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    [1,462187,"","鹿児島県","霧島市","霧島神宮本殿　幣殿　拝殿　附　棟札二枚","キリシマジングウホンデン　ヘイデン　ハイデン　ツケタリ　ムナフダ2マイ","","","国宝","建造物","","霧島市霧島田口2608-5","",31.85895,130.87176,"","","","","","","2022-02-09","","","","","","","","","本殿の規模は全国的に見ても大きく、内陣（ないじん・神を祀る最奥部）まで華麗に装飾されています。高低差がある本殿と拝殿（はいでん）を幣殿（へいでん）で繋ぎ、一棟の建物となっています。建物全体が彫刻や絵画でくまなく装飾され、極彩色・漆塗・朱塗で豪華に彩られていて、近世に発達した建築装飾意匠の集大成のひとつとされます。本殿の龍柱（りゅうばしら・龍が彫刻された向拝柱）などをはじめ、東アジアの文化を取り入れた社殿でもあることから文化史的な意義も深いとされます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [2,462187,"","鹿児島県","霧島市","霧島神宮登廊下　勅使殿　附　境内社門守神社二棟　神饌所一棟","キリシマジングウノボリロウカ　チョクシデン　ツケタリ　ケイダイシャカドモリジンジャ2トウ　シンセンジョ1トウ","","","重要文化財","建造物","","霧島市霧島田口2608-5","",31.858692,130.871423,"","","","","","","1989-05-19","","","","","","","","","霧島神宮社殿は高低差を利用して建てられていて、正面平地にある勅使殿（ちょくしでん）と、斜面上の拝殿を登廊下で繋いでいます。勅使殿は唐破風で、松や唐獅子牡丹など彫刻で彩られています。登廊下と勅使殿は1715年に建築された建物であり、社殿を構成する主要な建物として重要文化財に指定されています。勅使殿の前には、境内を守る門守神社（かどもりじんじゃ）が2棟並んで配置され、また、登廊下の西側には渡り廊下で繋がった神饌所（しんせんしょ・お供え物などの準備を行う場所）があり、同時期に建てられたものとして附（つけたり）指定されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [3,462187,"","鹿児島県","霧島市","鹿児島神宮本殿及び拝殿　勅使殿　摂社四所神社本殿　附　棟札一枚","カゴシマジングウホンデンオヨビハイデン　チョクシデン　セッシャシショジンジャホンデン　ツケタリ　ムナフダ1マイ","","","重要文化財","建造物","","霧島市隼人町内2496","",31.7536953,130.7378814,"","","","","","","2022-02-09","","","","","","","","","鹿児島神宮は、社伝によると和銅元年（708）に創建されたとされ、彦火火出見尊と豊玉比売命が主祭神として祀られています。『延喜式』（延長5年（927）にまとめられた律令の施行細則）に鹿児島神社の名で薩摩、大隅、日向で唯一の大社として記載されています。平安時代に八幡神が勧請され八幡正宮や大隅正八幡宮と呼ばれるようになりました。社殿は平安時代後期から戦国期にかけて数回の火災に遭い、その都度再建されてきました。現在の社殿は慶長6年（1601）に造営された社殿がシロアリによって傷みが激しくなったため、宝暦5年（1755）に島津重年の寄進によって工事が始まり、翌年、島津重豪の代に竣工しました。また、摂社四所神社本殿も棟札によって建立年が明らかで、本殿等と同じ計画で建てられたことが分かっており、境内の摂社では建立当時の建物として唯一残っています。なお、工事の経緯については、社殿の西側にある鹿児島県指定有形文化財の「正宮造替の石灯籠」に詳しく書かれています。本殿は九州でも最大規模で、本殿向拝龍柱や勅使殿の龍の持送など、要所に配した彫刻には地方的特色がみられ、本殿の壁画や拝殿の天井画に加え、極彩色と漆塗で仕上げた仕様など、いずれの建物も豪華で質が高いです。また、全ての建物の柱間の寸法は統一され、高低差を巧みに利用して構成した一体的な計画も特筆され、南九州の近世神社建築を代表する建築として高く評価されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [4,462187,"","鹿児島県","霧島市","鹿児島県上野原遺跡出土品","カゴシマケンウエノハライセキシュツドヒン","","","重要文化財","美術工芸品","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","1998-06-30","","","","","","","","","上野原遺跡から出土した縄文時代早期後葉（約8,600年前）の一括資料767点が国の重要文化財に指定されています。出土品は、深鉢形土器、壷形土器、鉢形土器、石器、土偶、耳飾など多岐にわたり、埋納された2対の完形の壷形土器等、祭りなどの儀式に使われていたものもあったと考えられます。当時の人々の生活や、精神文化を知る手がかりとなる貴重な資料です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [5,462187,"","鹿児島県","霧島市","鹿児島県前原遺跡出土品","カゴシマケンマエハライセキシュツドヒン","","","重要文化財","美術工芸品","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2012-09-06","","","","","","","","","","","",""],
    [6,462187,"","鹿児島県","霧島市","鹿児島県三角山遺跡出土品","カゴシマケンサンカクヤマイセキシュツドヒン","","","重要文化財","美術工芸品","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2019-07-23","","","","","","","","","","","",""],
    [7,462187,"","鹿児島県","霧島市","大隅国分寺跡　附　宮田ヶ岡瓦窯跡","オオスミコクブンジアト　ツケタリ　ミヤタガオカカワラカマアト","","","史跡","","","霧島市国分中央一丁目1794、1792","",31.7411258,130.7713344,"","","","","","","1921-03-03","","","","","","","","","奈良時代に聖武天皇が、天平13年に国家の鎮護と五穀豊穣を祈って、国ごとに僧寺と尼寺の建立を命ずる勅令を出しました。国分の名の由来となった大隅国分寺は、奈良時代末期から平安時代初期にかけて建てられたといわれています。今では、康治元年（1142）の銘のある六重層塔と石像にその名残をとどめています。平成16年5月には、姶良市の宮田ヶ岡瓦窯跡が、大隅国分寺の瓦を作成した窯として追加指定されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [8,462187,"","鹿児島県","霧島市","上野原遺跡","ウエノハライセキ","","","史跡","","","霧島市国分川内字田吹外","",31.713889,130.801065,"","","","","","","1999-01-14","","","","","","","","","上野原遺跡は、国分上野原テクノパーク（工業団地）建設に先立ち平成4年度から発掘調査を開始しました。その成果として縄文時代早期前葉（約10,600年前）から弥生時代までの遺跡・遺物が見つかりました。集落には、竪穴住居跡52軒、石蒸料理の施設と考えられている集石が39基、燻製を作ったと思われる連穴土坑が16基見つかり、その他土器や石器などが出土しました。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [9,462187,"","鹿児島県","霧島市","隼人塚","ハヤトヅカ","","","史跡","","","霧島市隼人町内山田265-3","",31.74065,130.73685,"","","","","","","1921-03-03","","","","","","","","","康治元年（1142）の刻銘のある大隅国分寺の石塔との比較や発掘調査の成果などから、隼人塚石塔も今からおよそ1000年ほど前の平安時代後期の建造物と見られています。広さ約50平方メートル、高さ約2メートル余りの丘の上に、五重石塔3基と四天王石像4体が立っています。建立については「殺されたクマソ・隼人の霊を慰めるために建てられた」とか「正国寺という寺の跡」などの諸説があります。平成10年から11年にかけて、石塔と石像の復元工事が行われ、創建当時の姿が蘇りました。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [10,462187,"","鹿児島県","霧島市","大隅正八幡宮境内及び社家跡","オオスミショウハチマングウケイダイオヨビシャケアト","","","史跡","","","霧島市隼人町内、内山田、神宮","",null,null,"","","","","","","2013-10-17","","","","","","","","","鹿児島神宮は、中世「大隅正八幡宮」・「国分八幡」などと呼ばれ、四社家を中心に、正八幡宮を支える神職が数多く居住していました。また、正八幡宮の別当寺として現在の宮内小学校に弥勒院がありました。四社家とは「桑幡氏」「留守氏」「沢氏」「最勝寺氏」のことで、なかでも「桑幡氏館跡」は南北90メートル、東西100メートルの方形区画の敷地があったと考えられています。大隅正八幡宮は、この頃大隅国の一宮とされ、国の4割強を勢力下に置き繁栄しました。境内と弥勒院跡をはじめ、四社家の館跡から国内の土器や陶器、中国や東南アジア等海外の陶磁器が多量に出土しました。このことから、京都や鎌倉、琉球や東南アジアとの異文化交流の拠点であったことが確認できる稀有な遺跡です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [11,462187,"","鹿児島県","霧島市","ノカイドウ自生地","ノカイドウジセイチ","","","天然記念物","","","霧島市牧園町えびの高原","",31.94338,130.84051,"","","","","","","1923-03-07","","","","","","","","","国の天然記念物「ノカイドウ自生地」は、鹿児島・宮崎両県のえびの高原にあります。ノカイドウは、えびの高原の渓流沿いに自生しているバラ科リンゴ属の落葉小高木の植物で、5月上旬に薄桃色がかった白い花をいっせいに咲かせます。ノカイドウは、明治42年（1909）に牧野富太郎博士によって発表され、大正12年（1923）に内務省が国の天然記念物に指定しました。世界中でえびの高原とその周辺にしか自生しない貴重な植物です。現在、約300株（鹿児島県内は約70株）しか自生していません。高木層の被圧やシカの剥皮などにより絶滅の恐れもあることから、環境省のレッドデーターブックでは絶滅危惧IA類に分類されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [12,462187,"","鹿児島県","霧島市","天降川流域の火砕流堆積物","アモリガワリュウイキノカサイリュウタイセキブツ","","","天然記念物","","","霧島市隼人町嘉例川字山城3557番地　先","",31.8481889,130.7368849,"","","","","","","2013-03-27","","","","","","","","","牧園町と横川町、隼人町が接する天降川の中流域では、加久藤カルデラ（約30万年前）と阿多カルデラ（約10万年前）、姶良カルデラ（約2万9千年前）から噴出した火砕流が連なって露出しており、地質学的に貴重な地域です。また、水の流れによって回転した軽石などが、軟弱な岩盤を削ってできた甌穴群を見ることができる点も貴重です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [13,462187,"","鹿児島県","霧島市","台明寺日枝神社本殿","ダイミョウジヒエジンジャホンデン","","","県指定有形文化財","建造物","","霧島市国分台明寺1103","",31.7767114,130.8146894,"","","","","","","2017-04-21","","","","","","","","","国分平野の郡田川の上流の谷間にあった「台明寺」は、古記録によると天武天皇元年（673）の創建とあるが、国分府中にある大隅国府の東北（鬼門）方向にあることから国家を鎮護する寺院として、鎌倉時代からは祈祷寺院として発達してきました。日枝神社は、台明寺の守護社として創建されたと考えられます。日枝神社の社殿については、創建は建仁3（1203）年とありますが、「正徳5年宝殿ノ新築アリシヨリ茲二八三年」「近年頗ル破壊ニ傾キタルヲ以テ改築等ノ事ヲ企テ　工ヲ明治廿年二月ニ起シ・・」と『日枝神社明細書』に書かれていることから、江戸時代中期と明治時代に大修復したことが分かります。日枝神社の本殿は、正面の間口が7間で奥行が2間の形をしており、極端に奥行が浅い構造（七間社流造）となっています。間口が7間の本殿を持つ神社は極めて少なく、西日本では大阪の吉志部神社の本殿に見られますが、奥行は3間であり、奥行2間の形状は非常に珍しく貴重な社殿様式となっています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [14,462187,"","鹿児島県","霧島市","正宮造替の石灯籠","ショウグウツクリカエノイシドウロウ","","","県指定有形文化財","建造物","","霧島市隼人町2496","",31.7536668,130.7377285,"","","","","","","2014-04-22","","","","","","","","","宝暦6 (1756)年に、正宮（現在の鹿児島神宮）内に奉納寄進された「琴柱灯籠」と呼ばれる2脚付の石灯籠です。脚の表側には、宝殿の改築について銘文が刻まれており、正宮造替を明示する貴重な資料です。また、常夜灯として献灯された本灯籠は、江戸中期から存続する稀少な変形灯籠の一種であり、修復等もなく、ほぼ完形で残っているということから、非常に貴重です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [15,462187,"","鹿児島県","霧島市","旧田中家別邸　附　棟札一枚","キュウタナカケベッテイ　ツケタリ　ムナフダ1マイ","","","県指定有形文化財","建造物","","霧島市福山町福山2926","",31.6776062,130.8159952,"","","","","","","2006-04-21","","","","","","","","","旧田中家別邸は、田中省三が郷里の福山に建てた別荘です。昭和50年3月に旧福山町で庭園が町の文化財に指定され、別邸は平成18年4月に「旧田中家別邸　附　棟札一枚」という名称で県の有形文化財（建造物）に指定されました。敷地は、約1,320坪あり、庭園は池水式庭園で別邸の東南に位置し、灯籠や樹木それに巨石を並べたすばらしいものです。別邸は、「座敷と次の間」「洋間」「居住部分」「台所」「蔵」の5つの部分から構成され、座敷と次の間は東南に面し、桜島を眺望できる空間になっています。洋間の天井中央に設けたシャンデリア上の飾り、大理石使用のマントルピース（暖炉の上の飾り棚）、漆喰飾り等の室内装飾は、県内ではあまり見られない貴重な作りとなっています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-fukuyama.html",""],
