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    [1,272159,1,"大阪府","寝屋川市","石宝殿古墳","イシノホウデンコフン","","","国指定史跡","史跡","打上神社","大阪府寝屋川市打上元町38","",34.752305,135.658441,"","",1,"基",8120000000000,"宗教法人打上神社","S48.5.10","月〜日","終日","終日","","","","寝屋川市東端の打上に所在する北河内唯一の古墳時代終末期に属する古墳です。古墳は生駒山地から派生する丘陵の南斜面に築かれており、現状は巨大な横口式石槨が露出しています。横口式石槨は上面を平坦に加工した底石(下石)の上に、直径３ｍ、高さ1.5ｍで埋葬部分を刳り抜いた蓋石を重ねています。内部は幅0.9ｍ、高さ0.8ｍ、奥行き2.2ｍで、入口部分は幅0.5ｍと狭まっています。横口式石槨の前面には板状の石が２つ平行に立てられており、羨道部を形成しています。古墳の背後に残っている石列から、古墳の平面形が八角形になる可能性があります。","","","","",""],
    [2,272159,2,"大阪府","寝屋川市","高宮廃寺跡","タカミヤハイジアト","","","国指定史跡","史跡","大杜御祖神社","大阪府寝屋川市高宮2-15-1","",34.75584,135.638391,"","",1,"遺跡",2000000000000,"寝屋川市大字高宮財産区","S55.5.13","月〜日","終日","終日","","","","式内社大杜御祖神社境内を中心に所在する古代寺院跡です。発掘調査により金堂、講堂、東塔、回廊の位置が確認されました。また、神社社殿部分が未調査の為、遺構の確認はできていませんが、社殿部分から運ばれたとされる塔心礎が高宮神社に安置されていることから、金堂の前面に東西２塔が並ぶ双塔式伽藍配置と考えられます。出土した瓦の年代が、７世紀後半、８世紀、中世の３時期に分類できることから、白鳳時代に創建され、奈良時代に一度改修を行い、平安時代に入るころには廃絶しています。その後、中世に講堂の位置にお堂が建てられたことが考えられます。","","","","",""],
    [3,272159,3,"大阪府","寝屋川市","聖母女学院校舎","セイボジョガクインコウシャ","","","国登録有形文化財","建造物","学校法人聖母女学院","大阪府寝屋川市美井町18-10","",34.780951,135.636215,"","",1,"棟",3130000000000,"学校法人聖母女学院","H9.5.29","学校のため不可","","","","","","聖母女学院は大正12年(1923)に大阪市玉造に開校し、現在、寝屋川市美井町と京都市深草の学舎に小学校から短期大学まで抱える伝統ある学校です。校舎を入って正面の玄関から廊下で結ばれる平面「Ｅ」字形の校舎は、昭和７年(1932)に現校地に移転した当初に建設された、鉄筋コンクリート造地上２階地下１階建(３階部分は後の増築)の建物です。設計は、著名な建築家のアントニン・レーモンドによるものです。","","","","",""],
    [4,272159,4,"大阪府","寝屋川市","平池家住宅　主屋・長屋門","ヒライケケジュウタク　オモヤ・ナガヤモン","","","国登録有形文化財","建造物","","大阪府寝屋川市平池町12-7","",34.768884,135.623115,"","",2,"棟",1120000000000,"有限会社平池管理","","個人住宅のため不可","","","","","","平池家は1300年代から続くとされる平池村の大庄屋を長く務めた旧家です。主屋は安政５年（1858）に建てられた広大な旧主屋を昭和29年（1954）に分割し、式台から座敷部分を改修したものです。木造平屋建の入母屋造桟瓦葺です。また、長屋門は文久２年（1862）に造られたとされ、欅の一枚板の扉に八双金具、乳金具を打つ荘厳な作りで、大庄屋屋敷の表構えを形成しています。","","","","",""],
    [5,272159,5,"大阪府","寝屋川市","寝屋古墳","ネヤコフン","","","府指定史跡","史跡","府営寝屋川公園","大阪府寝屋川市寝屋川公園2370","",34.76194,135.65523,"","",1,"基",4000000000000,"大阪府","H5.11.24","月〜日","終日","終日","","","","府営寝屋川公園内に所在する、横穴式石室を有する古墳です。横穴式石室は長さ5.5ｍ、奥壁幅2.5ｍの規模で、この前面に羨道あるいは墓道となる落ち込みが見つかっており、羨道部分の上部が破壊されていることが判明しています。発掘調査が行われていないため築造時期は不明ですが、巨石を利用した石室の構造から６世紀末〜７世紀前葉に築造されたと考えられます。","","","","",""],
