﻿_id	番号	読み句	読み句_カナ	読み句頭文字	解説	主な時代1	主な時代2	緯度	経度	現在の地域名1	現在の地域名2	現在の地域名3	現在の地域名4	現在の地域名5	現在の地域名6	現在の地域名7	現在の地域名8	現在の地域名9	現在の地域名10	現在の地域名11	現在の地域名12	現在の地域名13	現在の地域名14	関連小学校1_学校名	関連小学校1_学校コード	関連小学校2_学校名	関連小学校2_学校コード	関連小学校3_学校名	関連小学校3_学校コード	関連小学校4__学校名	関連小学校4_学校コード	関連小学校5_学校名	関連小学校5_学校コード	関連小学校6_学校名	関連小学校6_学校コード	関連小学校7_学校名	関連小学校7_学校コード	キーワード1	キーワード2	キーワード3	キーワード4	キーワード5	キーワード6	キーワード7	キーワード8	キーワード9	キーワード10
1	k01	いにしえに 都置かれし 柴籬宮	イニシエニ ミヤコオカレシ シバガキノミヤ	い	丹比柴籬宮址は、18代反正天皇が5世紀前半、ミヤコを定めた皇居址で、現柴籬神社付近が中心地であろうと推測されている。宮は、柴で垣根をめぐらしていたので柴籬宮と名づけられたといわれる。五年余りのミヤコで、その間、国内は平和で五穀豊穣。天下は太平であったという。ミヤコ址の位置を推定させる大門、中門、極殿山、東宮などの地名が残っている。	古墳	***	34.571810	135.559785	松原市上田	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原小学校	B127210007324	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	丹比柴籬宮	柴籬神社	広庭神社	神話・伝承	日本書紀	古事記	反正天皇	大和朝廷(大和政権)	***	反正山
2	k02	ロマンあり 我堂八幡宮 力石	ロマンアリ ガドウハチマングウ チカライシ	ろ	天美我堂にある我堂八幡宮は、厄除宮として知られ、誉田別命(応神天皇)を祭神としている。境内には、明治時代に地域の若者たちが力くらべした力石が6個残っている。「明治石」「金剛石」「八幡石」「龍王石」「力石」「力石」と刻まれており、民俗資料としても貴重である。	明治	***	34.582839	135.526236	松原市天美我堂	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立天美西小学校	B127210007404	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	我堂八幡宮	誉田別命	厄除宮	力石	民俗	天美我堂	応神天皇	***	***	***
3	k03	はるかなり キリシタン灯籠 熱田神社	ハルカナリ キリシタントウロウ アツタジンジャ	は	別所にある熱田神社は、日本武尊を祭神とする。境内には大木のクスが多数あり、鎮守の杜の雰囲気をただよわせている。正面の「熱田神社」の社号標石は、大阪の有名な漢学者の藤澤南岳が大正8年(1919)に書いたものである。鳥居を入った西側に、江戸時代のキリシタン灯籠が建っている。当時、江戸幕府によってキリスト教が禁止されていたが、ひそかに信者が灯籠に十字架を模したり、地蔵像に似せたマリア像を彫り、信仰したと思われる。	江戸	大正	34.588912	135.563808	松原市別所	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立恵我小学校	B127210007388	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	熱田神社	日本武尊	キリシタン灯籠	漢学	藤澤南岳	別所	教育	***	***	***
4	k04	西除の 夜桜たのし 今池堤	ニシヨケノ ヨザクラタノシ イマイケツツミ	に	西除川は古くは丹比野の西部を北流して丹南、岡、新堂、高見、河合、東代、更池、向井、高木、堀、池内、芝、油上、城連寺を経て大阪市内を通り、淀川へ注いでいた。江戸時代中期、大和川の付替えで西除川も流路変更されたが、現在、西除川沿いの天美西の今池水みらいセンター(もと今池)付近に桜並木が植えられ、人々の目を楽しませている。	江戸	***	34.587724	135.522073	松原市天美西	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立天美西小学校	B127210007404	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	西除川	今池	大和川付替え	狭山池	農業	***	***	***	***	***
5	k05	本尊は 楠木守る 聖観音	ホンゾンハ クスノキマモル ショウカンノン	ほ	安明寺は天美北(城連寺地区)の最勝寺境内にある。本堂には、1寸8分で、唐獅子の上に立つ聖観音が安置されている。元中年間(1384～92)、楠木家の一族で和田和泉守正遠の家臣、城連寺左衛門安明が、この地に永住した時、正遠の守り本尊である聖観音をいただいてきた。安明はこの聖観音を本尊として、一寺を建立し、安明寺と名づけ、地名も城連寺になったといわれる。	南北朝	***	34.595313	135.534896	松原市天美北	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立天美北小学校	B127210007431	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	安明寺	聖観音	最勝寺	和田和泉守正遠	城連寺	***	***	***	***	***