    [16,462187,"","鹿児島県","霧島市","霧島民芸村","キリシマミンゲイムラ","","","県指定有形文化財","建造物","","霧島市霧島田口2458番地1","",31.85494,130.86975,"","","","","","","2019-04-19","","","","","","","","","霧島民芸村は、建坪300坪の巨大木造建築で、昭和15年（1940）に作られました。戦時下の教育に対応すべく、中堅指導者の再教育を目的として建てられたものです。主屋である展示販売棟は屋久杉の格天井の84畳敷の大広間があり、周りに廊下にまわしている寝殿造に倣った建築です。屋根は鉄平石で葺かれており、県内では唯一です。廊下でつながっている旧遥拝殿には昭和天皇に下賜されたという2本の床柱が正面の床の間に安置されていて、三方に廊下を廻している観音堂風の伝統建築です。現在、陶芸等の工房棟として使われている場所は、畳敷きの宿泊所として使用されていたと考えられます。寝殿造に倣った伝統建築であり、県内で最大規模の木造建築であり、戦時下に建てられた研修施設がそのまま残っているという点で非常に貴重です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [17,462187,"","鹿児島県","霧島市","正国寺跡石仏　三躯","ショウコクジアトセキブツ　3ク","","","県指定有形文化財","","霧島市立隼人塚史跡館","霧島市隼人町内山田287-1","",31.740032,130.736239,"0995-43-7110","","","","","","1997-04-21","火水木金土日","09:00","17:00","月曜日が祝日の場合、火曜日は利用不可。また、12/29、12/30、12/31、1/1、1/2、1/3は終日利用不可。","","","","","3躯のうち、光背を背負い高肉彫りに掘り出された如来形坐像と菩薩形立像は、いずれも光背全面に康治元年（1142）の陰刻銘があり、製作年がわかる貴重な遺品です。首の折れた坐像は平安時代の丸彫刻として、現在残っているものが極めて少ない貴重なものです。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [18,462187,"","鹿児島県","霧島市","鹿児島神宮文書","カゴシマジングウモンジョ","","","県指定有形文化財","","鹿児島神宮","霧島市隼人町内2496","",31.7536953,130.7378814,"0995-42-0020","","","","","","1987-03-16","","","","","","","","","鹿児島神宮の文書は、神宮所蔵となっている『正八幡宮神官命婦職補任状（みょうぶしきぶにんじょう）』（養和元年（1181））や、永久寄託された『酒井季時正宮修理識補任状（さかいすえときしょうぐうしゅうりしきぶにんじょう）』（保安2年（1121））等を合わせ、中世から近世までの文書22通からなっています。巻物仕立（6巻）で桐箱に収納され、同神宮宝殿に保管されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [19,462187,"","鹿児島県","霧島市","京田遺跡出土木簡","キョウデンイセキシュツドモッカン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2002-04-23","","","","","","","","","","","",""],
    [20,462187,"","鹿児島県","霧島市","城ヶ尾遺跡出土品","ジョウガオイセキシュツドヒン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2004-04-20","","","","","","","","","福山町佳例川の城ヶ尾遺跡から縄文時代早期後葉（約7,500年前）の深鉢形土器1点と壷形土器3点が完形に近い状態で、また口縁部を上にして直立した状態で出土しました。これらの土器は、製作された後さらに熱を受けて埋設されていること、遺跡内で一番高い場所から出土したことなどから、祭祀的な行為との関連性も考えられます。当時の人々の観念・思想などの精神文化を知るうえで貴重な資料です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-fukuyama.html",""],
    [21,462187,"","鹿児島県","霧島市","耳取遺跡出土品","ミミトリイセキシュツドヒン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2008-04-22","","","","","","","","","","","",""],
    [22,462187,"","鹿児島県","霧島市","堂平窯跡出土品","ドビラガマアトシュツドヒン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2010-04-23","","","","","","","","","","","",""],
    [23,462187,"","鹿児島県","霧島市","宮ノ上遺跡出土品","ミヤノウエイセキシュツドヒン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2011-04-19","","","","","","","","","","","",""],
    [24,462187,"","鹿児島県","霧島市","中尾地下式横穴墓出土品","ナカオチカシキヨコアナボシュツドヒン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2013-04-23","","","","","","","","","","","",""],
    [25,462187,"","鹿児島県","霧島市","南摺ヶ浜遺跡出土品","ミナミスリガハマイセキシュツドヒン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2014-04-22","","","","","","","","","","","",""],
    [26,462187,"","鹿児島県","霧島市","山ノ口遺跡出土品","ヤマノクチイセキシュツドヒン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2015-04-17","","","","","","","","","","","",""],
    [27,462187,"","鹿児島県","霧島市","天神段遺跡出土品","テンジンダンイセキシュツドヒン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2016-04-19","","","","","","","","","","","",""],
    [28,462187,"","鹿児島県","霧島市","町田堀遺跡出土品","マチダボリイセキシュツドヒン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2018-04-20","","","","","","","","","","","",""],
    [29,462187,"","鹿児島県","霧島市","面縄貝塚出土品","オモナワカイヅカシュツドヒン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2019-04-19","","","","","","","","","","","",""],
    [30,462187,"","鹿児島県","霧島市","中甫洞穴出土品","ナカフドウケツシュツドヒン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2020-04-28","","","","","","","","","","","",""],
    [31,462187,"","鹿児島県","霧島市","出水貝塚出土品","イズミカイヅカシュツドヒン","","","県指定有形文化財","","鹿児島県立埋蔵文化財センター","霧島市国分上野原縄文の森2-1","",31.71089,130.80174,"0995-48-5811","","","","","","2021-04-23","","","","","","","","","","","",""],
    [32,462187,"","鹿児島県","霧島市","鹿児島神宮所蔵陶磁器","カゴシマジングウショゾウトウジキ","","","県指定有形文化財","美術工芸品","鹿児島神宮","霧島市隼人町内2496","",31.7536953,130.7378814,"0995-42-0020","","","","","","2010-04-23","","","","","","","","","鹿児島神宮に宝物として伝えられてきている陶磁器の中に、14～16世紀に作られた中国産7点、タイ産1点の計8点と、19世紀に作られたそれらの写し8点の計16点があります。写しについては、形状や青磁色などほぼ同じものが再現されており、乾燥や焼成などによる変形や発色の違いといった偶然の要素を克服し完成させた、当時の陶工の技量の高さに驚きます。当時の技法を伝えるものとして非常に貴重なものです。また、中国産、タイ産の陶磁器についても、渡来品である点、写しの見本となった点において貴重なものです。近年、神宮周辺の発掘調査においても海外の陶磁器片が多数出土しています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [33,462187,"","鹿児島県","霧島市","安良神社の仮面","ヤスラジンジャノカメン","","","県指定有形民俗文化財","","霧島市立横川郷土館","霧島市横川町中ノ192-7","",31.9029287,130.706656,"0995-72-1596","","","","","","2007-04-24","火水木金土","09:00","17:00","祝日または、12/29、12/30、12/31、1/1、1/2、1/3は終日利用不可。","","","","","安良神社には、12枚の仮面が所蔵されています。中でもこの阿吽一対の面は、阿形に貞和5年（1349）11月の銘があるなど大変貴重です。吽形の面の裏面には、奉納の趣旨と奉納者名、奉納年月日が墨書されています。造形的には獅子頭、王鼻系統で先払い・先導の役に使用された物と考えられます。貞和5年に藤原長親が社殿を改築したとき、その社殿を守護するために入り口に掲げた掛面（辟邪面）であったと考えられています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [34,462187,"","鹿児島県","霧島市","宮内の田の神","ミヤウチノタノカミ","","","県指定有形民俗文化財","","","霧島市隼人町内山田1805","",31.7532607,130.7374861,"","","","","","","1968-03-29","","","","","","","","","この田の神像は、鹿児島神宮下の御神田の場所に鎮座しています。灰白質の粗い石質で作られ、顔は翁面に似て横幅広く、顎ひげがあります。高さ91cmで大きなシキをかぶり、右手にメシゲ、左手には椀を抱えるように持っています。農作業姿神舞型の典型的なものです。天明元年（1781）造立。旧暦5月5日（今はこれに近い日曜日）の鹿児島神宮のお田植祭には、この前に祭壇が作られ、田の神舞が奉納され、早乙女早男が田植えをします。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [35,462187,"","鹿児島県","霧島市","霧島神宮お田植祭り","キリシマジングウオタウエマツリ","","","県指定無形民俗文化財","","","霧島市霧島田口2608-5","",31.858692,130.871423,"","","","","","","1991-03-22","","","","","","","","","昭和53年4月1日、町の文化財に指定されましたが、さらに平成3年3月15日、県無形民俗文化財に指定されました。田の神舞は、旧暦2月4日に霧島神宮で五穀豊穣を祈願する御田植祭が行われますが、この時、神宮の社人である児玉・橋元両家の人たちが神舞を奉納するしきたりで、300年位前から先祖代々引き継がれてきています。毎年、旧暦2月4日午前10時から祭事が始まり、第一声の太鼓と共に御神牛が「モー」と鳴いて境内を暴れ回り、祭事が終わると同時に御田植の神事が始まります。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [36,462187,"","鹿児島県","霧島市","赤水の岩堂磨崖仏","アカミズノイワドウマガイブツ","","","県指定史跡","","","霧島市横川町下ノ赤水梅ノ木迫","",31.8436571,130.7321173,"","","","","","","1982-05-07","","","","","","","","","横川町下ノ梅ノ木迫の山中崖下にある南北朝時代の磨崖仏です。天降川上流の深い渓谷にある傾斜角約80度の凝灰岩の山肌に彫られています。地上1.6mの所を底辺として高さ1.4m、幅3.5m、奥行き0.455mをくり抜いて、中に来迎形（らいごうがた）弥陀三尊（みださんぞん）をレリーフ状に掘り出してあります。鹿児島県の磨崖仏としては、鹿児島市の清泉寺跡、川辺の磨崖仏群に次ぐ古さで、造形的に鎌倉期の様式を残しています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [37,462187,"","鹿児島県","霧島市","高座神社の社叢","タカクラジンジャノシャソウ","","","県指定天然記念物","","高座神社","霧島市国分川原108","",31.7453595,130.7931475,"","","","","","","1989-03-22","","","","","","","","","高座神社は城山公園の北東部の山腹に位置し、周りは山間地帯となっています。その中に鎮座する神社を囲むように社叢（神社の森）が生い茂り、神社の境内にはナギとイチイガシの両巨木が育成しています。ナギは樹齢800年以上の巨木で現生するナギの単木としては日本最大級といわれています。また、イチイガシも樹齢300年以上の巨木で県内最大級といわれています。このように2種の巨木が同境内に自生していることは大変珍しく貴重なものです。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [38,462187,"","鹿児島県","霧島市","福山のイチョウ","フクヤマノイチョウ","","","県指定天然記念物","","宮浦宮","霧島市福山町福山2437","",31.6710567,130.8194732,"","","","","","","1964-06-05","","","","","","","","","宮浦宮境内に並び立つイチョウは、神武天皇ご東征前の仮の宮居であったことを記念して植えられたと伝えられています。昭和39年6月に鹿児島県の天然記念物に指定されました。向かって右の木は,寛政3年（1791）の大火で火傷を受け、左の木には、明治10年戦役で小島から官軍の砲弾を受け、幹に弾痕が見られます。右側が樹高38m、幹周り7.55m、左側が樹高38.6m、幹周り7.6m、共に樹齢1000年以上といわれています。春先には、樹幹に若葉を付け、秋は黄葉、初冬になると境内が黄色のじゅうたんを敷きつめたようになり風情があります。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-fukuyama.html",""],
    [39,462187,"","鹿児島県","霧島市","朱門","アカモン","","","市指定有形文化財","建造物","","霧島市国分中央二丁目5-1","",31.7406144,130.7734042,"","","","","","","1976-02-01","","","","","","","","","舞鶴城は、島津義久が慶長9年（1604）隼人の富隈城から移り住んだ日常生活をする館造りの城でした。「国分諸古記」によると城は89間四方あり、その中の約50間四方が石垣に囲まれ、屋形があったようです。朱門は舞鶴城内にあったと考えられていますが、その場所ははっきりしていません。昭和50年に国分市制20周年事業の一環として修復し、ゆかりの舞鶴城の石垣前に復元されていましたが、平成18年に国分小学校のグラウンドへ移設されました。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [40,462187,"","鹿児島県","霧島市","金山橋（第三橋）","キンザンバシ（ダイ3キョウ）","","","市指定有形文化財","建造物","","霧島市溝辺町竹子上牟田","",31.8740207,130.6569132,"","","","","","","1991-11-08","","","","","","","","","竹子宮川内上牟田と旧横川町との境界を流れる久留味川に架かっています。迫持ち式（アーチ）の石橋です。明治12年頃、島津氏が山ヶ野金山の金鉱を運搬するために、加治木舌出しを起点とした道路を開きました。その折布越下の井出向の橋を金山橋（第一橋）、溝辺町有川大王橋を金山橋（第二橋）、上牟田橋を金山橋（第三橋）と命名したものです。欄干部分はすでに欠落していますが、保存状態は良好です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-mizobe.html",""],