    [6,272159,6,"大阪府","寝屋川市","神田天満宮のくすのき","カミダテンマングウノクスノキ","","","府指定天然記念物","天然記念物","神田天満宮","大阪府寝屋川市上神田2-2-2","",34.75699,135.608026,"","",1,"つ",5120000000000,"神田天満宮","S47.3.31","月〜日","終日","終日","","","","神田天満宮には、境内に数本のくすのきの巨木が生育していますが、このうち社殿東側の１本は「千年くす」と呼ばれており、幹周り10ｍをはかる本市最大、府下有数の巨木です。かつては高さ33ｍを誇っていましたが、その後樹勢の衰えが目立ち、蘇生治療を実施しました。その際に枯幹・枯枝の切除を行ったため、現状では15ｍ程度の高さとなっています。","","","","",""],
    [7,272159,7,"大阪府","寝屋川市","春日神社のスダジイの社叢","カスガジンジャノスダジイノシャソウ","","","府指定天然記念物","天然記念物","春日神社","大阪府寝屋川市国松町20-4","",34.770308,135.633693,"","",1,"つ",null,"春日神社","S56.6.1","月〜日","終日","終日","","","","スダジイは春日神社の社殿をとりまくように、４本生育しています。いずれも、樹高は約10〜15ｍ前後で目通り直径も約１ｍをはかります。その中でも崖にある１本は、樹根を４〜５ｍ近く露出しています。樹齢は約400年と推定されています。","","","","",""],
    [8,272159,8,"大阪府","寝屋川市","太秦高塚古墳","ウズマサタカツカコフン","","","市指定史跡","史跡","太秦高塚古墳公園","大阪府寝屋川市太秦高塚町358他","",34.76026,135.64166,"","",1,"基",6000000000000,"寝屋川市","H9.11.3","月〜日","終日","終日","","","","市域東部の太秦丘陵上に位置する古墳時代中期（５世紀後半)の円墳です。平成13年度に発掘調査を実施し、直径約39ｍ、高さ約5ｍで、北西側に突出部（造り出し）をもつことが判明しました。調査成果を基に墳丘や円筒埴輪列（約350基）を復元する史跡整備を行い、平成14年4月に「太秦高塚古墳公園」として一般公開しています。","","","","",""],
    [9,272159,9,"大阪府","寝屋川市","伝・秦河勝の墓","デン・ハタノカワカツノハカ","","","市指定史跡","史跡","","大阪府寝屋川市川勝町2-22","",34.7685,135.63391,"","",1,"基",null,"国","H9.11.3","月〜日","終日","終日","","","","秦山と呼ばれる寝屋川北岸の丘陵上に所在します。高さ2.42ｍの五輪塔が建てられており、地輪の四面に秦河勝の事績や五輪塔建立の経緯などが刻まれています。この碑文によると、現存する五輪塔は、慶安２年(1649)に再建されたものであることがわかります。","","","","",""],
    [10,272159,10,"大阪府","寝屋川市","秋玄寺十三仏板碑","シュウゲンジジュウサンブツイタビ","","","市指定有形文化財","彫刻","秋玄寺","大阪府寝屋川市高宮2-8-18","",34.757196,135.634869,"","",1,"基",9120000000000,"秋玄寺","H9.11.3","寺院所蔵品のため不可","","","","","","秋玄寺の十三仏板碑は、総高114p、最大幅53p、厚さ22pで、頂部は前に反り出しています。舟形の塔身部は幅５p程度の輪郭部分をもち、内部は一段彫り下げられています。内部に下部より３・３・３・３・１で蓮華座上に乗る諸仏が配されており、上部に４本の瓔珞を下している天蓋が表現されています。「永禄十三年　庚午　□月十三日（1570）」と刻まれており、本市では２番目に古い十三仏板碑です。","","","","",""],