6	k06	扁額は 八つの景勝 布忍宮	ヘンガクハ ヤッツノケイショウ ヌノセミヤ	へ	布忍神社は、北新町向井にあり、祭神に八重事代主命、素盞鳴命、武甕槌命を祀る。境内にはクス、エノキなどの巨木が繁茂している。本殿(大阪府指定有形文化財)に布忍八景(布忍地方にある八つの景勝を選定したもの)を絵と歌でしるした扁額が掛っている。扁額は大きな横長の板で、四面一組である。布忍八景扁額(松原市指定有形文化財)は、宝永2年(1705)に布忍神社に奉納されたものである。	江戸	***	34.579032	135.536166	松原市北新町	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立布忍小学校	B127210007379	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	布忍神社	八重事代主命	素盞鳴命	武甕槌命	扁額	八景	農村文学	***	***	***
7	k07	土器づくり 文化の名残り 立部の土師器	ドキヅクリ ブンカノナゴリ タツベノハジキ	と	立部の集落には、古墳時代半ば頃に土師部が住んでいたという。18代反正天皇が、丹比柴籬宮にミヤコを置いたと伝えているので、立部で、土器をつくり、反正天皇に献上したという。江戸時代、河内地方の中でも立部では「土わん」が、名産として有名であったと『河内志』(享保20年、1735)に書かれている。	古墳	江戸	34.564628	135.562972	松原市立部	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原東小学校	B127210007440	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	土師部	反正天皇	丹比柴籬宮	土器	かわらけ	立部	神話・伝承	***	***	***
8	k08	ちちかみの 伝説かなし はがみさん	チチカミノ デンセツカナシ ハガミサン	ち	柴籬神社に住吉神社(反神社)が合祀されている。住吉神社は、もともと現在の松原郵便局東側の長尾街道沿いにあり、「はがみさん」として祀られていた。昔、愛児に乳房を含ませていた母親が、急にむずかった愛児に、含ませていた乳房を噛みきられ絶命したという悲しい伝説がある。住吉神社に接して「ちちかみはし」が架かっていた。母親の霊をなぐさめるため、祠が建てられたのである。明治43年(1910)、大阪府が建立した「ちちかみはし」「長尾街道」の道標が建っている。	不明	***	34.576884	135.552220	松原市上田	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原小学校	B127210007324	松原北小学校	B127210007342	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	住吉神社	反神社	はがみさん	ちちかみはし	長尾街道	柴籬神社	神話・伝承	***	***	***
9	k09	りりしきは 阿保親王と 人したう	リリシキハ アオシンノウト ヒトシタウ	り	阿保親王は、51代平城天皇の第2皇子で、在原行平、業平の父としても有名である。最初、大和に居住していたが、大同4年(809)、薬子の変により政界を去って、承和元年(834)頃、市域の阿保に移住したと伝える。親王は阿保の地が水利の便が悪く、干害に悩む農民のために池を造り、農業をすすめたという。	平安	***	34.582085	135.556879	松原市阿保	松原市田井城	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原北小学校	B127210007342	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	阿保親王	溜池	阿保	神話・伝承	薬子の変	***	***	***	***	***
10	k10	布忍にも 十一面観音 大林寺	ヌノセニモ ジュウイチメンカンノン ダイリンジ	ぬ	西除川に架かる朱塗りの橋の東側のたもとに融通念仏宗の大林寺がある。その大林寺に等身大(1m70cm)の十一面観音立像が祀られている。もとは、北新町向井の布忍山永興寺の本尊として祀られていたが、明治6年廃寺となり、大林寺に移された。年代は、平安時代後期の作と考えられ、松原市指定有形文化財である。	平安	明治	34.579063	135.537217	松原市北新町	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立布忍小学校	B127210007379	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	大林寺	十一面観音	永興寺	布忍	向井	廃仏毀釈	***	***	***	***
11	k11	類のない 印材技術 地場産業	ルイノナイ インザイギジュツ ジバサンギョウ	る	印鑑の材料、すなわち印材は、昔から天美や布忍地区において生産され、松原市の誇りとすべき特産品のひとつとなっている。原料の水牛の角は東南アジア、象牙はアフリカ、山牛の角はインドから輸入されている。ただ今では、ワシントン条約によって、水牛の角や象牙が輸入の制限を受け、希少なものとなった。	現代	***	34.587989	135.531118	松原市天美東	松原市天美南	松原市北新町	松原市南新町	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立天美小学校	B127210007351	松原市立布忍小学校	B127210007379	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	印材	印鑑	地場産業	ワシントン条約	天美	布忍	***	***	***	***