    [41,462187,"","鹿児島県","霧島市","平熊の石橋及び石洗越　附　石洗越の碑・水神碑","ヒラクマノイシバシオヨビイシアライゴシ　ツケタリ　イシアライゴシノヒ・スイジンヒ","","","市指定有形文化財","建造物","","霧島市隼人町松永字平熊","",31.785742,130.7703073,"","","","","","","2005-07-06","","","","","","","","","平熊の石橋は、松永用水路上に架かる石橋です。人の渡る石橋というよりは、山から流れ出す谷川水が、用水路を越すための石橋といえます。石橋の上には石畳が敷かれ、谷川水はこれを越えて2mほどの落差の落としで排水されています。地元の人たちは、松永用水に直接流れ込んでいた谷川水が、大雨の時には溢れて用水路を決壊させるので、用水路を越す形に改造したと伝えています。石洗越の碑　安永6年（1777）　水神碑　宝暦11年（1761）","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [42,462187,"","鹿児島県","霧島市","辻の角の保食神社","ツジノカドノウケモチジンジャ","","","市指定有形文化財","建造物","","霧島市隼人町神宮五丁目154-1","",31.750733,130.7433871,"","","","","","","2005-07-06","","","","","","","","","辻の角の保食神社の建物は、元は宮内小学校の所にあった弥勒院脇の白鷺池の弁財天堂で、明治初年の廃仏毀釈の後、現在地に移築された物と伝えられます。神社本殿は、四尺四方の正方形の平面に入母屋造りの屋根を載せ、正面に唐破風が設けられています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [43,462187,"","鹿児島県","霧島市","高木家住宅　主屋　石倉","タカギケジュウタク　シュオク　イシクラ","","","市指定有形文化財","建造物","","霧島市隼人町真孝1011-2","",null,null,"","","","","","","2019-01-17","","","","","","","","","南日本銀行の前身である鹿児島無尽の創業に関わり、西国分村の村議でもあった高木時吉が昭和2年（1927）に建築した邸宅です。木造平屋の和風建築で、12畳半の洋館を応接間として併設しています。和風建築に洋間（洋館）が取り込まれていく過程を確認できます。300平方メートル超の邸宅建築であり、民間のものとしては県内随一の規模です。個人宅であるため、現在は非公開。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [44,462187,"","鹿児島県","霧島市","早鈴神社本殿","ハヤスズジンジャホンデン","","","市指定有形文化財","建造物","","霧島市隼人町小浜630","",31.7396338,130.6899781,"","","","","","","2019-01-17","","","","","","","","","早鈴神社は嘉吉4年（1444）に勧請されたと古記の棟札に記されている神社です。島津義久が雨乞いの歌を読んで奉納したことにより「雨乞いの宮」と呼ばれています。本殿の造りは三間社流造（さんげんしゃながれづくり）です。屋根は杮葺き（こけらぶき）で、両側端に鬼板を置いている珍しい形状になります。また、垂木が密に等間隔で整然と並んでいる本繁垂木（ほんしげたるき）の配列になっています。建物は、棟札の記述から元禄3年（1690）に建てられたものと考えられます。元禄期まで遡る神社建築は鹿児島県内では少なく、非常に貴重です。現在、本殿は覆屋に覆われていて外から見ることができませんが、この覆屋によって貴重な本殿が保護されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [45,462187,"","鹿児島県","霧島市","仁王像二基","ニオウゾウ2キ","","","市指定有形文化財","","","霧島市牧園町下中津川427","",31.8303,130.7736762,"","","","","","","1992-06-01","","","","","","","","","伊邪那岐神社（下中津川字後迫427）入口の階段を70mぐらい上がった両側に、高さ約2mの仁王像が1基ずつ建っています。仁王像は、仏教保護の石像として建立されたもので、この像は高尾山寺（和気清麻呂が流された寺）のものを移したといわれています。右側の仁王像は、目を見開き口を大きく開けて、両腕を腰に構えています。右手はしっかり拳をにぎっていますが、左手は手首から欠けています。左側の仁王像は、目を見開き口は一文字に結んでいます。右腕は拳をにぎり肩の高さまで持ち上げています。左の腕も拳をにぎって腰に構えています。この仁王像の背には、寛文8年（1668）3月吉日の銘があります。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [46,462187,"","鹿児島県","霧島市","九面","クメン","","","市指定有形文化財","美術工芸品","霧島神宮","霧島市霧島田口2608-5","",31.858118,130.872213,"0995-57-0001","","","","","","1978-04-01","","","","","","","","","今から300年位前、霧島神宮に祈願するために奉納された9つの面です。主に伎楽面・猿田彦面で、当時石工として有名な海老原源左衛門が奉納したと言われています。神面の数は9つで、この面を拝すれば工面（九面）がよくなるとのことで、拝観に訪れる人も多いです。また、工面がよくなるということから商工業者に信仰されて、屋号や商品などに使われています。但し、一般公開はされておりません。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [47,462187,"","鹿児島県","霧島市","宮浦宮の鎧","ミヤウラグウノヨロイ","","","市指定有形文化財","美術工芸品","霧島市立国分郷土館","霧島市国分上小川3819","",31.74094,130.78305,"0995-46-1562","","","","","","1986-12-11","火水木金土日","09:00","17:00","月曜日が祝日の場合、火曜日は利用不可。また、12/29、12/30、12/31、1/1、1/2、1/3は終日利用不可。","","","","","宮浦宮は、島津氏の高き崇拝を受けた社でした。この鎧は、島津氏が奉納されたもので江戸中期200年以上前のものであることが推察される革製です。霧島市福山は、島津氏の牧があった土地としても知られており、馬追の役人が着用していたものではないかと考えられます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-fukuyama.html",""],
    [48,462187,"","鹿児島県","霧島市","朱印状","シュインジョウ","","","市指定有形文化財","","霧島市立国分郷土館","霧島市国分上小川3819","",31.74094,130.78305,"0995-46-1562","","","","","","1994-05-31","火水木金土日","09:00","17:00","月曜日が祝日の場合、火曜日は利用不可。また、12/29、12/30、12/31、1/1、1/2、1/3は終日利用不可。","","","","","島津義久は、富隈在城中に琉球貿易に力を入れていました。琉球渡航の船には規定の印判が必要でしたが、島津氏はその印判の押された「琉球渡航朱印状」の発行許可権を幕府から与えられていました。この朱印状は、慶長7年（1602）に義久が大隅国富隈之湊住吉丸の船頭彦兵衛尉に与えたものです。彦兵衛は航海の術に優れていたとみえ、慶長14年の琉球出兵の時にも船頭として参加し、手柄を立て、新たに知行をあてがわれています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [49,462187,"","鹿児島県","霧島市","文政六年の道帳","ブンセイ6ネンノミチチョウ","","","市指定有形文化財","","霧島市立国分図書館","霧島市国分中央三丁目45-1","",31.74026,130.76353,"0995-64-0918","","","","","","2003-03-26","","","","","","","","","道帳は、国分郷内の道路を村ごとに詳細に調査したものです。道帳が出来上がる13年前に幕府御用の測量隊、伊能忠敬一行が、海岸地域の詳細な地図を作成しており、この測量結果に呼応して作成したものと思われます。国分郷の道帳と同じころ、「高山名勝誌」などの薩摩藩各地域の地誌も完成しており、これらをもとに藩全体の地誌を集大成したものが「三国名勝図会」であったと考えられています。このように、道帳は当時の国分地域の様子を知るうえで大変貴重なものです。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [50,462187,"","鹿児島県","霧島市","霧島神宮文書　二巻","キリシマジングウモンジョ　2カン","","","市指定有形文化財","","","霧島市霧島田口2608-5","",31.858118,130.872213,"","","","","","","1978-04-01","","","","","","","","","霧島神宮文書は霧島神宮の所蔵文書で、永禄6年（1563）の島津貴久願文（がんもん）（神仏に対して祈願の意図を表す文書）や島津義久寄進状、島津義弘書状、島津家久書状など、貴重な文書からなっています。巻物仕立てで二巻あります。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [51,462187,"","鹿児島県","霧島市","三累環頭大刀","サンルイカントウタチ","","","市指定有形文化財","","霧島市立国分郷土館","霧島市国分上小川3819","",31.74094,130.78305,"0995-46-1562","","","","","","1983-08-15","火水木金土日","09:00","17:00","月曜日が祝日の場合、火曜日は利用不可。また、12/29、12/30、12/31、1/1、1/2、1/3は終日利用不可。","","","","","昭和28年12月、向花小学校の校地拡張工事中に6振りの鉄剣と7本の鉄鏃（てつぞく）、土器類7個が掘り出されました。この遺跡を「亀ノ甲遺跡」といいます。この大刀は、6振りの鉄剣の中の1振りで柄頭に3個のC形の輪を重ねた装飾があるため、三累環頭大刀と呼ばれています。8世紀の頃に埋葬されたものと考えられます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [52,462187,"","鹿児島県","霧島市","城山山頂遺跡出土品","シロヤマサンチョウイセキシュツドヒン","","","市指定有形文化財","","霧島市立国分郷土館","霧島市国分上小川3819","",31.74094,130.78305,"0995-46-1562","","","","","","1999-08-18","火水木金土日","09:00","17:00","月曜日が祝日の場合、火曜日は利用不可。また、12/29、12/30、12/31、1/1、1/2、1/3は終日利用不可。","","","","","城山山頂遺跡（城山公園）から、5世紀前半の南九州で作られた土器（成川式土器）と近畿地方で作られたとされる土器（布留式土器）が同じ竪穴住居から出土しました。このことから、当時すでに近畿地方との交流があったことがわかります。また、これは古事記、日本書紀にも出てくるクマソ、隼人にも関係があるものとして大変貴重な資料です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [53,462187,"","鹿児島県","霧島市","橘木城跡供養塔","タチバナキジョウアトクヨウトウ","","","市指定有形文化財","","霧島市立国分郷土館","霧島市国分上小川3819","",31.74094,130.78305,"0995-46-1562","","","","","","1976-02-01","火水木金土日","09:00","17:00","月曜日が祝日の場合、火曜日は利用不可。また、12/29、12/30、12/31、1/1、1/2、1/3は終日利用不可。","","","","","重久の橘木城（西ノ城）跡には古石塔類が多数残存していましたが、観光開発により多数が散逸してしまいました。かろうじて難を逃れた2基の供養塔を国分郷土館に移設保存しています。いずれも正面に「南無阿弥陀仏」の6字が薬研彫りされています。南北朝時代の城主重久篤兼が建立したものとみられ、建武3年（1336）と暦応4年（1341）の刻銘があります。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [54,462187,"","鹿児島県","霧島市","十三仏","ジュウサンブツ","","","市指定有形文化財","","霧島市立国分郷土館","霧島市国分上小川3819","",31.74094,130.78305,"0995-46-1562","","","","","","2005-10-25","火水木金土日","09:00","17:00","月曜日が祝日の場合、火曜日は利用不可。また、12/29、12/30、12/31、1/1、1/2、1/3は終日利用不可。","","","","","十三仏とは、死者のため追善供養の法事を営むとき初七日から三十三年忌まで、十三回の年忌ごとに配される仏、菩薩のことで初七日の不動（ふどう）から釈迦（しゃか）、文殊（もんじゅ）、普賢（ふげん）、地蔵（じぞう）、弥勒（みろく）、薬師（やくし）、観音（かんのん）、勢至（せいし）、阿弥陀（あみだ）、阿閦（あしゅく）、大日（だいにち）、虚空蔵（こくうぞう）の十三仏です。県内では、他に薩摩川内市（旧樋脇町、旧入来町、旧川内市）、さつま町（旧宮之城町）、湧水町（旧栗野町）、出水市（旧野田町）、霧島市（旧隼人町）などにみられますが、この十三仏は「永正十一年（一五一四）」と刻まれており、県内最古級のものと考えられます。また、普通十三仏塔は1つの石碑に十三の仏種子を配していますが、個々の石碑に仏を施しているものは全国にも例が少なく、大変貴重です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [55,462187,"","鹿児島県","霧島市","日秀上人遺品関係資料","ニッシュウショウニンイヒンカンケイシリョウ","","","市指定有形文化財","","霧島市立隼人歴民館","霧島市隼人町内2496","",31.75455,130.7391,"0995-43-0179","","","","","","1985-07-05","火水木金土日","09:00","17:00","月曜日が祝日の場合、火曜日は利用不可。また、12/29、12/30、12/31、1/1、1/2、1/3は終日利用不可。","","","","","日秀上人は真言宗の高僧で、金峯山神照寺三光院というお寺を建てましたが、明治初年の廃仏毀釈によって日秀神社に変わりました。日秀上人は、永禄3年（1560）の鹿児島神宮の再建にも功績があったといわれています。日秀神社には上人に関する資料が多数残っており、現在は隼人歴史民俗資料館に展示してあります。