    [11,272159,11,"大阪府","寝屋川市","大念寺十三仏板碑（小）","ダイネンジジュウサンブツイタビ（ショウ）","","","市指定有形文化財・彫刻","彫刻","大念寺","大阪府寝屋川市堀溝2-9-4","",34.74006,135.62593,"","",1,"基",4120000000000,"大念寺","H9.11.3","寺院所蔵品のため不可","","","","","","大念寺境内の墓地に安置されています。花崗岩製ですが、粗質な石材のため風化が著しく、頂部が欠損しています。現存部分の高さは90p、厚さ16pで、塔身部は上部の最大幅が45p、下部の幅が38pをはかり、下部がややすぼまった形状です。また、上部は前に反り出しています。十三仏は風化が著しく像容がはっきりしていません。像容の左側には「慶長十四年　己酉（1609）十月十五日」と造立年月日が刻まれています。","","","","",""],
    [12,272159,12,"大阪府","寝屋川市","大念寺十三仏板碑（大）","ダイネンジジュウサンブツイタビ（ダイ）","","","市指定有形文化財・彫刻","彫刻","大念寺","大阪府寝屋川市堀溝2-9-4","",34.74006,135.62593,"","",1,"基",4120000000000,"大念寺","H9.11.3","寺院所蔵品のため不可","","","","","","大念寺に所在する２基のうち向かって左側のものです。花崗岩製で総高115p、厚さ15p、幅は上・下部ともに60pです。舟形の塔身部は幅５p程度の輪郭部分をもち、内部は一段彫りくぼめられています。内部には蓮華座上に座る仏像が下部より３・３・３・３・１に配され、その上部に４本の瓔珞をもつ天蓋が半肉彫りで表現されています。輪郭の下部の左右にはそれぞれ「六月十五日」、「慶長十六年辛亥(1611)」と造立年月日が刻まれています。","","","","",""],
    [13,272159,13,"大阪府","寝屋川市","蔵骨器","ゾウコツキ","","","市指定有形文化財・考古資料","考古資料","長榮寺","大阪府寝屋川市長栄寺町6-4","",34.765548,135.612078,"","",1,"基",5120000000000,"長榮寺","H9.11.3","寺院所蔵品のため不可","","","","","","昭和14年(1939)に長栄寺町の長栄寺本堂北側の水田を発掘した際に、出土しました。凝灰岩製で一辺79p、高さ30pの方形をしています。その中央部に一辺30p、深さ7.5pの方形の孔が開けられています。現在、長栄寺の本堂の縁の下に保管されていますが、かなり風化が進んでおり、蔵骨器の身か蓋かは判断できません。出土場所付近は、寺伝によると「茨田親王塚」と呼ばれる塚があった場所と伝わっています。","","","","",""],
    [14,272159,14,"大阪府","寝屋川市","正法寺梵鐘","ショウホウジボンショウ","","","市指定有形文化財・工芸品","工芸品","正法寺","大阪府寝屋川市寝屋1-10-1","",34.771219,135.653242,"","",1,"口",3120000000000,"正法寺","H10.11.3","寺院所蔵品のため不可","","","","","","正法寺山門を入って東側の鐘楼に吊るされています。鐘の大きさは、高さ110p、口径64.5pをはかります。銘文から、慶長20年(1615)に石見国(山口県)の覺法寺の鐘として鋳造され、その後、明暦２年(1656)に芸州(広島県)にあった永照寺に移り、さらに昭和３年(1928)に謝徳堂に移ったことがわかります。その後、昭和37年(1962)に正法寺に移されました。現在残されているものとしては、市内最古の梵鐘です。","","","","",""],
    [15,272159,15,"大阪府","寝屋川市","大念寺梵鐘","ダイネンジボンショウ","","","市指定有形文化財・工芸品","工芸品","大念寺","大阪府寝屋川市堀溝2-9-4","",34.74006,135.62593,"","",1,"口",4120000000000,"大念寺","H10.11.3","寺院所蔵品のため不可","","","","","","大念寺山門を入って左側の鐘楼に吊るされています。鐘の大きさは高さ146.5p、口径92pで、市内最大です。銘文によると、寛文10年(1670)に和泉州(大阪府)の浄光寺の鐘として鋳造され、その後、昭和３年(1928)に大念寺に寄進されたことがわかります。","","","","",""],