12	k12	織りつづく 木綿の技術 金網に	オリツヅク モメンノギジュツ カナアミニ	を	松原の地場産業のひとつに金網製造業がある。現在、阿保地区を中心として金網の製造が行われるようになったのは、江戸時代から松原でも盛んであった河内木綿の栽培にあったようである。松原には明治末期から大正時代にかけて各地に織物工場ができていたが、河内木綿の需要が減少してきたこともあって、河内木綿の織機が金網の織機に利用されたようである。	近代	現代	34.582225	135.556990	松原市阿保	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原北小学校	B127210007342	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	金網	産業	河内木綿	織物工場	近代産業	地場産業	阿保	***	***	***
13	k13	王仁博士 教えしあとや 聖堂池	ワニハカセ オシエシアトヤ セイドウイケ	わ	15代応神天皇の頃(4世紀末)、朝鮮半島の百済から王仁という学者が大和王権に招かれて、やってきた。この時、論語十巻と千字文一巻を献上したといわれる。王仁博士は、享保20年(1735)刊の『河内志』に、河内の新堂村に聖堂を建て、宗廟を祀ったと記されている。その聖堂址が、松原第六中学校前の聖堂池(宮ノ池)あたりだと伝承されている。現在、聖堂址には弁財天社が祀られている。	古墳	江戸	34.564654	135.553777	松原市岡	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原南小学校	B127210007333	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	王仁	百済	渡来人	大陸文化	聖堂池	宮ノ池	弁財天社	松原	新堂	***
14	k14	河内画師 仏教文化の 名の誉れ	カワチエシ ブッキョウブンカノ ナノホマレ	か	奈良時代、仏教美術の参画者に丹比郡土師郷に居住していた河内画師と呼ばれる専門画家の氏族がいた。土師郷は、現在の立部から上田にかけての地域に広がっていたと思われる。河内画師の活躍は、奈良の東大寺大仏殿の須理板の彩色や庇絵に残っている。	奈良	***	34.564628	135.562972	松原市	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原東小学校	B127210007440	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	河内画師	仏教	東大寺	大仏造立	土師郷	立部	上田	***	***	***
15	k15	世の移り 変り見て来た 追分地蔵	ヨノウツリ カワリミテキタ オイワケジゾウ	よ	松原市内を走っている古道の竹内街道、長尾街道、高野街道の道筋には、角型道標、地蔵像彫り出し型道標など数多い。中でも、高見の里の敬念寺門前にある追分地蔵が最も古く、天和2年(1682)7月10日の銘がある。もともとは、長尾街道と住吉道が分岐する高見村と東代村(東新町)の境界あたりに建てられていた。	江戸	***	34.574411	135.545463	松原市高見の里	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原西小学校	B127210007413	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	道標	追分地蔵	長尾街道	住吉道	高見	東代	***	***	***	***
16	k16	丹南藩 一万石の 陣屋址	タンナンハン イチマンゴクノ ジンヤアト	た	丹南藩主高木氏は、清和源氏の源頼親の7世、八条院源信光より出ている。信光は、三河国高木郷(愛知県安城市)が本貫地であった。のち、高木正次は、天正10年(1582)に徳川家康に仕え、元和9年(1623)には河内国丹南を与えられ、一万石の大名となった(初代丹南藩主)。高木氏は、陣屋近くの来迎寺を再建し、寺の周りに堀をつくり城のかまえとした。三笠宮妃百合子殿下は、最後の13代丹南藩主正善の孫としても有名である。	江戸	***	34.559393	135.556143	松原市丹南	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原南小学校	B127210007333	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	丹南藩	高木正次	陣屋	大名	江戸幕府	来迎寺	丹南	***	***	***
17	k17	れんめんと 農業 見守る 田坐神社	レンメント ノウギョウ ミマモル タザジンジャ	れ	田坐神社は、田井城の陽雲寺の南側にあって、延喜式内の古社で、祭神は豊受姫命である。『三代実録』によると、清和天皇の貞観4年(862)に従五位下を授けられている。延喜式内社とは、平安時代の『延喜式』という書物に載せられており、祈年祭にあたって国家から幣帛を受ける由緒深い神社である。全国に2861社あり、市内関係では同社のほか、酒屋神社、阿麻美許曾神社がある。	平安	***	34.582035	135.546041	松原市田井城	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立中央小学校	B127210007422	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	田坐神社	豊受姫命	式内社	田井城	神話・伝承	***	***	***	***	***