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [56,462187,"","鹿児島県","霧島市","鹿児島神宮四天王石像","カゴシマジングウシテンノウセキゾウ","","","市指定有形文化財","","霧島市立隼人塚史跡館","霧島市隼人町内山田287-1","",31.740032,130.736239,"0995-43-7110","","","","","","1994-06-07","火水木金土日","09:00","17:00","月曜日が祝日の場合、火曜日は利用不可。また、12/29、12/30、12/31、1/1、1/2、1/3は終日利用不可。","","","","","神宮境内にある隼人歴史民俗資料館の庭から発見された石像。腰の辺りで二つに分断されています。兜を深くかぶり、大きく剥いた眼の造りなどが隼人塚四天王石像に非常によく似ていますが、神宮四天王石像の方は彫りがやや甘い感じがします。当地の四天王石像の流れや傾向を知る上で非常に貴重な資料です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [57,462187,"","鹿児島県","霧島市","神宮古印","ジングウコイン","","","市指定有形文化財","","鹿児島神宮","霧島市隼人町内2496","",31.7536953,130.7378814,"0995-42-0020","","","","","","1995-07-03","","","","","","","","","鹿児島神宮に古くから伝わる銅印で、元正天皇の奉納と伝えられています。印面の大きさ5.2cm四方。文面は「八幡宮印」。同印の押された古文書には、酒井季時補任状、保安2年（1121）、藤原太子補任状、養和元年（1181）、祢寝文書の大隅正八幡宮政所下文、保安2年などがあります。これから推察すると、神宮古印は800年以上も前の物であることは確かで、八幡宮（鹿児島神宮）の歴史を証明する証拠物件として価値が高い資料です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [58,462187,"","鹿児島県","霧島市","天孫降臨霧島九面太鼓","テンソンコウリンキリシマクメンダイコ","","","市指定無形文化財","","","霧島市牧園町高千穂3885-73","",null,null,"","","","","","","2012-04-01","","","","","","","","","昭和47年、霧島温泉商工会青年部の若者たちが霧島温泉に郷土芸能をつくろうと考え、霧島神宮に伝わる九つの面、いわゆる天孫降臨の神話にちなんで天降りの打法、演舞など基本的な所作を振り付けて創作したものです。基本的所作は、その昔アマテラスの命により、霧島神宮の御祭神（アメニギシクニニギシ　アマツヒタカ　ヒコホノニニギノミコト）が国ツ神サルタヒコの道案内を得て、霧島山高千穂峰に天降られた光景を表したもので、霧島温泉の若者たちが、その神話と伝説を後世に伝え残しているものです。現在は、女性だけの「和奏（わかな）」と中高生の「郷花（はるか）」も組織され、各地で活躍しています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [59,462187,"","鹿児島県","霧島市","止上神社の面","トガミジンジャノメン","","","市指定有形民俗文化財","","霧島市立国分郷土館","霧島市国分上小川3819","",31.74094,130.78305,"0995-46-1562","","","","","","2002-05-07","火水木金土日","09:00","17:00","月曜日が祝日の場合、火曜日は利用不可。また、12/29、12/30、12/31、1/1、1/2、1/3は終日利用不可。","","","","","国分重久にある止上神社は、仮面の所有数が県内で最も多く、全国的に見ても非常に珍しいものです。面の総数は54点で、信仰仮面のうち親王面が3点、王面が39点、大型鬼面が1点、芸能仮面のうち神舞面が11点となっています。仮面数が多いだけでなく、記銘入りのものも多く存在しており、また、仮面の種類から地域性がうかがわれ、大変貴重です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [60,462187,"","鹿児島県","霧島市","祝儀園の田の神","シュウギゾノノタノカミ","","","市指定有形民俗文化財","","","霧島市溝辺町竹子祝儀園","",31.8474819,130.6721185,"","","","","","","1982-06-01","","","","","","","","","溝辺町の北部、大字竹子祝儀園地区の水田地帯を見渡す国道504号線沿いにあります。上部に円のある板碑を背に座し、右手に大きなしゃもじを持った田ノ神像です。田植えの時には早苗、刈り入れの時は稲穂が供えられます。衣装はベニガラで、顔は米の粉で、目・鼻・口は墨で彩色され、きれいな姿で祭りに出る習わしでした。多少の風化は見られるものの、状態は良好です。地域の方々が花やお供え物をあげ、大事に保存しています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-mizobe.html",""],
    [61,462187,"","鹿児島県","霧島市","石原の田の神","イシハラノタノカミ","","","市指定有形民俗文化財","","霧島市立溝辺公民館（みそめ館）","霧島市溝辺町麓3391","",31.8256372,130.6870248,"0995-58-3391","","","","","","1982-06-01","","","","","","","","","像には、「天明四甲辰八月吉日奉寄進康申○有川一一○」と刻まれ、顔の下部分が一部欠けています。田植えには早苗が、刈り入れの時は稲穂が供えられました。衣装はベニガラで、顔は米の粉、目・鼻・口は墨で化粧して豊作を祈念していました。石原麦牟田地区の畦にあったものを工場敷地造成のため、昭和49年1月20日に旧中央公民館の庭に移転し、さらに、平成5年10月9日みそめ館（現溝辺公民館）の開館に合わせて現在地に移しました。以来、溝辺総合支所教育振興課で管理しています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-mizobe.html",""],
    [62,462187,"","鹿児島県","霧島市","紫尾田の田の神像","シビタノタノカミゾウ","","","市指定有形民俗文化財","","","霧島市横川町上ノ3104-1","",31.8950792,130.6637621,"","","","","","","2004-01-09","","","","","","","","","安良小学校入り口前の道路に面する高台の洞穴の中にあります。高さ60cmの衣冠（いかん）束帯型（そくたいかた）座像（神像型）で、背面に正保元年（1644）十一月吉日の銘が読みとれます。肢体はほぼ完全で郷士名の刻字が見られます。昔、紫尾田中郡の上の山中の洞穴にあったものを戦後移転しました。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [63,462187,"","鹿児島県","霧島市","迫田家の田の神像","サコダケノタノカミゾウ","","","市指定有形民俗文化財","","","霧島市横川町上ノ3470 ","",31.88427,130.68656,"","","","","","","2004-01-09","","","","","","","","","横川町上ノの迫田家の敷地内にあります。高さ40cmの神職型座像で、享保18年丑3月吉日の銘があります。両手首を欠損していますが、あぐらをかいて舌を出し、リラックスした容姿は特異なものが感じられます。姶良郡内でも古い年代のもので大変貴重です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [64,462187,"","鹿児島県","霧島市","古城の田の神像","フルジョウノタノカミゾウ","","","市指定有形民俗文化財","","","霧島市横川町上ノ2136-1","",31.901023,130.6451242,"","","","","","","2004-01-09","","","","","","","","","横川町古城地区の道路端にあります。高さ70cmの神職型で舟形後背にした半浮き彫りの田の神像です。享和3年3月3日（1803）の銘があり、三角形の烏帽子が特徴です。田の神像の顔にあんこ餅を塗りつける風習が今も受け継がれています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [65,462187,"","鹿児島県","霧島市","馬渡の田の神像","マワタリノタノカミゾウ","","","市指定有形民俗文化財","","","霧島市横川町下ノ960-1","",31.8745218,130.7088724,"","","","","","","2004-01-09","","","","","","","","","馬渡公民館の中にあります。高さ62cmの田の神舞神職型の田の神像で、寛政4年（1792）9月吉日の銘があります。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [66,462187,"","鹿児島県","霧島市","山住家の田の神像","ヤマズミケノタノカミゾウ","","","市指定有形民俗文化財","","","霧島市横川町下ノ3574","",31.8603502,130.7303928,"","","","","","","2004-01-09","","","","","","","","","横川町下ノの山住家の庭にあります。高さ61cmの神職型座像で、寛保3年（1743）の銘があります。姿態は精巧でリアルで刻字により年代及び庚申講を確定できます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [67,462187,"","鹿児島県","霧島市","黒葛原の田の神像","ツヅラバルノタノカミゾウ","","","市指定有形民俗文化財","","","霧島市横川町下ノ3963","",31.8789108,130.7262655,"","","","","","","2004-01-09","","","","","","","","","黒葛原用水路堰脇の草原に立っています。高さ78cmの神職型座像です。年代は不明ですが、享保八年（1724）以降ではないかと思われます。洋風を感じさせる一風変わった容姿が珍しい田の神です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [68,462187,"","鹿児島県","霧島市","田の神","タノカミ","","","市指定有形民俗文化財","","","霧島市牧園町持松竪神社境内","",31.8271369,130.80557,"","","","","","","1982-05-01","","","","","","","","","持松竪神社境内にある田の神は、享保20年（1735）7月吉日の銘があり、牧園町内では一番古い田の神です。衣冠の姿で両手を膝に置き角張った座像です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [69,462187,"","鹿児島県","霧島市","田の神","タノカミ","","","市指定有形民俗文化財","","","霧島市牧園町上中津川溝口","",31.8383461,130.7842456,"","","","","","","1982-05-01","","","","","","","","","上中津川溝口にある田の神は、高さ1mくらいの自然石に「御田之神」と刻んであり、宝暦12年（1762）の建立です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [70,462187,"","鹿児島県","霧島市","田の神","タノカミ","","","市指定有形民俗文化財","","","霧島市牧園町高千穂栗川","",31.87729,130.82449,"","","","","","","1982-05-01","","","","","","","","","高千穂栗川にある田の神は、雑木林の小高い丘の上にあり、高さ50cmくらいの自然石です。「御田之神」明和6年（1769）6月12日の銘があります。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [71,462187,"","鹿児島県","霧島市","湯本大権現碑","ユノモトダイゴンゲンヒ","","","市指定有形民俗文化財","","","霧島市隼人町姫城三丁目122","",31.77024,130.75792,"","","","","","","1987-03-31","","","","","","","","","旧隼人町姫城の清姫温泉内にあります。僧明源、鎌倉時代の永仁元年（1293）の銘があることから、碑の建てられたのは鎌倉時代の後半期で、明源というお坊さんがお湯の出たことを記念して、湯源に石をご神体として湯の神様を祭ったものと思われます。石碑の裏に永禄10年（1567）の追刻があります。それによれば、「石碑は地下5尺（約160cm）の所に埋まっていた。松慶というお坊さんが、4月中旬に3夜共に同じ夢を見て、石碑が地下にあることを知り、それを掘り出した。感激の余り、松慶は経緯を碑の裏に彫り、国土安穏・万民の幸せを祈り、再び碑を建て直した。」とあります。姫城地区の温泉の起源を知る上で重要な石碑です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [72,462187,"","鹿児島県","霧島市","小村新田のハンギリ出し","コムラシンデンノハンギリダシ","","","市指定無形民俗文化財","","","霧島市国分広瀬2096","",31.7078912,130.756407,"","","","","","","2023-07-20","","","","","","","","","国分広瀬の干拓潮遊池（潮だまり）で毎年8月16日にお盆の精進落としとして行われる伝統行事です。ハンギリと呼ばれる底の浅い馬の飼葉桶を板と孟宗竹でイカダとし、潮だまりに浮かべます。その上に乗って投網でエッナ（ボラの子ども）などの魚を獲る漁を行い、せごしにして酢味噌で食べます。江戸時代末期に小村新田を干拓した際、護岸や用水等のために潮だまりが造られました。水の管理のために水守りを置き、給料代わりに漁業権が与えられました。水守りなどが日を決めて許可書を発行し、エッナを獲らせたことが起源とされます。盆の精進落としとして行われる行事は希少で、地域の歴史と文化を伝えます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [73,462187,"","鹿児島県","霧島市","狭名田棒踊り","サナダボウオドリ","","","市指定無形民俗文化財","","","霧島市霧島田口（狭名田集落）","",null,null,"","","","","","","1970-06-20","","","","","","","","","この踊りの由来は色々な説があって、1つに定めにくいようです。ア.島津藩が士気を鼓舞するために、棒術を踊りに仕組みました。イ.薩摩独自の示現流の剣法を舞踏化したものです。ウ.伊勢神宮のお田植祭のお田植踊りをまねたものです。このように、色々な説があります。棒踊りは、昔からお田植祭や、農耕、祝事、神事の時に奉納されてきました。現在も、狭名田、田口、枦田、桂内の4集落で継承されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [74,462187,"","鹿児島県","霧島市","田口棒踊り","タグチボウオドリ","","","市指定無形民俗文化財","","","霧島市霧島田口（田口集落）","",null,null,"","","","","","","1970-06-20","","","","","","","","","この踊りの由来は色々な説があって、1つに定めにくいようです。ア.島津藩が士気を鼓舞するために、棒術を踊りに仕組みました。イ.薩摩独自の示現流の剣法を舞踏化したものです。ウ.伊勢神宮のお田植祭のお田植踊りをまねたものです。このように、色々な説があります。棒踊りは、昔からお田植祭や、農耕、祝事、神事の時に奉納されてきました。