    [16,272159,16,"大阪府","寝屋川市","正立寺梵鐘","ショウリュウジボンショウ","","","市指定有形文化財・工芸品","工芸品","宗教法人正立寺","大阪府寝屋川市黒原城内町16-17","",34.761668,135.597905,"","",1,"口",1120000000000,"宗教法人正立寺","H10.11.3","寺院所蔵品のため不可","","","","","","正立寺山門を入って南側の鐘楼に吊るされています。鐘の大きさは、高さ125p、口径68pをはかります。銘文によると、寶永４年(1707)に河州(河内国)茨田郡黒原村の正立寺の鐘として鋳物師(鋳造職人)の岸本仁右衛門尉藤原寛敬によって鋳造されたことが分かります。","","","","",""],
    [17,272159,17,"大阪府","寝屋川市","喜多家墓所五輪塔（地輪）","キタケボショゴリントウ（チリン）","","","市指定有形文化財・建造物","建造物","喜多家","大阪府寝屋川市池田2-7-31","",34.775648,135.616452,"","",1,"基",null,"喜多家","H10.11.3","個人所有のため不可","","","","","","池田２丁目(旧池田川村)の喜多家屋敷地に隣接する墓所に置かれており、一辺75p、高さ46pの花崗岩製で、上面には直径13pの浅い円孔があり、五輪塔の一部(地輪)であることがわかります。側面には「河内國茨田郡/池田郷/建武二年乙亥/十一月一日/三昧結衆等」と銘文が刻まれており、建武２年(1335)に池田郷の村人達によって、この五輪塔が建てられたことがわかります。","","","","",""],
    [18,272159,18,"大阪府","寝屋川市","讃良川遺跡出土土製耳飾り（耳栓）","サラガワイセキシュツドドセイミミカザリ（ジセン）","","","市指定有形文化財・考古資料","考古資料","市立埋蔵文化財資料館","大阪府寝屋川市打上宮前町3-1","",34.754695,135.653767,"(072)822-3381","",7,"個",6000000000000,"寝屋川市","H11.11.3","水〜日","午前９時","午後５時15分","","","","讃良川遺跡は寝屋川市と四條畷市の境に位置する縄文時代の遺跡です。土製耳飾り(耳栓)は７点出土しており、長さ1.5〜2.5p、重さ2.8〜12.7ｇで、形は胴部の中央がくびれる臼形です。耳たぶに穴をあけてはめ込む現在のピアスのようなものと考えられています。文様は、刺突を二重に圏状に施すものや放射状に沈線を施すもの、外面に赤く色を付けているものなどバラエティに富んでいます。","","","","",""],
    [19,272159,19,"大阪府","寝屋川市","高宮八丁遺跡出土勾玉","タカミヤハッチョウイセキシュツドマガタマ","","","市指定有形文化財・考古資料","考古資料","市立埋蔵文化財資料館","大阪府寝屋川市打上宮前町3-1","",34.754695,135.653767,"(072)822-3381","",1,"個",6000000000000,"寝屋川市","H11.11.3","水〜日","午前９時","午後５時15分","","","","高宮八丁遺跡は、本町から初町に広がる弥生時代の集落遺跡です。勾玉は、長さ3.3p、幅２p、厚さ0.8p、重さ10.6ｇで、淡緑色をした硬玉(ヒスイ)製のものです。全体は「Ｃ」字形で、幅広く扁平な形をし、背部は半月形の弧状をしています。また、腹部には二つの「Ｕ」字形の浅井切込みの凹みと一つの突起があります。頭部には背部寄りに紐穴が１箇所穿たれています。いわゆる「獣形勾玉」もしくは「櫛形勾玉」と呼ばれているものです。","","","","",""],
    [20,272159,20,"大阪府","寝屋川市","長保寺遺跡出土古代船","チョウボジイセキシュツドコダイセン","","","市指定有形文化財・考古資料","考古資料","市立埋蔵文化財資料館及び旧研修センター","大阪府寝屋川市打上宮前町3-1","",34.754695,135.653767,"(072)822-3381","",2,"基",6000000000000,"寝屋川市","H11.11.3","水〜日","午前９時","午後５時15分","","","","長保寺遺跡は昭栄町〜出雲町に広がる縄文時代〜室町時代の複合遺跡です。古代船は古墳時代の井戸の井戸枠として再利用されていました。断面が三日月形の木材で、残存長2.4ｍ、幅1.35ｍ、厚さ0.1ｍ、高さ0.4ｍで断面は弧形をしています。「準構造船」と呼ばれる形態のもので、資料は船体(丸木船)の中央部分と見られます。","","","","",""],