18	k18	そもそもの 農の初まり 池内遺跡	ソモソモノ ノウノハジマリ イケウチイセキ	そ	阪南大学の北側の天美東から天美北地区の池内地域では、いまから二千数百年ほど前から、弥生人が水田耕作を行っていた。近畿地方でもいち早く米づくりが行われていたことを示す水田址が発見され、松原の農業の始まりを示す遺跡の一つである。	弥生	***	34.593163	135.537332	松原市天美東	松原市天美北	松原市天美東	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立天美北小学校	B127210007431	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	池内遺跡	弥生時代	農耕	米づくり	水田	天美	池内	***	***	***
19	k19	つれづれに 橘庵名医 漢詩詠む	ツレヅレニ キツアンメイイ カンシヨム	つ	北山橘庵は、享保16年(1731)一津屋に生まれ、少年時代から俊才で医学を橘元泰に学んで医者となる。のち、狭山藩や岸和田藩のおかかえ医となった。また、文学を大和郡山の柳沢棋園に学んで漢詩にすぐれ、文化人としても有名である。著書に『橘庵詩鈔』三冊、『鶏壇咽鳴集』、『北山医版』などがある。寛政3年(1791)11月15日に61歳で死去。厳島神社の近く、一津屋荘園の一角に橘庵など北山家代々の墓がある。	江戸	***	34.578893	135.574841	松原市一津屋	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立恵我南小学校	B127210007468	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	北山橘庵	藩医	先人	狭山藩	岸和田藩	漢詩	一津屋	***	***	***
20	k20	願いごと かなえてほしき 天神様	ネガイゴト カナエテホシキ テンジンサマ	ね	屯倉神社の創建は、天慶5年(942)菅原道真を祀ったのが初めという。道真は、のち天神として筆徳の神とされた。また、屯倉とは、天皇に直属する屯田(ミタ)から収穫した物を貯える倉のことである。三宅地方は、米倉として朝廷の直轄地になっていたらしく、屯倉が置かれたと考えられる。この屯倉から、三宅の名称が起ったと伝える。境内に、道真が腰かけて休憩したという神形石と呼ばれる巨石がある。	平安	江戸	34.588757	135.555107	松原市三宅中	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立三宅小学校	B127210007397	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	屯倉神社	菅原道真	天神	神形石	屯倉	三宅	神話・伝承	***	***	***
21	k21	難波から 飛鳥にかよう 丹比道	ナニワカラ アスカニカヨウ タジヒミチ	な	竹内街道は、松原市南部の岡から立部を東西に通る。『日本書紀』推古天皇の21年(613)に「難波より飛鳥に至る大道を置く」と記されている。この大道が、竹内街道(丹比道)と考えられている。わが国最古の官道の一つといわれる竹内街道には、難波津から朝鮮や中国の学問、美術工芸などが渡来人により持たらされ、また、わが国の使節や留学生が大陸と都を往き来したといわれている。	飛鳥	奈良	34.560890	135.564393	松原市岡	松原市立部	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原南小学校	B127210007333	松原市立松原東小学校	B127210007440	松原市立天美西小学校	B127210007404	***	***	***	***	***	***	***	***	竹内街道	丹比道	難波大道	官道	神話・伝承	日本書紀	大陸文化	岡	立部	***
22	k22	来迎寺 藩主の墓地や 大いぶき	ライゴウジ ハンシュノボチヤ オオイブキ	ら	来迎寺は、丹南にあり、融通念仏宗である。本尊は阿弥陀如来。天平3年(731)、僧行基が毘沙門天を祀ったのが始まりであると伝える。鳥羽天皇の勅願により融通念仏宗となったが、正和年間(1312～16)に荒廃したため、平野(大阪市)の大念仏寺の法明上人が美原の菅生天神より阿弥陀如来を安置してから、来迎寺と称された。丹南藩主高木家の菩提寺でもあり、境内のいぶきは大阪府の天然記念物に指定されている。	中世	江戸	34.559114	135.555166	松原市丹南	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原南小学校	B127210007333	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	いぶき	来迎寺	融通念佛宗	法明	丹南藩	菩提寺	高木氏	大名	丹南	***
23	k23	むかしより しめす石標 高野みち	ムカシヨリ シメスセキヒョウ コウヤミチ	む	高野山(和歌山県)へ至る高野街道としては、西高野街道、東高野街道が有名であるが、この両街道の中間を行く道も利用され、やはり高野街道と呼ばれていた。松原にも中高野街道と下高野街道が南北に通っている。南北を走る高野街道と、東西を走る長尾街道や竹内街道がそれぞれ交わる地点には、阿保茶屋や松原茶屋が出来たりして賑わった。また、道標も多く建てられ、当時の往来の様子をしのばせている。	江戸	***	34.560881	135.558530	松原市阿保	松原市天美北	松原市天美東	松原市天美南	松原市上田	松原市岡	松原市河合	松原市北新町	松原市新堂	松原市立部	松原市丹南	松原市東新町	松原市南新町	松原市三宅中	松原市立三宅小学校	B127210007397	松原市立松原北小学校	B127210007342	松原市立松原小学校	B127210007324	松原市立松原南小学校	B127210007333	松原市立天美小学校	B127210007351	松原市立布忍小学校	B127210007379	松原市立河合小学校	B127210007459	高野詣	中高野街道	下高野街道	阿保茶屋	松原茶屋	***	***	***	***	***