現在も、狭名田、田口、枦田、桂内の4集落で継承されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [75,462187,"","鹿児島県","霧島市","枦田棒踊り","ハシタボウオドリ","","","市指定無形民俗文化財","","","霧島市霧島田口（枦田集落）","",null,null,"","","","","","","1996-05-28","","","","","","","","","この踊りの由来は色々な説があって、1つに定めにくいようです。ア.島津藩が士気を鼓舞するために、棒術を踊りに仕組みました。イ.薩摩独自の示現流の剣法を舞踏化したものです。ウ.伊勢神宮のお田植祭のお田植踊りをまねたものです。このように、色々な説があります。棒踊りは、昔からお田植祭や、農耕、祝事、神事の時に奉納されてきました。現在も、狭名田、田口、枦田、桂内の4集落で継承されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [76,462187,"","鹿児島県","霧島市","桂内棒踊り","カツラウチボウオドリ","","","市指定無形民俗文化財","","","霧島市霧島田口（桂内集落）","",null,null,"","","","","","","1999-03-31","","","","","","","","","この踊りの由来は色々な説があって、1つに定めにくいようです。ア.島津藩が士気を鼓舞するために、棒術を踊りに仕組みました。イ.薩摩独自の示現流の剣法を舞踏化したものです。ウ.伊勢神宮のお田植祭のお田植踊りをまねたものです。このように、色々な説があります。棒踊りは、昔からお田植祭や、農耕、祝事、神事の時に奉納されてきました。現在も、狭名田、田口、枦田、桂内の4集落で継承されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [77,462187,"","鹿児島県","霧島市","十八日の馬","ジュウハチニチノウマ","","","市指定無形民俗文化財","","","","",null,null,"","","","","","","1987-03-31","","","","","","","","","旧暦1月18日（現在はそれに近い日曜日）に鹿児島神宮初午祭に奉納される「鈴かけ馬踊り」のこと。地元では祭り日に因んで、「十八日の馬」と呼んでいます。馬が太鼓・三味線・鉦の伴奏に合わせて首を振り、足でステップを踏みながら踊ります。その後を人間の踊り連が、ハンヤ節に似たテンポの唄に合わせて踊りながら付き従います。室町時代に日秀上人、島津貴久、正八幡神官・桑幡氏の3人が、一夜に馬頭観音のお告げを夢見て、馬頭観音堂を建てたことに由来するといわれています。牛馬守護・五穀豊穣・家内安全・厄除けなどを祈る伝統芸能です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [78,462187,"","鹿児島県","霧島市","川尻琉球人踊り","カワシリリュウキュウジンオドリ","","","市指定無形民俗文化財","","","霧島市隼人町見次川尻","",null,null,"","","","","","","1991-03-31","","","","","","","","","島津義久公が富隈城或いは舞鶴城に居城していた江戸時代の初め頃、琉球の人々との往来がありました。その行列を目にした川尻の人が行き交う行列を真似て三味線を弾き歌を歌いつつ、おもしろおかしく楽しい踊りを仕立てて伝え伝えてきた踊りが琉球人踊りそのものの始まりだと言われています。琉球風の髪型を紫の布で飾り、琉球がすりに、青の手甲に脚半・白の腰巻き・青の前掛けにわらじを履き、道行き、琉球人踊りやんばる・大和人（ヤマトチュウ）奴踊り・伊予節そして最後にまた道行きの五部構成で、鉦・太鼓・三味線に合わせて4つ竹を鳴らして踊ります。子供達は琉球がすりの右肩袖を脱ぎ、緋の襦袢に緋の腰巻きという姿で、踊りを披露します。手と手を、心と心を結び、喜び楽しみを共有し、世代時代世紀を乗り越え、集落の連携を拡げ固めながら、川尻集落の人々が代々受け継いできた琉球人踊りは、保存会のもと地区全体で踊りの伝承と披露に取り組んでいます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [79,462187,"","鹿児島県","霧島市","宝塔","ホウトウ","","","市指定史跡","","","霧島市国分府中町11-3","",31.7464028,130.7594617,"","","","","","","1974-06-01","","","","","","","","","府中の祓戸神社付近はかつて大隅の国府があったところといわれており、そのため近くにある宝塔も国府役人に関係するものと考えられています。宝塔は「法華経」が説く多宝如来と釈迦如来を本尊とする一重の塔ですが、密教では金剛界大日如来を表現しているといわれています。宝塔の形式は、基礎（方形の台）、塔身（壷形又は筒形）・笠（四角い屋根）・相輪（笠の上の部分）からなっています。この宝塔は造塔の様式から、鎌倉初期、税所氏のものだろうといわれています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [80,462187,"","鹿児島県","霧島市","島津義久の墓所","シマヅヨシヒサノボショ","","","市指定史跡","","金剛寺跡","霧島市国分中央二丁目3840-2","",31.7377986,130.7777237,"","","","","","","1999-08-18","","","","","","","","","城山公園の登り口、金剛寺跡に薩摩藩第16代藩主島津義久の墓があります。5m以上ある石造りの層塔で「妙谷寺殿貫明存忠庵主」と刻まれています。義久の遺体は鹿児島市の福昌寺に葬られましたが、その一部（抜歯といわれる）が祀られたものとされています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [81,462187,"","鹿児島県","霧島市","島津義久の墓","シマヅヨシヒサノハカ","","","市指定史跡","","徳持庵跡","霧島市国分上井5-2 ","",31.7236963,130.7778392,"","","","","","","2005-04-28","","","","","","","","","上井徳持庵跡の義久の墓は、廃仏毀釈で徳持庵が破壊された後、金襴の袋に納められていた分骨を、明治8年に埋葬した墓といわれています。「大國豊知主命」「慶長十六年辛亥正月二十一日」と刻まれた石塔で、文化財的に大変貴重です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [82,462187,"","鹿児島県","霧島市","真応上人石室","シンノウショウニンセキシツ","","","市指定史跡","","金剛寺跡","霧島市国分中央二丁目3842-1","",31.7375956,130.7775132,"","","","","","","1999-08-18","","","","","","","","","金剛寺跡の境内の南西に「お上人様」といわれ、今も人々の崇拝を集めるお堂があります。お上人様とは金剛寺10代住職真応上人のことで、お堂の後ろにある石室は、上人入滅のところです。元禄5年（1692）上人74歳のとき、三尺四方の石室を造り、その中にこもって昼は読経、仏像の彫刻、夜は念仏を唱えて当山守護のことを祈る日々を送りました。入室から7年、元禄11年（1698）80歳で入滅するまで、遠方からもその徳を慕って多くの人々が礼拝に訪れ、病や痛苦も除かれたと「真応上人修行記」にあります。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [83,462187,"","鹿児島県","霧島市","乗林寺深亮房覺遍の墓","ジョウリンジシンリョウボウカクヘンノハカ","","","市指定史跡","","","霧島市国分重久1720","",31.7728599,130.7902515,"","","","","","","2010-06-22","","","","","","","","","覺遍は尾群山錫杖院乗林寺の第32世の住持で、学徳ともに優れた名僧でした。彫刻家、仏師としても非凡な才能を持っていました。また、止上神社の鳥居再建の竣工式で祝詞をあげるなど多大な功績を残しました。覺遍の墓は高さ130cmを測り、基礎と軸部の側面に碑文があります。軸部の正面には月輪型の穴があり、中には「覺遍」と書かれた石の板が納められ、穴の周辺には蓮華などの装飾を巡らしています。一部に欠損があるものの、岩窟内部に納められているため、きわめて保存状況がよく、貴重な文化財です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [84,462187,"","鹿児島県","霧島市","溝辺城跡","ミゾベジョウアト","","","市指定史跡","","","霧島市溝辺町麓4644-1","",31.8033211,130.6979761,"","","","","","","1982-06-01","","","","","","","","","溝辺城は、薩・隅・日の地理纂考（薩摩・大隅・日向の一部の地誌を編集したもので、明治10年頃完成）に「溝辺城ハ溝辺村（今ノ麓）二アリ元弘ノ頃、溝辺孫太郎居城ナリ。事跡詳ナラス」とありますが、鎌倉時代の末期、後醍醐天皇（九十六代）元弘二年（1332）頃、溝辺孫太郎という豪族の居城（山城）として築かれたと伝えられています。城の形状は、東西約50m、南北約400mの細長い丘陵地で、北側から林道が内部に延びており、この辺りが城の入口と思われます。この林道を奥に進むと、人力によってなされたと思われる切り通しの跡や、井戸と思われる跡が確認されています。頂部は比較的平坦に土がならされ、いくつかの段状になっているなど、山城としての形状がうかがわれます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-mizobe.html",""],
    [85,462187,"","鹿児島県","霧島市","段溝跡","ダンミゾアト","","","市指定史跡","","","霧島市溝辺町竹子","",null,null,"","","","","","","1991-11-08","","","","","","","","","昔から溝辺町のなかでは唯一のまとまった田地が竹子地区でした。網掛川の上流地域ですが、水不足に悩まされていました。その対策として、1660年頃と推定されますが、旧薩摩郡永野町（薩摩町）の段集落の川に井堰を設け、約6kmにわたって山を刳り貫き、久留味川の底を渡り、宮川内まで水路を通して水田の灌漑に供したものです。しかし、水の取り入れ口の段集落下流域の開墾に伴い、水権利の問題も絡み、竹子地区への通水は困難となり、いつしか廃絶してしまいました。民有地の土手に、わずかに穴の痕跡がありましたが、年月の経過により崩れ落ち、今ではその場所にあったというだけの確認しかできません。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-mizobe.html",""],
    [86,462187,"","鹿児島県","霧島市","野首の墓石群","ノクビノボセキグン","","","市指定史跡","","","霧島市溝辺町麓野首","",31.8063119,130.6935916,"","","","","","","1991-11-08","","","","","","","","","溝辺町橋之口集落の岩元家代々のもので、唯一まとまって見られる最も古い武士の墓です。確認できる墓で最も古いものは、「岩元右衛門妻」の墓で、明和4年没とあるので1767年、江戸時代の中期頃からのものと考えられます。集落の共同墓地であり、古い墓石と近年の墓石が共存しています。住民の方々により年間を通して管理されており、多少の風化は見られるものの、保存状態は良好です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-mizobe.html",""],
    [87,462187,"","鹿児島県","霧島市","瑞泉山心慶寺跡","ズイセンザンシンケイジアト","","","市指定史跡","","","霧島市溝辺町麓中丸","",31.7975284,130.6975644,"","","","","","","1991-11-08","","","","","","","","","心慶寺は溝辺城の南面麓に位置し、越前守（えちぜんのかみ）肝付兼固（きもつきけんご）が溝辺の領主となり、溝辺城に移転後、肝付家の菩提寺（ぼだいじ）として建立されました。宗派は曹洞宗（そうとうしゅう）、福昌寺の末寺です。本尊は地蔵菩薩で開山は心慶良信（りょうしん）和尚（おしょう）（福昌寺五世）でした。緩やかな山林傾斜地に寄り添うように墓石が建っています。以前は、山手にあったものが度重なる土砂崩れで現在の地になったとも言われています。周囲は山林と化しているものの、三基の住僧の墓碑やその他の者の墓碑と、お寺の門前周辺にあったと思われる常夜燈の石燈があるなど、昔の名残を留め、廃墟の跡のむなしさと物寂しさを物語っています。三基の住僧の墓碑のなかの一つが貫周（かんしゅう）という僧侶の墓であることが確認されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-mizobe.html",""],
    [88,462187,"","鹿児島県","霧島市","安良山来福寺真乗院跡","ヤスラヤマライフクジシンジョウインアト","","","市指定史跡","","","霧島市横川町中ノ川北脇","",31.902755,130.696728,"","","","","","","1962-02-01","","","","","","","","","寺跡は杉林となっており、岩窟の中に木仏像と不動明王石像が安置されていましたが、平成18年（2006）に木仏像が紛失しました。その紛失した木仏像は来福寺の本尊十一面観世音像で永正6年（1509）正椿（まさかめ）の作といわれています。また、寺跡の裏の雑木林に当時の住職たちの墓が数十基立っています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [89,462187,"","鹿児島県","霧島市","万亀山仙寿寺跡","マンキサンセンジュジアト","","","市指定史跡","","","霧島市横川町中ノ川北馬場","",31.9025008,130.692088,"","","","","","","1962-02-01","","","","","","","","","栗野徳元寺第4世の住職三了和尚の開山といわれています。寺の位置は、横川町中ノ川北馬場で、北には雑木林が生い茂っています。この山中に住職たちの墓20基が3段に分かれて建っています。仙寿寺は、横川城主北原氏の菩提所であったと伝えられています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [90,462187,"","鹿児島県","霧島市","安良神社","ヤスラジンジャ","","","市指定史跡","","","霧島市横川町上ノ上小脇安良","",31.9050711,130.6690083,"","","","","","","1962-02-01","","","","","","","","","安良神社は、鹿児島神宮、霧島神宮、加治木春日神宮、福山宮浦宮とともに尊び崇められてきました。祭神は安良大明神、十一面観世音菩薩、安良姫の母君など、神仏が一緒になった神社で創建は和銅元年（708）の頃と見られます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [91,462187,"","鹿児島県","霧島市","腰越神社の跡","コシゴエジンジャノアト","","","市指定史跡","","","霧島市横川町上ノ下小脇岩元","",31.9005974,130.6785653,"","","","","","","1962-02-01","","","","","","","","","腰越神社は、安良姫の母を祀る神社です。母は安良姫が罪人として都落ちしてから、姫の悲運の身を嘆き、姫の後を追って苦難の末小脇にたどり着きましたが、それを知らない村人たちは姫の身を気遣って姫をかくまいました。このため母は前途に絶望を感じ、その夜自害してしまいました。