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    [2,"","昭和34年 8月31日","上海生まれ。経営危機にあった佐世保船舶工業株式会社（現・佐世保重工業株式会社）に自社船タンカー(オリエンタルジャイアンツ号・7万ﾄﾝ）を発注し、会社の再建と市経済の振興に大きく寄与された。"],
    [3,"","昭和35年11月28日","戦前戦後を通じ衆議院議員、県議会議員、市議会議長を歴任。昭和21年、公選第一期の佐世保市長となり、戦後壊滅に瀕した本市の復興と再建に尽くし（軍港都市転換法制定、海上自衛隊総監部誘致や西海国立公園指定など）、今日の繁栄の基礎を築いた(昭和35年長崎県知事表彰)。"],
    [4,"","昭和41年 4月 1日","佐世保市生まれ。和歌山に転じ、衆議院議員、国務大臣、衆議院議長を歴任。佐世保船舶工業株式会社（現・佐世保重工業株式会社）の設立、海上自衛隊や労災病院の誘致に奔走し、名切谷米軍住宅移転の中央交渉に尽力された（昭和42年11月秋、勲一等旭日大綬章受章）。"],
    [5,"","昭和41年 4月 1日","親和銀行頭取、戦後佐世保市復興委員長、商工会議所会頭の要職につかれる。衆議院議員、運輸大臣、大蔵大臣など国政に参与。日ソ東欧貿易会長等国際的にも活躍され、本市の建設に貢献された(昭和39年秋、勲二等旭日重光章）。"],
    [6,"","昭和46年12月11日","市助役を経て、昭和30年から2期8年間、佐世保市長を歴任。特需減退後の危機に瀕した市財政を立て直し、小中学校校舎増改築、国立工業高等専門学校の誘致、佐世保市亜熱帯動植物園、鹿子前観光道の建設などに貢献され、旧軍用財産の平和産業文化施設建設に尽力された。"],
    [7,"","昭和47年 9月 2日","市議会議員を3期12年務め、またその間副議長を歴任。商工会議所会頭時代、佐世保船舶工業株式会社（現・佐世保重工業株式会社）の設立に尽力された。長崎県公安委員長、九州相互銀行・前身九州無尽株式会社の取締役社長として戦前戦後12年にわたり金融機関指導者として、また海上自衛隊総監部の誘致にも尽力された。"],
    [8,"","昭和51年10月22日","本市経済界長老として商工業や教育、福祉などの要職を歴任（民生委員53年、保護司17年、調停委員27年ほか）。経営難に陥った佐世保重工業株式会社の救済にも尽力された。"],
    [9,"","昭和53年 7月 7日","佐世保重工業株式会社の経営危機に際し、日本商工会議所会頭・海運造船合理化審議会会長として政府、金融機関、関係株主間を奔走して救済に務められた。"],
    [10,"","昭和53年12月21日","株式会社親和銀行の頭取として、中小企業の指導育成に尽力されたほか、商工会議所会頭として、佐世保市経済界の中心になって活躍された。"],
    [11,"","昭和55年10月 6日","市議会議長、商工会議所会頭を務め、昭和38年から4期16年間市長。前畑埠頭、弓張岳展望台建設、ＳＳＫバイパス開通、刑務所移転、第三ドッグ返還、名切谷・崎辺返還等に尽力され、最も激動期の市長として多大の貢献をされた(昭和48年春、勲三等旭日中綬章、平成元年9月6日従四位)。"],
    [12,"","平成21年 3月21日","平成20年12月、世界的に最も権威があり、科学分野における最高峰のノーベル化学賞を受賞された。本市に縁故の深い氏のノーベル賞受賞は、佐世保市民に大きな喜びと感動を与え、特にこども達や青少年に明るい夢と希望をもたらすなど、その功績は卓絶で類を見ないものである（平成20年文化勲章、平成30年11月16日叙三位）。"],
    [13,"","令和元年12月 4日","平成22年3月にハウステンボス株式会社の代表取締役社長に就任し、長期にわたり赤字であった同社を短期間で黒字化するとともに、本市観光産業を牽引する状況にまで経営改善された。"],
    [14,"資料：総務部秘書課","",""]
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