24	k24	駅家には 清水もありし 大津道	ウマヤニハ シミズモアリシ オオツミチ	う	長尾街道は、古来大津道と呼ばれる古道である。堺東付近から丹比道に平行して、北側を走る道路で、新町地域の清水地区には旅人などに飲み水なども与える休憩地としての駅家があったという。現在の長尾街道は石川を渡って柏原市国分に至り、そこから穴虫峠のすこし西で大坂道に合流し、奈良県葛城市長尾に至ったもの。長尾で竹内街道より分岐することから、のちに長尾街道の名がつけられたといわれる。	飛鳥	江戸	34.576863	135.533577	松原市阿保	松原市天美我堂	松原市上田	松原市北新町	松原市田井城	松原市高見の里	松原市西野々	松原市東新町	松原市一津屋	松原市松ヶ丘	松原市南新町	***	***	***	松原市立布忍小学校	B127210007379	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	駅家	清水	古代国家	大津道	長尾街道	***	***	***	***	***
25	k25	井筒は 弘法の井戸 村すくう	イヅツハ コウボウノイド ムラスクウ	ゐ	平安時代の弘法大師空海ほど、豊富な伝説をもった人物は少ないであろう。特に弘法井戸、弘法清水の伝説は全国に数多い。松原にも弘法大師の伝説を持つ井戸がある。高見の里の高見神社の南にある井戸もその一つである。平安時代初期の頃、弘法大師が諸国巡錫のおり、松原にも足をのばされたと伝える。高見の里付近は、水の便が悪く、飲み水にも困っていた。そこで、大師は携えた錫杖で地面をついたところ、清水が湧き出し、村人は大変助かったという。	平安	江戸	34.573187	135.545544	松原市高見の里	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原小学校	B127210007324	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	弘法大師	空海	神話・伝承	井戸	高野山	高見	***	***	***	***
26	k26	野に多く 伝説の池 親王池址	ノニオオク デンセツノイケ シンノウイケアト	の	松原には灌漑用の池が多い。その一つに、親王池(稚児が池あるいは棒池)があった。阿保の南端、長尾街道に沿ってあり、阿保親王の人徳を慕って名付けられた灌漑池である。母の病のため願をかけ満願の日に稚児が身を投じたという伝説がある。人々はのち孝養の厚い稚児の災厄を哀れみ、池の中に墓標を建てて供養した。稚児の名は幸松麿、13歳であったという。現在、埋めたてられ、説明板のみが建つ。	平安	江戸	34.578661	135.559967	松原市松ヶ丘	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原北小学校	B127210007342	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	親王池	稚児が池	ため池	農業	阿保	神話・伝承	***	***	***	***
27	k27	大庄屋 昔しのばる 門がまえ	オオショウヤ ムカシシノバル モンガマエ	お	松原市内に残る古民家の一つに、天美我堂の西川家がある。主屋の最も古い部分の建築年代は、江戸時代初めとも考えられている。屋敷構えは大きく、主屋も整った大和棟の広い家である。当家は、仏間が独立してできた五間取りの最も早い例である。居室部分は、きわめて古い柱間が残存する17世紀中頃以前の遺構として、大阪府内でも最古級の重要な住宅である。	江戸	***	34.583617	135.524873	松原市天美我堂	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立天美西小学校	B127210007404	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	古民家	大和棟	大庄屋	庄屋	我堂	***	***	***	***	***
28	k28	楠大樹 千年と伝う 阿保神社	クスタイジュ センネントツタウ アオジンジャ	く	阿保神社は阿保の海泉池の北側にあり、菅原道真を祀る。境内には、同地区に住んだと伝える阿保親王を祀る親王社があることから、阿保の名がついたという。境内には、厳島神社も合祀されている。また、本殿裏には、阿保親王お手植えの樹齢1000年以上と伝える幹周り4m強のクスの大木がある。	平安	江戸	34.582084	135.556878	松原市阿保	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原北小学校	B127210007342	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	阿保神社	菅原道真	親王社	阿保親王	厳島神社	海泉池	楠	阿保	***	***
29	k29	大和川 しずかに流る 川違え	ヤマトガワ シズカニナガルル カワタガエ	や	江戸時代までの大和川は、石川と柏原で合流し、北西に向かい、淀川に流れていたが、大雨が降るたびに河内平野は洪水にみまわれ、農民は苦しめられてきた。元禄16年(1703)、幕府は大和川の川違えを決定した。柏原から松原市北部の恵我や天美を経て、堺に至る距離15km、幅200mの新大和川の付替え工事が実施され、翌、宝永元年(1704)に完成した。旧大和川の流路は、長瀬川、平野川、玉串川、楠根川として、残っている。	江戸	***	34.598066	135.536120	松原市天美北	松原市天美西	松原市大堀	松原市別所	松原市若林	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立天美西小学校	B127210007404	松原市立天美北小学校	B127210007431	松原市立恵我小学校	B127210007388	***	***	***	***	***	***	***	***	大和川	川違え	中甚兵衛	***	***	***	***	***	***	***