腰越神社は、明治44年1月安良神社に合祀されたため、神社跡には「腰越神社遺址」と刻まれた石碑が建っています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [92,462187,"","鹿児島県","霧島市","徳源社","トクゲンシャ","","","市指定史跡","","","霧島市横川町上ノ夢想谷下山","",31.9111477,130.6220459,"","","","","","","1962-02-01","","","","","","","","","山ヶ野金山創業の主、宮之城領主島津久通（徳源公）の遺徳を偲んで祀ったものです。山ヶ野金山は寛永17年（1640）3月に採掘に着手し、島津藩の財政に大きく貢献しました。徳源公の碑は延宝2年（1674）12月、永野安養院念行寺の境内に建立したものを、明治17年3月22日に現在地に移しました。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [93,462187,"","鹿児島県","霧島市","木浦権現","キウラゴンゲン","","","市指定史跡","","","霧島市横川町上ノ木浦","",31.8942534,130.6376173,"","","","","","","1962-02-01","","","","","","","","","横川町上ノ木浦の雑木自然林の中程に錆（さび）矛（ほこ）が立って美しい蘚が生えているあたりがお宮跡といわれていて、冬温かく夏冷たい泉がこんこんと流れて、紫尾田川の源流をなしています。祭神は瓊々杵尊（ににぎのみこと）の母君万幡豊秋津師比売命（よろずばたとよあきつしひめのみこと）で、居住の跡といわれています。周辺から土器や石斧その他の出土品もあり、横川郷土館に展示しています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [94,462187,"","鹿児島県","霧島市","阿弥陀寺の跡","アミダジノアト","","","市指定史跡","","","霧島市横川町上ノ正牟田阿弥陀原","",31.8930101,130.6534377,"","","","","","","1962-02-01","","","","","","","","","榊原岡の西部の領域2反余りが阿弥陀寺跡といわれています。明治初年までは、頼朝石という石や寺の由来を記した碑があったそうですが、山陵確定の際に土地の人たちが事の煩雑面倒を恐れ、夜密かにその碑石を搬出して埋没したと伝えられています。寺跡には五輪の塔、供養塔群が多数埋没していて、昭和57年8月1日その一部を発掘し修復を行いました。供養塔の一基に元徳2年（1330）8月の銘が刻まれています。また、阿弥陀寺の本尊と思われる木像3体は黎明館に保存されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [95,462187,"","鹿児島県","霧島市","弓削が丘","ユゲガオカ","","","市指定史跡","","","霧島市横川町上ノ正牟田茶園山","",31.8912635,130.6496044,"","","","","","","1962-02-01","","","","","","","","","湯貝の峯、茶園の丘ともいわれる雑木林の小高い丘です。頂上には檜が生え円形幅約18mの土塚になっています。彦火々出見尊（ひこほほでみのみこと）の御陵ではないかという伝説もありますが、旧記並びに阿弥陀ケ原の碑文等によると彦火々出見尊（ひこほほでみのみこと）の御陵は、鹿児島神宮を去る4里のところにあると記されており、ちょうどその位置に当たっています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [96,462187,"","鹿児島県","霧島市","横川城跡","ヨコガワジョウアト","","","市指定史跡","","","霧島市横川町中ノ城山","",31.8998761,130.6916518,"","","","","","","1962-02-01","","","","","","","","","鎌倉時代の初期、承久元年（1219）、横川藤内兵衛尉時信（とうないひょうえのじょうときのぶ）が城山に築城したもので、別名長尾城ともよばれています。城は横川院の領主の居城で、室町時代の頃から真幸院の領主北原氏の支城となりましたが、永禄5年（1562）北原伊勢守・新助の父子が島津氏に反抗したため、島津義弘・歳久等の攻撃を受け、落城しました。その後、城は菱刈大和守重猛に与えられましたが、永禄10年重猛の弟隆秋が島津にそむいたため、攻撃を受けました。横川城は島津占領の後廃城となりました。旧横川町は横川城の全容を探索するため昭和61年10月21日から11月29日まで本丸と思われる城跡の発掘調査を実施しました。出土品は横川郷土館に保管されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [97,462187,"","鹿児島県","霧島市","民部塚","ミンブヅカ","","","市指定史跡","","","霧島市横川町中ノ二石田民部塚","",31.8864963,130.6954711,"","","","","","","1962-02-01","","","","","","","","","北原民部之助は、横川城主北原伊勢守の弟で、島津の大軍が横川城攻めの時、年齢18歳で奮戦して敵を悩ませました。しかし、敵の大軍に包囲され行きづまり、「北原民部の最後を見て後世の手本にせよ」と叫び、腹部を十文字に掻き切って横川城頭の露と消えました。この場所は民部塚と呼ばれ、石碑が建てられています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [98,462187,"","鹿児島県","霧島市","宝篋印塔三基","ホウキョウイントウ3キ","","","市指定史跡","","","霧島市牧園町三体堂778","",31.8649854,130.760536,"","","","","","","1977-04-15","","","","","","","","","三体堂中福良の民家の裏山の中腹にある3基の石塔です。熊本県相良氏の庶流である永留氏が生前に建立した逆修塔だと言われています。中央の宝篋印塔の宝輪に一条を刻し、中心にある相良一族の文様の両側に縦六条を刻しているのが永留氏の3代目を示すものです。永留氏の縦条は、初代が四条、2代が五条、4代が七条、5代が八条だと言われています。この宝篋印塔には刻名はありませんが、これらの文様で相良一族の永留氏3代目頼積の石塔であることがわかります。昔から「ソガドン墓」と言われたのは、この石塔を代々観てきた井手上氏が曽我一族の伊東の出だからだといわれています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [99,462187,"","鹿児島県","霧島市","臼崎の石塔","ウスザキノセキトウ","","","市指定史跡","","","霧島市牧園町持松539-4","",31.8145787,130.799535,"","","","","","","1982-05-01","","","","","","","","","牧園町持松の臼崎には、中世石塔の累積群があります。その中の一つには、台石に金阿弥陀仏の時衆宗の法号と、「康安2年（1362）3月17日孝子施主敬白」の文字が刻まれています。台石上面の反花蓮弁の彫刻から、熊本県人吉の領主相良氏のものであり、相良家八代実重の父前頼の夫人のものだろうといわれています。三体堂中福良の宝篋印塔（ソガドン墓）や下中津川改田口の石塔、下中津川犬飼の畦地観音の石塔群は相良氏一族永留氏のものであり、どれも鎌倉時代から南北朝、室町時代までのものだといわれています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [100,462187,"","鹿児島県","霧島市","島津源七郎忠直の墓","シマヅゲンシチロウタダナオノハカ","","","市指定史跡","","","霧島市牧園町宿窪田761-5","",31.8592735,130.7541057,"","","","","","","1992-06-01","","","","","","","","","宿窪田タッガ迫にあります。墓石の正面に「元和7年辛酉、然叟清廓庵主、5月29日」とあり、右の面に「島津源七郎忠直」と刻んであります。源七郎忠直は、宮崎佐土原の領主となった島津家久（義弘の弟）の二男として生まれ、幼少のころ川内東郷家の養子になりました。慶長19年（1614）から元和7年（1621）まで三体堂村の領主としてこの地に住んでいました。「本藩人物誌」によれば、1614年に本城から三体堂に移り、1620年に18代藩主家久が忠直に三体堂村714石を与えています。その翌年48歳で亡くなりました。土地の人たちの伝説によれば、忠直の家が夜襲をかけられたとき、白い鶏が時を告げて危ないところを救ってくれたので、それから白い鶏は決して食べないといわれています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [101,462187,"","鹿児島県","霧島市","花林長春大姉の墓","カリンチョウシュンダイシノハカ","","","市指定史跡","","","霧島市牧園町宿窪田677-3","",31.8592333,130.7535748,"","","","","","","1992-06-01","","","","","","","","","島津源七郎忠直の墓を30mくらい入った所にあります。墓に竿石は無く、台石の上に板石に彫られた阿弥陀像が置いてあり、その上に陶製のすり鉢がかぶせてあります。墓石の近くに副碑が建ててあり、源七郎忠直の姉であることが分かります。副碑には「花林長春大姉、父は島津家久、母は樺山善久の娘。永禄9年（1566）生まれ。はじめ根占重張の嫁となり、しばらくして離別。島津が秀吉に降伏した時、人質の1人として京都に上がった。京都に14年間いてのち、義弘の住む加治木に移り、元和7年（1621）4月22日忠直と同じ年に56歳で死んだ。」と書かれています。この墓は文政6年（1823）5月、死後202年後に建てられたと思われます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [102,462187,"","鹿児島県","霧島市","辻堂の五輪塔","ツジドウノゴリントウ","","","市指定史跡","","","霧島市霧島田口846-2","",31.83528,130.84014,"","","","","","","1983-12-20","","","","","","","","","田口の民家の門脇に水車を設備する時に、地中より掘り出されたものと伝えられています。五輪塔は当時大小2基あったといわれており、これが重ねられ、現在の形状になったようです。この五輪塔は、誰の供養塔かわかりませんが、水輪に彫られている種子から密教系のものであると推定されます。また、造立年代は、その形態から室町時代以前と推定されます。五輪塔というのは、五大にかたどった5つの部分からなる塔のことです。地輪は方、水輪は円、火輪は三角、風輪は半月、空輪は宝珠形をしています。平安時中頃から供養塔や墓標として用いられる石造りが多いです。※塔婆は卒塔婆（ソトバ）の略称です。これは、釈迦の遺骨や遺髪などを納めて高く建設した記念物です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [103,462187,"","鹿児島県","霧島市","華林寺墓地","ケリンジボチ","","","市指定史跡","","","霧島市霧島田口2425-4","",31.8594988,130.86736,"","","","","","","2012-10-17","","","","","","","","","霧島山錫杖院華林寺は、西御在所霧島六所権現社（現在の霧島神宮）の別当寺で、鹿児島市にあった大乗院の末寺でした。欽明天皇の時に慶胤上人が開山したと言い伝えられており、のちに霧島山の噴火によって建物が焼け、応和年中（961~964）に性空上人が中興して天台宗となりましたが、文暦元（新暦1235）年の噴火で焼けてしまいました。その後、文明年中（1469~1487）に、島津家第11代・忠昌が兼慶上人に再建させ、真言宗に改められました。華林寺は多くの堂塔があり、この地域を代表する寺院でしたが、明治初頭の廃仏毀釈によって失われてしまい、現在ではその面影を伺い知ることはできません。しかし、この墓地には近世以降、華林寺に関係のあった僧侶の墓が多数残されており、また、周辺の真言宗寺院の名前も墓石に刻まれていることから、近世の華林寺の様子や霧島市域の仏教史を知る上でとても貴重であるので、市の史跡に指定されました。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [104,462187,"","鹿児島県","霧島市","隅州富隈新松林記","グウシュウトミクマシンショウリンキ","","","市指定史跡","","","霧島市隼人町住吉1881","",31.7268122,130.7363795,"","","","","","","1984-03-31","","","","","","","","","島津氏16代義久が築城した富隈城内にあります。高さ121cm、横幅44cm、厚み32cmの石碑。富隈城が義久の居城であったことが忘れ去られるのを恐れ、国分地頭の赤松大夫が高千穂峰から松苗百余株を移植し、遺跡であることを世人知らしめようとしたことなどが漢文で刻まれています。寛政11年（1794）建立。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [105,462187,"","鹿児島県","霧島市","大隅国桑原郡西国分郷鑿溝崇水神記","オオスミコククワハラグンニシコクブゴウサッコウスウスイジンキ","","","市指定史跡","","","霧島市隼人町西光寺水天渕","",31.791046,130.7509494,"","","","","","","1984-03-31","","","","","","","","","宮内原用水の起点、水天渕の取水口に立つ用水路完成の経緯を記した記念碑です。宮内原用水は、汾陽盛常（かわみなみもりつね）を工事奉行として、正徳元年（1711）に工事が始められ、正徳6年（1716）完成しました。用水路は日当山から鹿児島神宮前を経由し、隼人体育館の手前で浜之市・住吉方面と小田・野久美田方面に分かれます。水神碑は享保2年（1717）に建立されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [106,462187,"","鹿児島県","霧島市","菅原神社磨崖仏","スガワラジンジャマガイブツ","","","市指定史跡","","","霧島市隼人町松永3282-9、3283","",31.7788883,130.764966,"","","","","","","1984-03-31","","","","","","","","","磨崖仏は、自然の岩や崖面を削り、仏像や梵字等を彫ったものです。普通、2体、4体、13体といった風にセットで彫られています。右手神社参道横には1体のみ11面観音が彫られ、「天神御本地」の刻字もみえます。年代は天正～慶長年代で、神社との関係も注目されます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [107,462187,"","鹿児島県","霧島市","三光院墓碑群","サンコウインボヒグン","","","市指定史跡","","","霧島市隼人町朝日19","",31.757155,130.7343053,"","","","","","","1985-03-31","","","","","","","","","鹿児島神宮西側の朝日集落にあります。現日秀神社の所には日秀上人によって開かれた三光院というお寺がありましたが、明治初年の廃仏毀釈により消滅しました。その跡に歴代住職の墓石や古石塔類が多数残っています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [108,462187,"","鹿児島県","霧島市","空順上人入定石室","クウジュンショウニンニュウジョウセキシツ","","","市指定史跡","","","霧島市隼人町内山田一丁目11-6","",31.7448053,130.7367475,"","","","","","","1988-03-31","","","","","","","","","獅子尾丘（通称シッノオカ）にあります。空順上人という真言宗のお坊さんが、願を立てて、生きたまま石室にこもり、亡くなったところといわれています。空順上人は、江戸時代、正徳・享保の頃（今から約270年前）の人です。