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  "fields": [{"id":"_id","type":"int"},{"id":"全国地方公共団体コード","type":"numeric"},{"id":"地方公共団体名","type":"text"},{"id":"選定年月日","type":"text"},{"id":"氏名","type":"text"},{"id":"功績概要","type":"text"}],
  "records": [
    [1,422011,"長崎県長崎市","昭和54年5月16日","田口　長治郎","水産関係団体の要職を歴任され、昭和24年以来20数年にわたり衆・参両議員として国政に参画し、本市の水産界の振興発展はもとより、原爆被災後の戦災復興や都市の近代化の推進に多大の貢献をされた。（昭和54年5月4日没 享年85歳）"],
    [2,422011,"長崎県長崎市","昭和54年11月16日","今村　等","炭鉱労働者出身として労働運動に入り、以後その生涯を通じ一貫して地方第一線の労働運動家として活躍された。この間、日本鉱夫総連合会中央執行委員・日本労働組合同盟中央執行委員などの要職を歴任、また、長崎市議・県議を務めた後、衆議院議員として、地方政治ならびに国政に参画し、労働運動の先駆者として役割を果たし、労働運動の発展を通じて公共の福祉増進と地方自治・国政に多大の貢献をされた。（昭和54年11月1日没 享年87歳）"],
    [3,422011,"長崎県長崎市","昭和55年12月1日","江角　ヤス","大正15年4月以来、54年間人間性豊かな情操を養う女子教育の第一線で活躍され、この間、長崎・東京・鹿児島に純心女子学園を創立し、私学の振興に多大の貢献をされた。また、自らの原爆被災の体験から、日増しに高齢化し、今なお原爆の後遺症に苦しむ老人への奉仕を願って純心聖母会を設立し、恵の丘原爆ホームなどを建設して社会福祉の増進にも多大の貢献をされた。（昭和55年11月30日没 享年81歳）"],
    [4,422011,"長崎県長崎市","昭和58年12月20日","西岡　ハル","婦人代表として婦人参政権運動に尽力され、昭和28年3月、自由党初の女性参議院議員として国政に参画し、遺家族・引揚者・その他恵まれない方々への施策、売春防止法の制定、児童福祉施設などの整備促進を図られた。また、新聞社の要職を歴任され、地方文化の向上と地域の振興はもとより、原爆で荒廃した郷土の復興のために活躍され国政に多大の貢献をされた。（昭和58年11月30日没 享年77歳）"],
    [5,422011,"長崎県長崎市","昭和60年4月8日","住田　政之助","昭和26年4月から連続6期24年間長崎市議会議員として、市政発展のため寄与され、国際文化都市・広域産業都市建設の推進に大きく貢献された。この間、連続3期12年間にわたり市議会議長に就任し、円満な人格と卓越した識見により、円滑な議会運営を推進され、地方自治の育成発展に顕著な功績を残されるとともに、多年にわたり社会福祉関係団体の要職にあって、社会福祉の増進にも務められた。（昭和60年4月7日 享年84歳）"],
    [6,422011,"長崎県長崎市","昭和60年4月26日","小林　ヒロ","昭和26年4月から1期4年間長崎市議会議員、その後4期16年間長崎県議会議員として、市政発展のため寄与され、特に戦後の混乱期にいち早く婦人会を結成し、多年にわたり婦人団体の要職を歴任され、豊富な経験と卓越した指導力により、婦人の地位向上に多大の貢献をされた。さらに、原水爆禁止運動にも積極的に取り組まれ、今日の平和推進運動の基盤確立に尽力された。（昭和60年4月24日没 享年87歳）"],
    [7,422011,"長崎県長崎市","平成元年4月27日","調　来助","昭和17年長崎医科大学（現長崎大学医学部）教授に迎えられ、昭和20年8月9日の原爆による壊滅的状況の中で、被爆者の援護・治療にあたられ、その後も被爆者の検診を行うなど医療や研究に取り組まれた。原爆症の調査・研究を通じて被爆者行政の推進に尽くされた。（平成元年4月15日没 享年89歳）"],