30	k30	松とバラ 市民が憩う 公園に	マツトバラ シミンガイコウ コウエンニ	ま	「松原」は、昭和30年2月1日、大阪府下21番目の市として発足した。当時の人口は、36258人である。面積16.575㎢。標高10~39mの平坦地である。市の木は「松」、市の花は「バラ」である。反正天皇の丹比柴籬宮の址が、「松生いし丹比の松原」と詠まれ、現在の地名の由来ともいわれている。昭和58年3月には、田井城に松原中央公園が完成し、噴水のある市民の憩の場として親しまれている。	現代	***	34.578109	135.548868	松原市田井城	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立中央小学校	B127210007422	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	中央公園	松原市	市制	公共施設	田井城	***	***	***	***	***
31	k31	けんね塚 ながれついたと 童唄	ケンネツカ ナガレツイタト ワラベウタ	け	けんね塚(きつね塚)は、きつね山とも呼ばれ、天美西の西除川の北側にあった前方後円墳と考えられるが、現在は残っていない。伝説によると大昔、大洪水で西大塚から流れついた塚であるという。ぶくぶく土で付近の土質とぜんぜん違い、野狐が住んでいたのでこの名がある。	古墳	***	34.587300	135.527110	松原市天美西	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立天美西小学校	B127210007404	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	けんね塚	きつね山	古墳	民話	天美	神話・伝承	***	***	***	***
32	k32	古池に 河合だんじり いせいよく	フルイケニ カワイダンジリ イセイヨク	ふ	古池は河合集落の南にあり、鎌倉時代後半頃に造られたと思われる。池ができる前の奈良時代頃には、役所があったと思われる建物跡や人工運河の大溝が見つかっている。毎年、10月前半、河合神社の秋祭りでは、勇壮なだんじりが河合の町中をねり歩き、人々の歓声でにぎわっている。	奈良	鎌倉	34.567543	135.542045	松原市河合	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立河合小学校	B127210007459	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	古池	河合神社	だんじり	伝統文化	河合遺跡	丹比大溝	古代官衙	河合	***	***
33	k33	高速道 近代都市を むすぶ道	コウソクドウ キンダイトシヲ ムスブミチ	こ	松原市は、大阪府のほぼ中央に位置し、北は大和川をへだてて大阪市や八尾市に隣接している。西、南は堺市、東は羽曳野市・藤井寺市に接している。飛鳥時代に幹線道路(竹内街道・長尾街道)が通り、また、平安時代以後は中高野街道や下高野街道も通っている。交通の要衝として栄えた松原に、現在も阪神高速道、近畿自動車道、西名阪自動車道、阪和自動車道が通り、大堀には全国でも有数の松原ジャンクションが実現している。ジャンクションの完成によって、大堀八幡神社は恵我小学校南側に移り、新しく本殿が建てられた。	現代	***	34.590789	135.575264	松原市大堀	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立恵我小学校	B127210007388	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	高速道路	松原ジャンクション	交通網	大堀八幡神社	大堀	***	***	***	***	***
34	k34	恵我の地に 古戦場残す 若林	エガノチニ コセンジョウノコス ワカバヤシ	え	南北朝時代から、大坂夏の陣(1615年)頃まで河内の各地で数多くの戦乱が続けられた。中でも、戦国時代の戦乱は実にはげしい。天文・永禄(16世紀中頃)年中に細川晴元の軍が古市(羽曳野市)の高屋城主畠山政国と戦うため、恵我の若林に陣地を置いたと『続応仁後記』に出ている。今、その陣地址は伝わっていないが、若林神社周辺と思われる。	中世	***	34.590201	135.580320	松原市若林	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立恵我小学校	B127210007388	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	若林神社	恵我	若林	応仁の乱	武士	***	***	***	***	***
35	k35	敵をうつ かねつき山は とりであと	テキヲウツ カネツキヤマハ トリデアト	て	東除川の西岸に、一津屋古墳がある。南西に面する環濠を有する6世紀頃の前方後円墳と考えられる。のち古墳を利用して、南北朝から戦国時代にかけ、砦がつくられた。戦国時代に三好駿河守の居城として知られる。古墳の後円部に敵を知らせるための鐘が設けられ、鐘付山と名づけられた。その後、古墳上に厳島神社が祀られ、拝殿に「鐘搗山」の額がかけられた。祭神は市杵島姫命で、一津屋の産土神である。	古墳	中世	34.579571	135.575857	松原市一津屋	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立恵我南小学校	B127210007468	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	鐘撞山	一津屋古墳	厳島神社	市杵島姫命	前方後円古墳	三好駿河守	砦	一津屋	***	***