島津家の御用僧のような人で、お祈りにより数々の奇跡を行い、特に阿久根の大火を止めたり、日照りの時に雨を降らせたりしたといわれています。今でも火の神様として信仰されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [109,462187,"","鹿児島県","霧島市","弥勒院・正興寺等墓域","ミロクイン・ショウコウジトウボイキ","","","市指定史跡","","","霧島市隼人町神宮三丁目215-8","",31.7535211,130.7409744,"","","","","","","1989-02-07","","","","","","","","","宮内地区公民館の裏にあります。元は公民館周辺の田んぼの土手などに散在していた墓石を1箇所にまとめ、復元したものです。臨済禅宗の寺であった正興寺の歴代住職（室町時代～江戸時代）の墓が主で、宮内小学校の所にあった正八幡宮の別当寺、弥勒院の住職の墓なども含まれています。正興寺の坊さんたちの墓石は、室町時代に薩摩で盛んになった漢学の一派「薩南学派」の系譜を引く人たちのもので、漢学史研究にとって貴重な遺物です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [110,462187,"","鹿児島県","霧島市","富隈城跡","トミクマジョウアト","","","市指定史跡","","","霧島市隼人町住吉1879-4、1881","",31.7275918,130.7358885,"","","","","","","1994-03-01","","","","","","","","","島津義久が文禄4年（1595）から慶長9年（1604）まで、足掛け10年居住した城です。秀吉の島津征伐に敗れた義久が、上をはばかって謹慎の意を表した隠居城といわれています。長浜城のような山を利用した城と違って、平野に築いた城（平城（ひらじろ））です。江夏友賢が設計に携わり、石垣は肥後（熊本）八代の石工が積んだものと見られています。石垣の南東隅には、加藤清正寄進と伝えられる清正石という巨石があります。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [111,462187,"","鹿児島県","霧島市","薩摩義士山元八兵衛定矩の墓　附　山元八兵衛定矩母の墓","サツマギシヤマモトハチベエサダノリノハカ　ツケタリ　ヤマモトハチベエサダノリハハノハカ","","","市指定史跡","","","霧島市隼人町住吉1513（住吉共同墓地）","",31.7250137,130.7393646,"","","","","","","1995-03-07","","","","","","","","","隼人町住吉墓地にあります。宝暦4年（1754）から5年（1755）にかけて木曽川治水工事に従事した薩摩藩士、山元八兵衛とその母の墓石です。山元八兵衛は、勘定方（会計係）として治水工事に加わったと伝えられています。故あって八兵衛は切腹し、遺体は三重県桑名市海蔵寺に葬られました。住吉墓地になぜ八兵衛の墓があるのか謎でしたが、両方まぎれもなく本物の墓であることが調査によって確かめられました。住吉墓地の墓は遺髪を納めたものと考えられています。没年　宝暦4年甲戌　11月21日　法名　悦岩共忻居士","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [112,462187,"","鹿児島県","霧島市","沢家墓碑群","サワケボヒグン","","","市指定史跡","","","霧島市隼人町神宮五丁目579-17","",31.753653,130.7464667,"","","","","","","1997-08-26","","","","","","","","","正八幡宮の社家（田所職）であった沢家の墓地。高さ約1mの高さの丘に40枚余りの板碑が長四角に配置され、その中に五輪塔3基、三重石塔1基が立っています。ここの板碑は、額の部分（上）と身の部分（下）と二重に梵字が刻まれています。梵字は種字といってそれぞれ仏尊を表すと考えられますが、いまだ全体的な構成については十分解明されていません。身の部分には、梵字の横に「南無阿弥陀佛」と墨で書かれているのが今も読み取れます。三重石塔の台石に延應元年（1239）、自然石柱に嘉禎3年（1237）の年号が刻まれています。これにより沢家墓碑群は、鎌倉時代の中頃に造られたと推定されます。沢家墓碑群は、鎌倉時代の絵草子などに描かれた墓地の形式を残した遺跡として重要であり、社家も仏教文化（密教）の影響を強く受けていたことが伺える貴重な遺跡と評価されています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [113,462187,"","鹿児島県","霧島市","宮坂貝塚","ミヤサカカイヅカ","","","市指定史跡","","","霧島市隼人町内1794、1804-1の一部","",31.75414,130.7370816,"","","","","","","1999-12-08","","","","","","","","","鹿児島神宮裏参道の上方にある縄文時代の貝塚です。宮坂貝塚は平成7年、鹿児島神宮が自動車道として山林を切り開いたとき発見されました。貝塚の中からは、ハマグリ・カキ・アサリなどの貝殻のほか、鹿の角・石製の矢じり・土器の破片などが発見されています。宮坂貝塚の時代は今から7300年ほど前の縄文時代早期と考えられています。鹿児島県内でも最古の部類に入るとみられています。宮坂貝塚は市内の数少ない貝塚遺跡として貴重な遺跡です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [114,462187,"","鹿児島県","霧島市","内山田の鼻んす（二連隧道）","ウチヤマダノハナンス（2レンズイドウ）","","","市指定史跡","","","霧島市隼人町内山田１720","",31.7515832,130.7326916,"","","","","","","2005-07-06","","","","","","","","","隼人町西光寺の水天渕から取り入れられた宮内原用水が通っている2連のトンネルで、形状が人の鼻の穴に似ていることから、俗称「鼻んす」と呼んでいます。小山の下を穿ち、中央を柱にして残し、左右にトンネルを開けています。トンネルの強度を保つため、2本に分けて水を流す方法を採ったものと考えられます。宮内原用水は、今から約300年前の正徳元年（1711）に起工し、正徳6年（1716）に完成しました。鼻んすもこのとき開通したものと思われ、江戸時代の土木技術と先人の水利開発の歴史を知ることができる史跡として市の文化財に指定されました。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [115,462187,"","鹿児島県","霧島市","卵塔群","ラントウグン","","","市指定史跡","","","霧島市福山町福山2428","",31.6722455,130.8202945,"","","","","","","1975-03-31","","","","","","","","","卵塔群は、旧福山小学校の山手側にあった島津忠将の菩提寺「大安寺」の歴代僧の墓石群です。大安寺の開山は、天文元年で高山邑（高山町）にありましたが、第二世包山樹心和尚が、福山の大廻りに移しました。永禄4年（1561）7月、仁田尾城（廻城）の島津氏と肝付氏の攻防戦において島津馬頭忠将が戦死しました。その後、今の地に寺を移し位牌を安置しました。忠将の法号「大安」の二字を寺号とし、山号を永奉と改め、忠将と共に戦死した従臣57名の位牌も安置して冥福を祈る所としました。現在、包山樹心和尚以来文政5年の18代和尚までの墓石が並んでいます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-fukuyama.html",""],
    [116,462187,"","鹿児島県","霧島市","旧田中家別邸の庭園","キュウタナカケベッテイノテイエン","","","市指定名勝","","","霧島市福山町福山2926-1","",31.6772249,130.815997,"","","","","","","1975-03-31","","","","","","","","","旧田中家別邸は、田中省三が郷里の福山に建てた別荘です。昭和50年3月に旧福山町で庭園が町の文化財に指定され、別邸は平成18年4月に「旧田中家別邸　附　棟札一枚」という名称で県の有形文化財（建造物）に指定されました。敷地は、約1,320坪あり、庭園は池水式庭園で別邸の東南に位置し、灯籠や樹木それに巨石を並べたすばらしいものです。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-fukuyama.html",""],
    [117,462187,"","鹿児島県","霧島市","カヤ","カヤ","","","市指定天然記念物","","塚脇宮毘神社","霧島市国分上之段2329 ","",31.6820681,130.8659253,"","","","","","","1976-02-01","","","","","","","","","カヤは本州（宮城・山形以西）、四国、九州、屋久島に分布する雌雄別株の常緑高木です。材質は緻密で非常に堅く、木工、碁盤、将棋盤に利用されています。種子からとった油は最高級の食用油として、また薬用としても利用されます。国分塚脇の宮毘神社境内にあるカヤは、樹周4.9m、樹高約24m、樹齢推定500年以上で神木となっています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [118,462187,"","鹿児島県","霧島市","クロガネモチ（雄株）","クロガネモチ（オカブ）","","","市指定天然記念物","","","霧島市国分中央四丁目22-7","",31.735,130.77165,"","","","","","","1977-03-01","","","","","","","","","クロガネモチは本州（関東以西）、四国、九州の暖帯に自生する雌雄別株の常緑広葉樹です。国分では江戸時代から郷土の家に植えられ、大きく成長したものがみられます。昭和47年旧国分市の市木に制定されたのを受けて、巨木の雌雄木を1本ずつ指定しました。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [119,462187,"","鹿児島県","霧島市","クロガネモチ（雌株）","クロガネモチ（メカブ）","","","市指定天然記念物","","","霧島市国分中央一丁目24-24","",31.7401794,130.7716514,"","","","","","","1977-03-01","","","","","","","","","クロガネモチは本州（関東以西）、四国、九州の暖帯に自生する雌雄別株の常緑広葉樹です。国分では江戸時代から郷土の家に植えられ、大きく成長したものがみられます。昭和47年旧国分市の市木に制定されたのを受けて、巨木の雌雄木を1本ずつ指定しました。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [120,462187,"","鹿児島県","霧島市","オガタマノキ","オガタマノキ","","","市指定天然記念物","","","霧島市国分川原4394","",31.7512899,130.8565909,"","","","","","","1977-03-01","","","","","","","","","関東南部以西の温暖地帯に自生し、高木となります。和名は「招魂（おきたま）の木」の転訛したもので、この木を神前に供えて神を招くという意味から、神社によく植えられています。この木は樹齢推定600年以上、樹高約20mで最高級の高さを誇っています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [121,462187,"","鹿児島県","霧島市","青葉の竹","アオバノタケ","","","市指定天然記念物","","日枝神社","霧島市国分台明寺1103","",31.7766959,130.8146206,"","","","","","","1983-08-15","","","","","","","","","国分台明寺の日枝神社の境内に青葉の竹林があります。俗に台明竹ともいい、笛の用材として宮中に奉納されていました。奉納するときは、府中の鏡ヶ池に浸しておいて、葉の付いたまま姫城の妙見神社（稲荷神社）に奉納してから捧持（ほうじ）したといわれています。源平合戦のとき、一の谷の合戦で散った平敦盛が秘蔵していた「青葉の笛」もこの台明竹であったと伝えられています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kokubu.html",""],
    [122,462187,"","鹿児島県","霧島市","鷹屋神社の銀杏","タカヤジンジャノイチョウ","","","市指定天然記念物","","","霧島市溝辺町麓4260","",31.8093277,130.6932472,"","","","","","","1982-06-01","","","","","","","","","鷹屋神社の境内に立っており、樹齢数百年といわれていますが、詳細については不明です。幹の一部に穴が開いており、鉄板で補修しています。このように一部、損傷が見られるものの、樹木の勢力が良好で、夏には青葉が生い茂り、若々しい姿を見せてくれます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-mizobe.html",""],
    [123,462187,"","鹿児島県","霧島市","霧島の大茶樹","キリシマノダイチャジュ","","","市指定天然記念物","","","霧島市牧園町持松690-2","",31.8206973,130.7885091,"","","","","","","2009-03-26","","","","","","","","","この大茶樹は、江戸時代初期寛永年間（約380年前）に植えられた茶樹（昭和20年国の天然記念物として指定）を明治終わりごろに挿し木したもので、樹齢100年、樹周0.67メートル、樹冠の広がりは南北6.4メートル、東西6.1メートル、高さは4.1メートルに達し、県内で最古・最大のものといわれています。茶樹は茶を摘むため時々根本から剪定して茶摘みをしやすくすること、また人々の茶への嗜好が時代とともに変化し、それに伴い茶樹の品種改良が進み、古木は伐採されてきたことなどから、古木と見られる大茶樹は多くありません。規模、歴史ともに大変貴重な大茶樹です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [124,462187,"","鹿児島県","霧島市","イチイガシ","イチイガシ","","","市指定天然記念物","","向田七社神社境内","霧島市霧島川北","",31.8135934,130.8152343,"","","","","","","1987-03-20","","","","","","","","","向田七社神社の境内にあります。根回り14.8m、樹の高さ約30mで人の胸の高さの樹の周りは6.4mの大木ですが、樹齢ははっきりしていません。イチイガシは、ブナ科の常緑樹（一年中、葉が緑で落葉しない）で、材質は堅く船の櫓や農・工具の柄、やりの柄等に使われてきました。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [125,462187,"","鹿児島県","霧島市","オガタマノキ","オガタマノキ","","","市指定天然記念物","","","霧島市霧島田口278","",31.8271577,130.8376736,"","","","","","","1996-05-28","","","","","","","","","新地の民家の敷地内にあります。幹周り3.9m。根周り5.0m、高さ20mの大きな樹木です。樹齢は分かりませんが、かなりの年数が考えられます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [126,462187,"","鹿児島県","霧島市","荒瀬城跡のイチイガシ","アラセジョウアトノイチイガシ","","","市指定天然記念物","","","霧島市隼人町西光寺207-2","",31.7795556,130.7541433,"","","","","","","1997-08-26","","","","","","","","","隼人町湯田の荒瀬城跡にあります。イチイガシは、幹の太さが地上1.5mの所で約6.2m、根回りが約10m余りあります。高さは約26mほどあります。樹齢については、確定できる資料はありませんが、地元では「千年ガシ」と呼んでいるようです。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""],