    [8,422011,"長崎県長崎市","平成16年4月13日","さだ　まさし","昭和47年のデビュー以来、長崎にちなんだ曲を数多く作り、芸能活動をとおして本市の紹介に努められ、昭和62年からは毎年8月6日、平和コンサートを無料で開催されている。また、平成10年に「長崎ブリックホール」の名誉館長に就任、さらに、平成15年には「ながさきピースミュージアム」を開館され世界へ平和を発信されるとともに、長崎を題材にした本人原作の小説を映画化し、全国に長崎をアピールされるなど、文化、産業、経済の振興発展に多大の貢献をされた。"],
    [9,422011,"長崎県長崎市","平成19年12月27日","松田　皜一","長崎市観光協会（現 社団法人長崎国際観光コンベンション協会）や長崎伝統芸能振興会の会長、長崎商工会議所会頭などを多年にわたり務められ、本市の観光・文化・経済の発展に多大な功績を残された。また、長崎県観光連盟会長も歴任されるなど、本市だけでなく長崎県の発展にも貢献された。（平成19年11月18日没 享年85歳）"],
    [10,422011,"長崎県長崎市","平成24年1月10日","西岡　武夫","昭和38年11月から衆議院議員を11期、参議院議員を2期務められ、その間本市出身者として初の参議院議長に就任されたほか、文部大臣などの要職を歴任され、国政の中枢にあって我が国の発展に尽力された。また、地域の実情にも精通され、原爆被爆者援護の充実、教育施設や新幹線をはじめとした社会資本の整備などの各分野において、多大な貢献をされた。（平成23年11月5日没 享年75歳）"],
    [11,422011,"長崎県長崎市","平成29年10月25日","谷口　稜曄","被爆者運動に立ち上げから加わり、長年にわたり被爆者の援護の充実、被爆の実相の継承、核兵器廃絶のための活動に尽力され、国内外の平和推進に大きく貢献された。特に平成22年のニューヨーク国連本部でのNPT再検討会議では、焼けただれた自らの「赤い背中」の写真を掲げて核兵器廃絶を世界に向けて強く訴えられるなど、平成29年7月の核兵器禁止条約の成立に大きく寄与された。（平成29年8月30日没 享年88歳）"],
    [12,422011,"長崎県長崎市","令和3年11月25日","越中　哲也","長年にわたり長崎の歴史・文化の調査・研究に取り組み、長崎学の振興・発展に大きく寄与された。また、長崎市史編さん検討委員会委員及び長崎市史刊行委員会委員として、本市の先史・古代から現代までの通史の編纂について助言や調査を行うとともに、自ら執筆するなどし、「新長崎市史」の刊行に尽力、貢献された。さらに、昭和43年から約40年間、長崎市文化財審議会委員として、平成6年から約22年間、長崎市出島史跡整備審議会委員として、本市の文化財保護行政推進に大きく貢献された。（令和3年9月25日没 享年99歳）"],
    [13,422011,"長崎県長崎市","令和4年7月19日","山口　仙二","財団法人長崎原爆被災者協議会や日本原水爆被害者団体協議会の結成・設立に尽力し、当該団体の会長等として、長年にわたり被爆者の援護活動に尽力されるとともに、昭和57年の国連軍縮特別総会では、被爆者として初めて演説し「ノーモア・ヒロシマ、ノーモア・ナガサキ、ノーモア・ウォー、ノーモア・ヒバクシャ」と呼びかけを行うなど、核兵器の廃絶を訴える活動を続けられた。また、長崎市原子爆弾被災資料協議会委員、平和宣言文起草委員会委員及び長崎市原爆死没者追悼平和祈念館建設問題検討委員会委員として、長年にわたり本市の平和・被爆者援護行政に大きく貢献された。（H25. 7. 6没 享年82歳）"],
    [14,422011,"長崎県長崎市","令和6年10月25日","永瀬　貴規","長崎市出身であり、柔道男子81キロ級において初出場の2016リオデジャネイロオリンピックで銅メダル、2020東京オリンピックで金メダルを獲得し、2024パリオリンピックでは、同階級で史上初のオリンピック２連覇を達成するなど、三大会連続表彰台の偉業を成し遂げ、本市の名声を高めるとともに多くの市民に深い感動と勇気、明るい希望を与えた。"]
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