    [21,272159,21,"大阪府","寝屋川市","高宮遺跡出土 墨書銘曲物桶","タカミヤイセキシュツド　ボクショメイマゲモノオケ","","","市指定有形文化財・考古資料","考古資料","市立埋蔵文化財資料館","大阪府寝屋川市打上宮前町3-1","",34.754695,135.653767,"(072)822-3381","",1,"個",6000000000000,"寝屋川市","H11.11.3","水〜日","午前９時","午後５時15分","","","","高宮遺跡は、高宮の丘の上と下に広がる縄文時代から平安時代の複合遺跡です。曲物桶は平安時代の井戸から出土しました。井戸は、長径2.7ｍ、短径2.2ｍの楕円形で深さは3.1ｍでした。曲物桶は、直径16p、高さ14p、厚さ0.5pで、板材を薄板上に削り、両端を合わせて円筒状にして合わせ目を桜皮で結び、外面の上部と下部に厚さ４p、厚さ0.3pの箍をはめています。外側中央に「保延六年□月十一日侍近桶也」と年号など銘文が墨書されています。保延六年は西暦1140年に該当します。","","","","",""],
    [22,272159,22,"大阪府","寝屋川市","明光寺十三仏板碑","ミョウコウジジュウサンブツイタビ","","","市指定有形文化財・彫刻","彫刻","明光寺","大阪府寝屋川市打上元町31-6","",34.754452,135.657589,"","",1,"基",9120000000000,"明光寺","H12.11.3","寺院所蔵品のため不可","","","","","","明光寺の十三仏板碑は、総高120p、幅65p、最大幅28pで、花崗岩製の舟形光背をしています。舟形の塔身部は、帯状の輪郭部分をもち、内部を一段彫りくぼめています。内部には瓔珞をつるした天蓋を表現し、下部より３・３・３・３・１と蓮華座に座る13体の仏像を半肉彫りにしています。銘文より弘治３年(1557)に造立されたことがわかり、市内に現存する十三仏板碑の中で最も古いものです。","","","","",""],
    [23,272159,23,"大阪府","寝屋川市","明光寺雷神石","ミョウコウジライジンセキ","","","市指定有形文化財・考古資料","考古資料","明光寺","大阪府寝屋川市打上元町31-6","",34.754452,135.657589,"","",1,"基",9120000000000,"明光寺","H12.11.3","寺院所蔵品のため不可","","","","","","明光寺山門の脇にある「雷神石」と呼ばれる石碑です。江戸時代の『河内名所図会』には、「雷神石」のことを「一ヶの奇石あり」と紹介しています。碑の大きさは現状では、高さ135p、幅75p、厚さ42pです。石材は、兵庫県高砂市付近に産する流紋岩質凝灰岩（通称：竜山石）で、古墳の石棺に使用されていたものを再利用して作られています。碑の上部に明光寺の山号である「天照山」、側面に「弘治三（1557）丁巳九月吉日　可信」と銘文が刻まれています。また、この付近には「八十塚」とも呼ばれる場所もあり、多数の塚が存在していたようです。","","","","",""],
    [24,272159,24,"大阪府","寝屋川市","高宮八丁遺跡出土櫂","タカミヤハッチョウイセキシュツドカイ","","","市指定有形文化財・考古資料","考古資料"," 市立埋蔵文化財資料館","大阪府寝屋川市打上宮前町3-1","",34.754695,135.653767,"(072)822-3381","",1,"本",6000000000000,"寝屋川市","H12.11.3","水〜日","午前９時","午後５時15分","","","","高宮八丁遺跡は、本町から初町に広がる弥生時代の集落遺跡です。遺跡からは多くの木製品の完形品や未製品が出土しています。出土した木製品の種類としては、鍬・鋤をはじめとする農耕具、石斧柄等の工具、織機具、椀などの容器類、武器、弓などの狩猟具、漁撈具、運搬具、用材など多岐にわたっています。この櫂は、全長173.1pで、両側に水をかく部分があるカヌーの「パドル」タイプのものです。小型の丸木舟をこぐのに使用されたと考えられます。高宮八丁遺跡周辺の旧地形を復元すると、南西には古代河内潟（湖）が広がり、漁撈や物資の運搬に小型の舟が活躍したものと思われます。","","","","",""],