    [127,462187,"","鹿児島県","霧島市","小みかん","コミカン","","","市指定天然記念物","","","霧島市福山町福山654-1","",31.6539858,130.8244966,"","","","","","","2003-05-01","","","","","","","","","霧島市福山は、昔からみかんの産地として有名でしたが、その歴史は小みかん栽培に端を発するものでした。5月頃に花が咲き、7月頃にはたくさんの実をつけます。実を大きく育てるために摘果をし、50％ぐらいの実を残します。11月頃になると色づき12月頃から収穫が始まり、約400～500キロの収穫があります。小みかんは、温州みかんより味も香りも高く、糖度は14度～15度ぐらいあります。皮は干して薬味に使われます。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-fukuyama.html",""],
    [128,462187,"","鹿児島県","霧島市","佳例川の藤","カレイガワノフジ","","","市指定天然記念物","","","霧島市福山町佳例川1871","",31.6695336,130.8969691,"","","","","","","1975-03-31","","","","","","","","","毎年5月頃になると、うす紫色蝶形の花びらが棚からしたたり落ちるように咲き乱れます。幹の周りは1.15mもあり、樹齢80年以上と言われています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-fukuyama.html",""],
    [129,462187,"","鹿児島県","霧島市","羽山神社の杉","ハヤマジンジャノスギ","","","市指定天然記念物","","","霧島市福山町佳例川1649-1","",31.6674054,130.9069267,"","","","","","","1975-03-31","","","","","","","","","羽山神社境内にそびえる杉は、樹齢250年余りと推定され、幹の周りが6mを超えるものもあります。神社創建当時植樹されたもので、昭和50年4本が旧福山町の文化財として指定されましたが、その後台風の被害を受け現在では、2本が神木として由緒あるたたずまいを見せています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-fukuyama.html",""],
    [130,462187,"","鹿児島県","霧島市","イチイガシ","イチイガシ","","","市指定天然記念物","","飯富神社","霧島市福山町佳例川2137","",31.6803084,130.8905363,"","","","","","","1975-03-31","","","","","","","","","幹周り4.27mの巨木です。ブナ科に属します。イヌマキとともに福山町飯富神社の神木としてそびえたっています","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-fukuyama.html",""],
    [131,462187,"","鹿児島県","霧島市","イヌマキ","イヌマキ","","","市指定天然記念物","","飯富神社","霧島市福山町佳例川2137","",31.6803084,130.8905363,"","","","","","","1975-03-31","","","","","","","","","幹周り4.8mの巨木です。マキ科に属します。イチイガシとともに福山町飯富神社の神木としてそびえたっています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-fukuyama.html",""],
    [132,462187,"","鹿児島県","霧島市","池田家住宅主屋","イケダケジュウタクシュオク","","","登録有形文化財","建造物","","霧島市横川町中ノ上岸田15-6","",31.9069357,130.7015709,"","","","","","","2005-07-12","","","","","","","","","桁行6間半梁行6間半規模、入母屋造。桟瓦葺の木造2階建てで、通りに面して建っています。1階は表側から北側にかけて土間を設け、南側に座敷を配した伝統的町家の造りですが、2階はたちの高い下見板張りに上げ下げ窓を並べた洋風の造りで際だった存在になっています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [133,462187,"","鹿児島県","霧島市","池田家住宅石倉","イケダケジュウタクイシクラ","","","登録有形文化財","建造物","","霧島市横川町中ノ上岸田15-6","",31.9069357,130.7015709,"","","","","","","2005-07-12","","","","","","","","","主屋の北側に位置し、東西棟で東妻面を通りに見せて建っています。桁行5間梁間2間半、切妻造、桟瓦葺の2階建てで床組や小屋組を石造外周壁の内側に沿わせた木柱で支持する木骨石造の倉庫です。平入りで南面の戸口を設け、外部の腰は石積みを露わにし、上部は漆喰塗りとします。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [134,462187,"","鹿児島県","霧島市","森山家住宅石倉","モリヤマケジュウタクイシクラ","","","登録有形文化財","建造物","","霧島市横川町中ノ諏訪985","",31.9032146,130.7011647,"","","","","","","2005-07-12","","","","","","","","","東西棟、切妻造、桟瓦葺、平入れの内部に中2階を設けた木骨石造倉庫で、南面に下屋庇を差し掛けてアーチ型の戸口を2カ所設ける他、下屋西端を石壁で囲い庫室としています。桁行9間梁間4間規模と大きく、商家の繁栄振りを物語っています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [135,462187,"","鹿児島県","霧島市","JR肥薩線大隅横川駅駅舎　一棟","ジェイアールヒサツセンオオスミヨコガワエキエキシャ　1トウ","","","登録有形文化財","建造物","","霧島市横川町中ノ39-1","",31.9056631,130.7032003,"","","","","","","2006-10-18","","","","","","","","","明治36年、隼人の嘉例川駅と同時期に開業しました。戦前から戦後の旧国鉄時代から、主要な交通手段の根拠として栄えましたが、交通網の発達、自動車の普及などにより、昭和60年代前半には無人化となりました。嘉例川駅とほぼ同一の平面形式で、同時に多くの施設を必要とする鉄道建設の性格をよく表しています。当時の造りを色濃く残す歴史ある大変貴重な建物で、ホームの柱には戦時中の生々しい機銃掃射の弾痕が残っています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-yokogawa.html",""],
    [136,462187,"","鹿児島県","霧島市","九州電力妙見発電所本館　一棟","キュウシュウデンリョクミョウケンハツデンショホンカン　1トウ","","","登録有形文化財","建造物","","霧島市牧園町宿窪田4230-1","",31.8127225,130.7570152,"","","","","","","2011-01-26","","","","","","","","","九州電力妙見発電所は牧園町宿窪田の天降川沿いにあります。大正6（1917）年から大正10年にかけて大規模なトンネル工事を行い、5月には試運転を開始、9月に正式使用が許可されました。翌11年11月には2号機も試運転を開始し、3号機は昭和5（1930）年5月に運転を開始しました。妙見発電所本館は2階建ての配電盤室棟と平屋ながら高い吹き抜け空間を有する発電機室棟の2つから構成されています。そして、出入口はアーチ形をとどめています。建物に使用されている石材は凝灰岩で、後年白色に塗装されています。鹿児島県内に残る石造発電所の中でも最も規模が大きく、石に細かい装飾を施して、窓周りの意匠などに高度な石工技術を認めることができます。ヘッドタンクは上部水槽ともいい、流量の変化を吸収し、水車への異物の流入を防ぐ役目があります。妙見発電所には正面向かって右側より1号、2号、3号と3本の水圧鉄管があります。1号は中津川より取水し、2号3号よりも高い位置に円筒形のヘッドタンクを築いています。2号と3号は天降川より取水し、山の中腹付近にヘッドタンクを築き、水を流しています。途中、水圧鉄管の上を道路がまたぐために石造アーチをかけてその下に水圧鉄管を流しています。発電機は運転開始時期が3基とも異なりますが、建設当初から3基設置する予定であったことが考えられ、（九州電力の考えによる）、本館及び放水口建設とともにヘッドタンクも3基分同時に建設されたものであると考えられています。妙見発電所本館と同様、ヘッドタンクも建設当初の石造の構造体を概ね残していて、とても貴重なものです。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [137,462187,"","鹿児島県","霧島市","九州電力妙見発電所1号機ヘッドタンク　一基","キュウシュウデンリョクミョウケンハツデンショイチゴウキヘッドタンク　1キ","","","登録有形文化財","建造物","","霧島市牧園町宿窪田4224-6","",null,null,"","","","","","","2011-01-26","","","","","","","","","九州電力妙見発電所は牧園町宿窪田の天降川沿いにあります。大正6（1917）年から大正10年にかけて大規模なトンネル工事を行い、5月には試運転を開始、9月に正式使用が許可されました。翌11年11月には2号機も試運転を開始し、3号機は昭和5（1930）年5月に運転を開始しました。妙見発電所本館は2階建ての配電盤室棟と平屋ながら高い吹き抜け空間を有する発電機室棟の2つから構成されています。そして、出入口はアーチ形をとどめています。建物に使用されている石材は凝灰岩で、後年白色に塗装されています。鹿児島県内に残る石造発電所の中でも最も規模が大きく、石に細かい装飾を施して、窓周りの意匠などに高度な石工技術を認めることができます。ヘッドタンクは上部水槽ともいい、流量の変化を吸収し、水車への異物の流入を防ぐ役目があります。妙見発電所には正面向かって右側より1号、2号、3号と3本の水圧鉄管があります。1号は中津川より取水し、2号3号よりも高い位置に円筒形のヘッドタンクを築いています。2号と3号は天降川より取水し、山の中腹付近にヘッドタンクを築き、水を流しています。途中、水圧鉄管の上を道路がまたぐために石造アーチをかけてその下に水圧鉄管を流しています。発電機は運転開始時期が3基とも異なりますが、建設当初から3基設置する予定であったことが考えられ、（九州電力の考えによる）、本館及び放水口建設とともにヘッドタンクも3基分同時に建設されたものであると考えられています。妙見発電所本館と同様、ヘッドタンクも建設当初の石造の構造体を概ね残していて、とても貴重なものです。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [138,462187,"","鹿児島県","霧島市","九州電力妙見発電所2号機及び3号機ヘッドタンク　一基","キュウシュウデンリョクミョウケンハツデンショ2ゴウキオヨビ3ゴウキヘッドタンク　1キ","","","登録有形文化財","建造物","","霧島市牧園町宿窪田4224-6","",null,null,"","","","","","","2011-01-26","","","","","","","","","九州電力妙見発電所は牧園町宿窪田の天降川沿いにあります。大正6（1917）年から大正10年にかけて大規模なトンネル工事を行い、5月には試運転を開始、9月に正式使用が許可されました。翌11年11月には2号機も試運転を開始し、3号機は昭和5（1930）年5月に運転を開始しました。妙見発電所本館は2階建ての配電盤室棟と平屋ながら高い吹き抜け空間を有する発電機室棟の2つから構成されています。そして、出入口はアーチ形をとどめています。建物に使用されている石材は凝灰岩で、後年白色に塗装されています。鹿児島県内に残る石造発電所の中でも最も規模が大きく、石に細かい装飾を施して、窓周りの意匠などに高度な石工技術を認めることができます。ヘッドタンクは上部水槽ともいい、流量の変化を吸収し、水車への異物の流入を防ぐ役目があります。妙見発電所には正面向かって右側より1号、2号、3号と3本の水圧鉄管があります。1号は中津川より取水し、2号3号よりも高い位置に円筒形のヘッドタンクを築いています。2号と3号は天降川より取水し、山の中腹付近にヘッドタンクを築き、水を流しています。途中、水圧鉄管の上を道路がまたぐために石造アーチをかけてその下に水圧鉄管を流しています。発電機は運転開始時期が3基とも異なりますが、建設当初から3基設置する予定であったことが考えられ（九州電力の考えによる）、本館及び放水口建設とともにヘッドタンクも3基分同時に建設されたものであると考えられています。妙見発電所本館と同様、ヘッドタンクも建設当初の石造の構造体を概ね残していて、とても貴重なものです。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-makizono.html",""],
    [139,462187,"","鹿児島県","霧島市","霧島神宮社務所　一棟","キリシマジングウシャムショ　1トウ","","","登録有形文化財","建造物","","霧島市霧島田口2608-5","",31.8578013,130.8696472,"","","","","","","2006-08-03","","","","","","","","","霧島神宮の社務所は、昭和5年に建築された木造平屋建て、銅板葺、建築面積548平方メートルの建物です。南東を向いて建ち、正面中央には切妻造の玄関を突出し、北に座敷飾りを備えた応接室等、南には中廊下式で斎館や事務室等を配します。良材を用いた上品な造りの大規模和風建築で、複雑な平面に対応した屋根を巧妙に架け、落ち着いた景観を構成しています。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-kirishima.html",""],
    [140,462187,"","鹿児島県","霧島市","JR肥薩線嘉例川駅駅舎　一棟","ジェイアールヒサツセンカレイガワエキエキシャ　1トウ","","","登録有形文化財","建造物","","霧島市隼人町嘉例川2176","",31.8266809,130.7227581,"","","","","","","2006-03-02","","","","","","","","","鹿児島県の鉄道は、明治34年(1901)に鹿児島～国分(現隼人)駅間で開通し、2年後の明治36年(1903)に国分(現隼人)～吉松間が開通しました。これに伴い、嘉例川駅が開設され、明治36年1月15日に開業しました。明治42年(1909)には吉松～人吉間が開通し、昭和2年、隼人から人吉を結ぶ線は、「鹿児島線」から「肥薩線」へと名称を変更しました。交通網の発達、自動車の普及など、時代の流れにより、昭和59年に無人駅となります。平成15年、旧隼人町が駅舎を購入し、翌年には特急「はやとの風」の運行が始まりました。開業100年を超えた駅舎は、当時の造りを色濃く残す歴史ある大変貴重な建物です。","","https://www.city-kirishima.jp/bunka/kyoiku/rekishi/bunkazai/shitebunkazai/bunka-hayato.html",""]
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