36	k36	安心と 安全めざす まちづくり	アンシント アンゼンメザス マチヅクリ	あ	松原市は、平成25年11月16日に、大阪府下で初めて、日本で8番目、世界で323番目のセ－フコミュニティの国際認証都市となった。セーフコミュニティの認証取得は、ゴールではなく、安心・安全のまちづくりの新たなスタートである。けがや事故などの外傷予防に努め、誰もが住みたい、住み続けたい魅力あるまちづくりを、市民とともに進めていくものである。	現代	***	34.577900	135.551815	松原市	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	セーフコミュニティ	地域	安全	市制	市民協働	***	***	***	***	***
37	k37	西方寺 平安朝の 夢やどし	サイホウジ ヘイアンチョウノ ユメヤドシ	さ	室町時代、融通念仏宗の法明上人の念仏勧進道場が機縁となって開創されたと伝えられる寺院が市内には多い。西方寺もその一つで、大阪市平野の融通念仏宗大念仏寺の末寺で、阿弥陀如来像を本尊としている。境内に観音堂があり、梅松院(もと屯倉神社の神宮寺)の本尊であった平安時代の十一面観音が安置されている(現在は本堂に祀られている)。	平安	明治	34.589919	135.551851	松原市三宅中	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立三宅小学校	B127210007397	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	西方寺	阿弥陀如来	十一面観音	梅松院	屯倉神社	神宮寺	神仏習合	三宅	***	***
38	k38	きなこつけ 半夏生の赤ねこ 田植すむ	キナコツケ ハゲショノアカネコ タウエスム	き	夏至より11日目が半夏生であり、昔はこの日までに農作業を終えた。松原では、半夏生の日は、田植えの終わったあとのほね休めの日であった。この日は、村中のみんなは仕事を休み、赤ねこだんごを作って食べた。赤ねこだんごとは、お米と小麦粉をまぜて、きなこをつけただんごである。農耕と自然条件を兼ねた年中行事の一つとなっていた。	近代	現代	34.572360	135.559329	松原市	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	赤ねこ	郷土料理	半夏生	農業	年中行事	民俗	***	***	***	***
39	k39	雄大な 大塚山古墳 濠広し	ユウダイナ オオツカヤマコフン ホリヒロシ	ゆ	大塚山古墳は、西大塚の東側に濠に囲まれ、前方部をほぼ北面にした3段づくりの前方後円墳である。全長335m、前方部幅230m、後円部直径185m、前方部高さ4.5m、後円部高さ20m。全国では、第5番目の大きな古墳である。6世紀後半頃の築造で、当時の天皇クラスの人が葬られていると考えられる。現在、宮内庁によって陵墓参考地となっている。	古墳	近代	34.571890	135.568009	松原市西大塚	羽曳野市恵我之荘	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原小学校	B127210007324	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	大塚山古墳	前方後円墳	大和朝廷(大和政権)	陵墓参考地	西大塚	東大塚	***	***	***	***
40	k40	名水や 酒屋権現 出でし井戸	メイスイヤ サカヤゴンゲン イデシイド	め	酒屋神社は延喜式内の古社で、三宅村の西方にあったが、明治40年(1907)に屯倉神社の境内に移された。祭神は津速魂命で、酒屋権現とも呼ばれる。酒屋神社旧地に酒蓋池という溜池があった。酒蓋池の東北隅に、一間四方の木わくの井戸があって、この井戸から神が出現されたと言われ、この神を酒屋神社として祀った。また、この付近は大変よい水脈が通っているので酒造りも盛んだった。	平安	***	34.590457	135.551852	松原市三宅中	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立三宅小学校	B127210007397	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	酒屋神社	津速魂命	酒屋権現	式内社	酒蓋池	三宅	神話・伝承	***	***	***
41	k41	三宅木綿 夜なべ糸つむ 機を織る	ミヤケモメン ヨナベイトツム ハタヲオル	み	三宅は、豊かな米作地帯として知られている。また、江戸時代から綿作が農家によって始められ、いわゆる「三宅木綿」として世人から好評を得た。それは、三宅でとりいれた綿花が良質であることから、良い木綿がつむがれたことによる。徳川家康が三宅木綿を賞用したと、大正時代に編さんされた『中河内郡誌』に伝えている。	江戸	***	34.590325	135.554281	松原市三宅中	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立三宅小学校	B127210007397	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	三宅木綿	綿作	商品作物	農業	三宅	***	***	***	***	***
