キーワード3><キーワード4>公共施設</キーワード4><キーワード5>田井城</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="31"><番号>k31</番号><読み句>けんね塚 ながれついたと 童唄</読み句><読み句_カナ>ケンネツカ ナガレツイタト ワラベウタ</読み句_カナ><読み句頭文字>け</読み句頭文字><解説>けんね塚(きつね塚)は、きつね山とも呼ばれ、天美西の西除川の北側にあった前方後円墳と考えられるが、現在は残っていない。伝説によると大昔、大洪水で西大塚から流れついた塚であるという。ぶくぶく土で付近の土質とぜんぜん違い、野狐が住んでいたのでこの名がある。</解説><主な時代1>古墳</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.5873</緯度><経度>135.52711</経度><現在の地域名1>松原市天美西</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立天美西小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007404</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>けんね塚</キーワード1><キーワード2>きつね山</キーワード2><キーワード3>古墳</キーワード3><キーワード4>民話</キーワード4><キーワード5>天美</キーワード5><キーワード6>神話・伝承</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="32"><番号>k32</番号><読み句>古池に 河合だんじり いせいよく</読み句><読み句_カナ>フルイケニ カワイダンジリ イセイヨク</読み句_カナ><読み句頭文字>ふ</読み句頭文字><解説>古池は河合集落の南にあり、鎌倉時代後半頃に造られたと思われる。池ができる前の奈良時代頃には、役所があったと思われる建物跡や人工運河の大溝が見つかっている。毎年、10月前半、河合神社の秋祭りでは、勇壮なだんじりが河合の町中をねり歩き、人々の歓声でにぎわっている。</解説><主な時代1>奈良</主な時代1><主な時代2>鎌倉</主な時代2><緯度>34.567543</緯度><経度>135.542045</経度><現在の地域名1>松原市河合</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立河合小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007459</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>古池</キーワード1><キーワード2>河合神社</キーワード2><キーワード3>だんじり</キーワード3><キーワード4>伝統文化</キーワード4><キーワード5>河合遺跡</キーワード5><キーワード6>丹比大溝</キーワード6><キーワード7>古代官衙</キーワード7><キーワード8>河合</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="33"><番号>k33</番号><読み句>高速道 近代都市を むすぶ道</読み句><読み句_カナ>コウソクドウ キンダイトシヲ ムスブミチ</読み句_カナ><読み句頭文字>こ</読み句頭文字><解説>松原市は、大阪府のほぼ中央に位置し、北は大和川をへだてて大阪市や八尾市に隣接している。西、南は堺市、東は羽曳野市・藤井寺市に接している。飛鳥時代に幹線道路(竹内街道・長尾街道)が通り、また、平安時代以後は中高野街道や下高野街道も通っている。交通の要衝として栄えた松原に、現在も阪神高速道、近畿自動車道、西名阪自動車道、阪和自動車道が通り、大堀には全国でも有数の松原ジャンクションが実現している。ジャンクションの完成によって、大堀八幡神社は恵我小学校南側に移り、新しく本殿が建てられた。</解説><主な時代1>現代</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.590789</緯度><経度>135.575264</経度><現在の地域名1>松原市大堀</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立恵我小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007388</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>高速道路</キーワード1><キーワード2>松原ジャンクション</キーワード2><キーワード3>交通網</キーワード3><キーワード4>大堀八幡神社</キーワード4><キーワード5>大堀</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="34"><番号>k34</番号><読み句>恵我の地に 古戦場残す 若林</読み句><読み句_カナ>エガノチニ コセンジョウノコス ワカバヤシ</読み句_カナ><読み句頭文字>え</読み句頭文字><解説>南北朝時代から、大坂夏の陣(1615年)頃まで河内の各地で数多くの戦乱が続けられた。中でも、戦国時代の戦乱は実にはげしい。天文・永禄(16世紀中頃)年中に細川晴元の軍が古市(羽曳野市)の高屋城主畠山政国と戦うため、恵我の若林に陣地を置いたと『続応仁後記』に出ている。今、その陣地址は伝わっていないが、若林神社周辺と思われる。