    [25,272159,25,"大阪府","寝屋川市","高宮八丁遺跡出土貯蔵穴","タカミヤハッチョウイセキシュツドチョゾウケツ","","","市指定有形文化財・考古資料","考古資料"," 市立埋蔵文化財資料館","大阪府寝屋川市打上宮前町3-1","",34.754695,135.653767,"(072)822-3381","",1,"基",6000000000000,"寝屋川市","H12.11.3","水〜日","午前９時","午後５時15分","","","","高宮八丁遺跡は、本町から初町に広がる弥生時代の集落遺跡です。貯蔵穴は遺跡内から２ヵ所見つかっています。地面に穴を掘って木の実を保存するためのもので、砂質の地面に掘られ、直径約90p、深さ約50pの円形をしており、内部からは多量のドングリが出土しました。また、貯蔵穴の底には長径約72p、短径約62pの編物が敷かれていました。重要な資料のため、保存処理を施した後、市立埋蔵文化財資料館に一緒に出土したドングリと共に展示しています。","","","","",""],
    [26,272159,26,"大阪府","寝屋川市","長保寺遺跡出土子持勾玉","チョウボジイセキシュツドコモチマガタマ","","","市指定有形文化財・考古資料","考古資料"," 市立埋蔵文化財資料館","大阪府寝屋川市打上宮前町3-1","",34.754695,135.653767,"(072)822-3381","",1,"個",6000000000000,"寝屋川市","H12.11.3","水〜日","午前９時","午後５時15分","","","","長保寺遺跡は昭栄町〜出雲町に広がる縄文時代〜室町時代の複合遺跡です。子持勾玉は古墳時代の包含層から出土しました。体部の各辺に小さな勾玉をもつものです。全長10.2p、体部幅3.1p、厚さ3.5p、重さ220ｇあり、石材は滑石で淡緑色をしています。背部に３個、腹部に１個、両側部に３個の合計10個の小さな勾玉がつくり出されています。頭部には、直径６oの紐孔のほかに、二対の直径２oの小孔があけられています。","","","","",""],
    [27,272159,27,"大阪府","寝屋川市","太秦古墳群出土鹿の埴輪","ウズマサイセキグンシュツドシカノハニワ","","","市指定有形文化財・考古資料","考古資料"," 市立埋蔵文化財資料館","大阪府寝屋川市打上宮前町3-1","",34.754695,135.653767,"(072)822-3381","",1,"体",6000000000000,"寝屋川市","H12.11.3","水〜日","午前９時","午後５時15分","","","","太秦古墳群は、寝屋川市の東部、太秦から秦にかけての太秦丘陵一帯にかつて存在していました。現在は太秦高塚古墳だけしか残っていませんが、古墳の存在を想像させる小字名が残されています。鹿の埴輪は昭和37年（1962）熱田神社東側から発見されました。埴輪は頭の部分で、残存最大高15.9p、残存最大幅約16.7pあります。頂部に角があることから牡鹿であることが分かります。角は途中で折れてしまっており詳細については不明です。目は円形に刳り抜き、口は線刻によって表現されています。","","","","",""],
    [28,272159,28,"大阪府","寝屋川市","木造聖観音坐像","モクゾウショウカンノンザゾウ","","","市指定有形文化財・彫刻","彫刻","法安寺","大阪府寝屋川市下神田町17-5","",34.749585,135.609614,"","",1,"体",2120000000000,"法安寺","H15.11.3","寺院所蔵品のため不可","","","","","","高さ100p、像の高さ57.4pのヒノキ造りの観音像です。両目を見開いた明快な表情、正面から側面にかけて強く曲がる面の取り方、奥行きのある重々しいからだつき、胸を張って上体を直立させた姿勢、裙折返部背面のにぎやかな衣縁の意匠などに時代的な特徴が良く示されています。制作は鎌倉時代、13世紀前半と考えられます。","","","","",""],
    [29,272159,29,"大阪府","寝屋川市","絹本着色方便法身尊像","ケンポンチャクショクホウベンホッシンソンゾウ","","","市指定有形文化財・絵画","絵画","西正寺","大阪府寝屋川市太間町11-16","",34.783596,135.612942,"","",1,"幅",1120000000000,"西正寺","H15.11.3","寺院所蔵品のため不可","","","","","","親指と人さし指を合わせ、右手を胸の高さに上げ、左手を下げた摂取不捨印（せっしゅふしゃいん=浄土真宗の特徴を表す姿）の阿弥陀如来像図です。阿弥陀の本願を表す四十八条の光明を放って蓮台上に立っています。裏書には文亀２年（1502）に本願寺９世実如から下付されたものとあります。本市で最古の年紀をもつ絵画です。（通常は非公開）","","","","",""],