42	k42	柴かつぐ 天美小の 金次郎像	シバカツグ アマミショウノ キンジロウゾウ	し	正門前が下高野街道が通る天美小学校の校庭に二宮金次郎像が建っている。金次郎は貧しいけれど、親孝行で、そのうえ一生懸命勉強して、戦前、日本人のかがみとされた。このため、各地の小学校を中心に柴をかつぎながら、本を読む金次郎像が建てられた。天美小学校には、金次郎像が昭和13年(1938)につくられ、当時のものが松原市内の小学校で唯一現存している。	近代	***	34.587713	135.532374	松原市天美東	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立天美小学校	B127210007351	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	二宮金次郎	天美小学校	天美村	天美	道徳	***	***	***	***	***
43	k43	絵馬たくし 阿麻美社に 神たのみ	エマタクシ アマミヤシロニ カミタノミ	ゑ	阿麻美許曾神社は、大阪市東住吉区矢田(旧、丹北郡枯木村、のち中河内郡矢田村)に鎮座するが、その境内の馬場先は南の松原市の方へ食い込んでいる。天美地区の城連寺、油上、芝、池内の氏神であり、天美の地名の由来となった。平安前期、大同年間(806～809)の創建と伝えられる。延喜式内の古社で、素盞鳴命を祀っている。	平安	***	34.595090	135.529744	大阪市東住吉区矢田	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立天美西小学校	B127210007404	松原市立天美北小学校	B127210007431	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	阿麻美許曾神社	素盞鳴命	式内社	行基	枯木	矢田	城連寺	油上	芝	池内
44	k44	一津屋に 残るトリキは 昔人の知恵	ヒトツヤニ ノコルトリキハ ヒトノチエ	ひ	厳島神社が祀られている一津屋古墳の東側に、東除川が流れている。東除川を境にして一津屋と小川の集落が分れているが、小川の西南の東除川に堰があり、これを小川のトリキと呼ぶ。この堰によって東除川の水は水路を経て、小川の三ツ池に貯えられて、下の小川、若林、大堀の水田に順々に水をうるおすことができた。小川の氏神である深居神社の「居」も水や井戸に関わるとも考えられる。	江戸	明治	34.580730	135.577088	松原市一津屋	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立恵我小学校	B127210007388	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	トリキ	戸関	東除川	堰	農業	深居神社	狭山池	小川	***	***
45	k45	杜の島 鳥居が浮かぶ 弁天池	モリノシマ トリイガウカブ ベンテンイケ	も	河内天美駅東側ロータリーは、もともと池内の弁天池が水をたたえていた。池の真ん中に鳥居を建て、弁財天を祀る島があった。江戸時代は、地名をとって池内池と呼ばれていたこともあった。のち、杜がしげる島に水の神様である弁財天を祀るお社をつくったので弁天池と称されるようになった。今では、大半が埋めたてられたが、線路沿いに社殿を移して、弁財天を現在も信仰している。	江戸	近代	34.588377	135.537399	松原市天美東	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立天美南小学校	B127210007360	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	弁財天	弁天池	池内池	農業	溜池	池内	***	***	***	***
46	k46	全国に ひびく釣鐘 河内鋳物師	ゼンコクニ ヒビクツリガネ カワチイモジ	せ	松原市丹南や岡・立部から堺市美原区・東区にかけて、平安時代後半頃から鍛冶・鋳物師集団が居住していた。河内鋳物師、あるいは丹南鋳物師と呼ばれ、特にその名を高めたのは、高度な技術を必要とする梵鐘の製造である。鎌倉時代(12～13世紀)の梵鐘のほぼ60％が河内鋳物師の製作と言われる。同地は、鍛冶鋳造に適した良質の土壌に恵まれていたとされる。	平安	中世	34.560833	135.564398	松原市岡	松原市立部	松原市丹南	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立松原南小学校	B127210007333	松原市立松原東小学校	B127210007440	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	河内鋳物師	丹南鋳物師	立部遺跡	岡遺跡	丹南遺跡	***	***	***	***	***
47	k47	住吉の 神にささげし 『積翠集』	スミヨシノ カミニササゲシ セキスイシュウ	す	江戸時代の松原が生んだ文化人の一人に妻屋秀員がいる。天和2年(1682)に生まれ、三宅村の庄屋であったが、和歌に秀で可雪と号し、京都の烏丸光栄、光胤に師事した。秀員の代表的な歌集が『積翠集』である。『積翠集』は、秀員の死後、明和2年(1765)に加藤景範が遺稿として編さんし、摂津の住吉大社(大阪市)に献納された。	江戸	***	34.590324	135.554280	松原市三宅中	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	松原市立三宅小学校	B127210007397	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	***	妻屋秀員	歌人	庄屋	先人	積翠集	烏丸光栄	三宅	住吉大社	***	***