</解説><主な時代1>中世</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.590201</緯度><経度>135.58032</経度><現在の地域名1>松原市若林</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立恵我小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007388</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>若林神社</キーワード1><キーワード2>恵我</キーワード2><キーワード3>若林</キーワード3><キーワード4>応仁の乱</キーワード4><キーワード5>武士</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="35"><番号>k35</番号><読み句>敵をうつ かねつき山は とりであと</読み句><読み句_カナ>テキヲウツ カネツキヤマハ トリデアト</読み句_カナ><読み句頭文字>て</読み句頭文字><解説>東除川の西岸に、一津屋古墳がある。南西に面する環濠を有する6世紀頃の前方後円墳と考えられる。のち古墳を利用して、南北朝から戦国時代にかけ、砦がつくられた。戦国時代に三好駿河守の居城として知られる。古墳の後円部に敵を知らせるための鐘が設けられ、鐘付山と名づけられた。その後、古墳上に厳島神社が祀られ、拝殿に「鐘搗山」の額がかけられた。祭神は市杵島姫命で、一津屋の産土神である。</解説><主な時代1>古墳</主な時代1><主な時代2>中世</主な時代2><緯度>34.579571</緯度><経度>135.575857</経度><現在の地域名1>松原市一津屋</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立恵我南小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007468</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>鐘撞山</キーワード1><キーワード2>一津屋古墳</キーワード2><キーワード3>厳島神社</キーワード3><キーワード4>市杵島姫命</キーワード4><キーワード5>前方後円古墳</キーワード5><キーワード6>三好駿河守</キーワード6><キーワード7>砦</キーワード7><キーワード8>一津屋</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="36"><番号>k36</番号><読み句>安心と 安全めざす まちづくり</読み句><読み句_カナ>アンシント アンゼンメザス マチヅクリ</読み句_カナ><読み句頭文字>あ</読み句頭文字><解説>松原市は、平成25年11月16日に、大阪府下で初めて、日本で8番目、世界で323番目のセ－フコミュニティの国際認証都市となった。セーフコミュニティの認証取得は、ゴールではなく、安心・安全のまちづくりの新たなスタートである。けがや事故などの外傷予防に努め、誰もが住みたい、住み続けたい魅力あるまちづくりを、市民とともに進めていくものである。</解説><主な時代1>現代</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.5779</緯度><経度>135.551815</経度><現在の地域名1>松原市</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>***</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>***</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>セーフコミュニティ</キーワード1><キーワード2>地域</キーワード2><キーワード3>安全</キーワード3><キーワード4>市制</キーワード4><キーワード5>市民協働</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="37"><番号>k37</番号><読み句>西方寺 平安朝の 夢やどし</読み句><読み句_カナ>サイホウジ ヘイアンチョウノ ユメヤドシ</読み句_カナ><読み句頭文字>さ</読み句頭文字><解説>室町時代、融通念仏宗の法明上人の念仏勧進道場が機縁となって開創されたと伝えられる寺院が市内には多い。西方寺もその一つで、大阪市平野の融通念仏宗大念仏寺の末寺で、阿弥陀如来像を本尊としている。境内に観音堂があり、梅松院(もと屯倉神社の神宮寺)の本尊であった平安時代の十一面観音が安置されている(現在は本堂に祀られている)。</解説><主な時代1>平安</主な時代1><主な時代2>明治</主な時代2><緯度>34.589919</緯度><経度>135.551851</経度><現在の地域名1>松原市三宅中</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立三宅小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007397</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>西方寺</キーワード1><キーワード2>阿弥陀如来</キーワード2><キーワード3>十一面観音</キーワード3><キーワード4>梅松院</キーワード4><キーワード5>屯倉神社</キーワード5><キーワード6>神宮寺</キーワード6><キーワード7>神仏習合</キーワード7><キーワード8>三宅</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="38"><番号>k38</番号><読み句>きなこつけ 半夏生の赤ねこ 田植すむ</読み句><読み句_カナ>キナコツケ ハゲショノアカネコ タウエスム</読み句_カナ><読み句頭文字>き</読み句頭文字><解説>夏至より11日目が半夏生であり、昔はこの日までに農作業を終えた。松原では、半夏生の日は、田植えの終わったあとのほね休めの日であった。