    [30,272159,30,"大阪府","寝屋川市","八相涅槃図","ハッソウネハンズ","","","市指定有形文化財・絵画","絵画","法安寺","大阪府寝屋川市下神田町17-5","",34.749585,135.609614,"","",1,"幅",2120000000000,"法安寺","H16.11.3","寺院所蔵品のため不可","","","","","","八相涅槃図は、釈迦の入滅する場面の両脇に、下天託胎・誕生・競試武芸・四門出遊・出家・山中苦行・降魔成道・初転法輪の様子が描かれています。寄進銘によると、元禄元年（1688）に福井惣兵衛が寄進し、この図を制作したのは南都絵所である竹坊左兵衛尉栄信で、鮮やかな彩色と暢達した描線により、嘆き悲しむ会衆や動物を細部まで丁寧にいきいきと描きだしています。この図は、縦280p、横228pの描表装で、市内にある仏画のなかでも最大のものです。（通常は非公開）","","","","",""],
    [31,272159,31,"大阪府","寝屋川市","三井のお弓行事","ミイノオユミギョウジ","","","市指定無形民俗文化財","民俗","友呂岐神社","大阪府寝屋川市美井元町5-7","",34.782333,135.635471,"","",1,"件",null,"三井文化保存会","H19.11.3","神事のため不可","","","","","","友呂岐神社の神事の一つです。このお弓行事は毎年成人の日に、旧三井氏神社跡で行われていました。昔は、村役有力者の子弟が紋付・かみしも姿で弓を引きましたが、現在では地元から選ばれた20才の若者２人が引くようになっています。弓は交互に２本ずつ３回、計12本の矢を射ます。12本の矢は12ヶ月（１年）を意味し、矢の当たり具合でその年の天候と豊凶を占います。近年では「成人の日」の前日の日曜日に催されています。","","","","",""],
    [32,272159,32,"大阪府","寝屋川市","菅原神社本殿","スガワラジンジャホンデン","","","市指定有形文化財・建造物","建造物","菅原神社","大阪府寝屋川市池田中町31-13","",34.776696,135.61313,"","",1,"棟",8120000000000,"菅原神社","H23.11.3","月〜日","終日","終日","","","","菅原神社は、池田中町に鎮座する池田中・池田川・池田下の三ヶ村の産土神で、元の祭神は大国主命でしたが、江戸時代寛永年間に永井氏が一帯を支配した際、菅原道真を祀る天満宮になりました。本殿は木造一間社流造で、入母屋造桟瓦葺の覆屋の中に保存されています。建築年代を明らかにする資料は見当たりませんが、装飾細部全体に江戸時代前期の様式を示しています。","","","","",""],
    [33,272159,33,"大阪府","寝屋川市","八木家住宅　主屋・下男部屋・蔵・門及び塀","ヤギケジュウタクオモヤ・ゲナンベヤ・クラ・モンオヨビヘイ","","","国登録有形文化財","","","大阪府寝屋川市香里本通町","",34.78395556,135.6334028,"","",4,"棟",null,"","R5.8.7","個人住宅のため不可","","","","","","香里園駅東の住宅街に建つ藤井厚二設計の木造二階建桟瓦葺の住宅。和風の要素を幾何学的な構成や椅子式の生活様式に合わせて再構成した意匠や、通気筒により空気の循環に配慮するなど、聴竹居で完成をみた藤井の環境共生住宅の特徴を極めて良い状態で残す。","","","","",""],
    [34,272159,34,"大阪府","寝屋川市","大念寺十一面観音菩薩立像","ダイネンジジュウイチメンカンノンボサツリュウゾウ","","","市指定有形文化財・彫刻","彫刻","大念寺","大阪府寝屋川市堀溝2-9-4","",34.74006,135.62593,"","",1,"体",4120000000000,"大念寺","R5.10.4","寺院所蔵品のため不可","","","","","","頭上に五変化面（後補）をいただき、左手に華瓶（後補）を持ち、右手を垂下させて立つ十一面観音菩薩像。","","","","",""]
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