この日は、村中のみんなは仕事を休み、赤ねこだんごを作って食べた。赤ねこだんごとは、お米と小麦粉をまぜて、きなこをつけただんごである。農耕と自然条件を兼ねた年中行事の一つとなっていた。</解説><主な時代1>近代</主な時代1><主な時代2>現代</主な時代2><緯度>34.57236</緯度><経度>135.559329</経度><現在の地域名1>松原市</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>***</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>***</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>赤ねこ</キーワード1><キーワード2>郷土料理</キーワード2><キーワード3>半夏生</キーワード3><キーワード4>農業</キーワード4><キーワード5>年中行事</キーワード5><キーワード6>民俗</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="39"><番号>k39</番号><読み句>雄大な 大塚山古墳 濠広し</読み句><読み句_カナ>ユウダイナ オオツカヤマコフン ホリヒロシ</読み句_カナ><読み句頭文字>ゆ</読み句頭文字><解説>大塚山古墳は、西大塚の東側に濠に囲まれ、前方部をほぼ北面にした3段づくりの前方後円墳である。全長335m、前方部幅230m、後円部直径185m、前方部高さ4.5m、後円部高さ20m。全国では、第5番目の大きな古墳である。6世紀後半頃の築造で、当時の天皇クラスの人が葬られていると考えられる。現在、宮内庁によって陵墓参考地となっている。</解説><主な時代1>古墳</主な時代1><主な時代2>近代</主な時代2><緯度>34.57189</緯度><経度>135.568009</経度><現在の地域名1>松原市西大塚</現在の地域名1><現在の地域名2>羽曳野市恵我之荘</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007324</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>大塚山古墳</キーワード1><キーワード2>前方後円墳</キーワード2><キーワード3>大和朝廷(大和政権)</キーワード3><キーワード4>陵墓参考地</キーワード4><キーワード5>西大塚</キーワード5><キーワード6>東大塚</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="40"><番号>k40</番号><読み句>名水や 酒屋権現 出でし井戸</読み句><読み句_カナ>メイスイヤ サカヤゴンゲン イデシイド</読み句_カナ><読み句頭文字>め</読み句頭文字><解説>酒屋神社は延喜式内の古社で、三宅村の西方にあったが、明治40年(1907)に屯倉神社の境内に移された。祭神は津速魂命で、酒屋権現とも呼ばれる。酒屋神社旧地に酒蓋池という溜池があった。酒蓋池の東北隅に、一間四方の木わくの井戸があって、この井戸から神が出現されたと言われ、この神を酒屋神社として祀った。また、この付近は大変よい水脈が通っているので酒造りも盛んだった。</解説><主な時代1>平安</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.590457</緯度><経度>135.551852</経度><現在の地域名1>松原市三宅中</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立三宅小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007397</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>酒屋神社</キーワード1><キーワード2>津速魂命</キーワード2><キーワード3>酒屋権現</キーワード3><キーワード4>式内社</キーワード4><キーワード5>酒蓋池</キーワード5><キーワード6>三宅</キーワード6><キーワード7>神話・伝承</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="41"><番号>k41</番号><読み句>三宅木綿 夜なべ糸つむ 機を織る</読み句><読み句_カナ>ミヤケモメン ヨナベイトツム ハタヲオル</読み句_カナ><読み句頭文字>み</読み句頭文字><解説>三宅は、豊かな米作地帯として知られている。また、江戸時代から綿作が農家によって始められ、いわゆる「三宅木綿」として世人から好評を得た。それは、三宅でとりいれた綿花が良質であることから、良い木綿がつむがれたことによる。徳川家康が三宅木綿を賞用したと、大正時代に編さんされた『中河内郡誌』に伝えている。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.590325</緯度><経度>135.554281</経度><現在の地域名1>松原市三宅中</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立三宅小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007397</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>三宅木綿</キーワード1><キーワード2>綿作</キーワード2><キーワード3>商品作物</キーワード3><キーワード4>農業</キーワード4><キーワード5>三宅</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="42"><番号>k42</番号><読み句>柴かつぐ 天美小の 金次郎像</読み句><読み句_カナ>シバカツグ アマミショウノ キンジロウゾウ</読み句_カナ><読み句頭文字>し</読み句頭文字><解説>正門前が下高野街道が通る天美小学校の校庭に二宮金次郎像が建っている。金次郎は貧しいけれど、親孝行で、そのうえ一生懸命勉強して、戦前、日本人のかがみとされた。このため、各地の小学校を中心に柴をかつぎながら、本を読む金次郎像が建てられた。天美小学校には、金次郎像が昭和13年(1938)につくられ、当時のものが松原市内の小学校で唯一現存している。</解説><主な時代1>近代</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.587713</緯度><経度>135.532374</経度><現在の地域名1>松原市天美東</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立天美小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007351</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>二宮金次郎</キーワード1><キーワード2>天美小学校</キーワード2><キーワード3>天美村</キーワード3><キーワード4>天美</キーワード4><キーワード5>道徳</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="43"><番号>k43</番号><読み句>絵馬たくし 阿麻美社に 神たのみ</読み句><読み句_カナ>エマタクシ アマミヤシロニ カミタノミ</読み句_カナ><読み句頭文字>ゑ</読み句頭文字><解説>阿麻美許曾神社は、大阪市東住吉区矢田(旧、丹北郡枯木村、のち中河内郡矢田村)に鎮座するが、その境内の馬場先は南の松原市の方へ食い込んでいる。天美地区の城連寺、油上、芝、池内の氏神であり、天美の地名の由来となった。平安前期、大同年間(806～809)の創建と伝えられる。延喜式内の古社で、素盞鳴命を祀っている。</解説><主な時代1>平安</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.59509</緯度><経度>135.529744</経度><現在の地域名1>大阪市東住吉区矢田</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立天美西小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007404</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>松原市立天美北小学校</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>B127210007431</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>阿麻美許曾神社</キーワード1><キーワード2>素盞鳴命</キーワード2><キーワード3>式内社</キーワード3><キーワード4>行基</キーワード4><キーワード5>枯木</キーワード5><キーワード6>矢田</キーワード6><キーワード7>城連寺</キーワード7><キーワード8>油上</キーワード8><キーワード9>芝</キーワード9><キーワード10>池内</キーワード10></row>
<row _id="44"><番号>k44</番号><読み句>一津屋に 残るトリキは 昔人の知恵</読み句><読み句_カナ>ヒトツヤニ ノコルトリキハ ヒトノチエ</読み句_カナ><読み句頭文字>ひ</読み句頭文字><解説>厳島神社が祀られている一津屋古墳の東側に、東除川が流れている。東除川を境にして一津屋と小川の集落が分れているが、小川の西南の東除川に堰があり、これを小川のトリキと呼ぶ。この堰によって東除川の水は水路を経て、小川の三ツ池に貯えられて、下の小川、若林、大堀の水田に順々に水をうるおすことができた。小川の氏神である深居神社の「居」も水や井戸に関わるとも考えられる。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>明治</主な時代2><緯度>34.58073</緯度><経度>135.577088</経度><現在の地域名1>松原市一津屋</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立恵我小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007388</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>トリキ</キーワード1><キーワード2>戸関</キーワード2><キーワード3>東除川</キーワード3><キーワード4>堰</キーワード4><キーワード5>農業</キーワード5><キーワード6>深居神社</キーワード6><キーワード7>狭山池</キーワード7><キーワード8>小川</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="45"><番号>k45</番号><読み句>杜の島 鳥居が浮かぶ 弁天池</読み句><読み句_カナ>モリノシマ トリイガウカブ ベンテンイケ</読み句_カナ><読み句頭文字>も</読み句頭文字><解説>河内天美駅東側ロータリーは、もともと池内の弁天池が水をたたえていた。池の真ん中に鳥居を建て、弁財天を祀る島があった。江戸時代は、地名をとって池内池と呼ばれていたこともあった。のち、杜がしげる島に水の神様である弁財天を祀るお社をつくったので弁天池と称されるようになった。今では、大半が埋めたてられたが、線路沿いに社殿を移して、弁財天を現在も信仰している。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>近代</主な時代2><緯度>34.588377</緯度><経度>135.537399</経度><現在の地域名1>松原市天美東</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立天美南小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007360</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>弁財天</キーワード1><キーワード2>弁天池</キーワード2><キーワード3>池内池</キーワード3><キーワード4>農業</キーワード4><キーワード5>溜池</キーワード5><キーワード6>池内</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="46"><番号>k46</番号><読み句>全国に ひびく釣鐘 河内鋳物師</読み句><読み句_カナ>ゼンコクニ ヒビクツリガネ カワチイモジ</読み句_カナ><読み句頭文字>せ</読み句頭文字><解説>松原市丹南や岡・立部から堺市美原区・東区にかけて、平安時代後半頃から鍛冶・鋳物師集団が居住していた。河内鋳物師、あるいは丹南鋳物師と呼ばれ、特にその名を高めたのは、高度な技術を必要とする梵鐘の製造である。鎌倉時代(12～13世紀)の梵鐘のほぼ60％が河内鋳物師の製作と言われる。同地は、鍛冶鋳造に適した良質の土壌に恵まれていたとされる。</解説><主な時代1>平安</主な時代1><主な時代2>中世</主な時代2><緯度>34.560833</緯度><経度>135.564398</経度><現在の地域名1>松原市岡</現在の地域名1><現在の地域名2>松原市立部</現在の地域名2><現在の地域名3>松原市丹南</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立松原南小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007333</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>松原市立松原東小学校</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>B127210007440</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>河内鋳物師</キーワード1><キーワード2>丹南鋳物師</キーワード2><キーワード3>立部遺跡</キーワード3><キーワード4>岡遺跡</キーワード4><キーワード5>丹南遺跡</キーワード5><キーワード6>***</キーワード6><キーワード7>***</キーワード7><キーワード8>***</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
<row _id="47"><番号>k47</番号><読み句>住吉の 神にささげし 『積翠集』</読み句><読み句_カナ>スミヨシノ カミニササゲシ セキスイシュウ</読み句_カナ><読み句頭文字>す</読み句頭文字><解説>江戸時代の松原が生んだ文化人の一人に妻屋秀員がいる。天和2年(1682)に生まれ、三宅村の庄屋であったが、和歌に秀で可雪と号し、京都の烏丸光栄、光胤に師事した。秀員の代表的な歌集が『積翠集』である。『積翠集』は、秀員の死後、明和2年(1765)に加藤景範が遺稿として編さんし、摂津の住吉大社(大阪市)に献納された。</解説><主な時代1>江戸</主な時代1><主な時代2>***</主な時代2><緯度>34.590324</緯度><経度>135.55428</経度><現在の地域名1>松原市三宅中</現在の地域名1><現在の地域名2>***</現在の地域名2><現在の地域名3>***</現在の地域名3><現在の地域名4>***</現在の地域名4><現在の地域名5>***</現在の地域名5><現在の地域名6>***</現在の地域名6><現在の地域名7>***</現在の地域名7><現在の地域名8>***</現在の地域名8><現在の地域名9>***</現在の地域名9><現在の地域名10>***</現在の地域名10><現在の地域名11>***</現在の地域名11><現在の地域名12>***</現在の地域名12><現在の地域名13>***</現在の地域名13><現在の地域名14>***</現在の地域名14><関連小学校1_学校名>松原市立三宅小学校</関連小学校1_学校名><関連小学校1_学校コード>B127210007397</関連小学校1_学校コード><関連小学校2_学校名>***</関連小学校2_学校名><関連小学校2_学校コード>***</関連小学校2_学校コード><関連小学校3_学校名>***</関連小学校3_学校名><関連小学校3_学校コード>***</関連小学校3_学校コード><関連小学校4__学校名>***</関連小学校4__学校名><関連小学校4_学校コード>***</関連小学校4_学校コード><関連小学校5_学校名>***</関連小学校5_学校名><関連小学校5_学校コード>***</関連小学校5_学校コード><関連小学校6_学校名>***</関連小学校6_学校名><関連小学校6_学校コード>***</関連小学校6_学校コード><関連小学校7_学校名>***</関連小学校7_学校名><関連小学校7_学校コード>***</関連小学校7_学校コード><キーワード1>妻屋秀員</キーワード1><キーワード2>歌人</キーワード2><キーワード3>庄屋</キーワード3><キーワード4>先人</キーワード4><キーワード5>積翠集</キーワード5><キーワード6>烏丸光栄</キーワード6><キーワード7>三宅</キーワード7><キーワード8>住吉大社</キーワード8><キーワード9>***</キーワード9><キーワード10>***</キーワード10></row>
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