<data xmlns:xsi="http://www.w3.org/2001/XMLSchema-instance">
<row _id="1"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>立岩遺跡堀田甕棺群出土品</名称><名称_カナ>ﾀﾃｲﾜｲｾｷﾎｯﾀｶﾒｶﾝｸﾞﾝｼｭﾂﾄﾞﾋﾝ</名称_カナ><文化財分類>国指定重要文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>飯塚市歴史資料館</場所名称><住所>柏の森959-1</住所><緯度>33.64305</緯度><経度>130.69702</経度><電話番号>0948-25-2930</電話番号><員数（数）>107</員数（数）><員数（単位）>点</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>1977/6/11</文化財指定日><利用可能曜日>月火木金土日祝</利用可能曜日><開始時間>9:30</開始時間><終了時間>17:00</終了時間><利用可能日時特記事項>12/29〜1/3除く</利用可能日時特記事項><説明>昭和38・40年の調査で弥生時代の甕棺墓や貯蔵穴などが発見されました。特に甕棺墓からは前漢鏡をはじめとする多くの貴重な副葬品が出土し、昭和52年に国の重要文化財となりました。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="2"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>鎮西村のカツラ</名称><名称_カナ>ﾁﾝｾﾞｲﾑﾗﾉｶﾂﾗ</名称_カナ><文化財分類>国指定天然記念物</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>建花寺1580-1</住所><緯度>33.6623</緯度><経度>130.63397</経度><電話番号 /><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>本</員数（単位）><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>建花寺区</所有者等><文化財指定日>1934/12/28</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>カツラは日本特産で、北海道・本州・四国・九州の温帯山地の主に谷沿いに自生する落葉高木です。雌雄異株で、花は３・４月頃、葉に先だって咲きます。鎮西村のカツラは樹齢約千年の雄木で、主幹はすでになく、ひこばえの支幹が成長して現在の姿になっています。日本にあるカツラで国指定天然記念物となっているものは６本ありますが、その中で最初に（昭和９年）国指定天然記念物となった名木です。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="3"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>大分廃寺塔跡</名称><名称_カナ>ﾀﾞｲﾌﾞﾊｲｼﾞﾄｳｱﾄ</名称_カナ><文化財分類>国指定史跡</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>大分718</住所><緯度>33.58446</緯度><経度>130.62473</経度><電話番号 /><員数（数） xsi:nil="true" /><員数（単位） /><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>1941/12/13</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>大分廃寺塔跡は奈良時代の寺院の塔跡として昭和１６年（１９４１）に国指定史跡に指定されました。現在は、塔の中心柱を支えた心礎を中心に１７個の礎石が創建当時のままの良好な状態で残っています。その中で、心礎には二条の排水溝が施されており、大分廃寺の格式の高さを示しています。近年の調査により、寺域は南北約９４ｍ、東西約１０２ｍ、伽藍配置は法起寺式、建立時期は８世紀初頭と推定されています。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="4"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>鹿毛馬神籠石</名称><名称_カナ>ｶｹﾉｳﾏｺｳｺﾞｲｼ</名称_カナ><文化財分類>国指定史跡</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>鹿毛馬</住所><緯度>33.66937</緯度><経度>130.74167</経度><電話番号 /><員数（数） xsi:nil="true" /><員数（単位） /><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>1945/2/22</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>神籠石とは、古代（7世紀頃）に築かれた山城です。遠賀川支流の鹿毛馬川東岸にある標高80ｍ弱の低い丘陵に、幅80ｃｍ程に加工された切石が約２ｋｍ廻ります。切石の上には版築という方法で土を盛って城壁としています。鹿毛馬川に向かって開けている谷に集まる水を排水するために、暗渠（あんきょ）が２ヶ所設置されています。城門や兵舎・武器庫のような施設は確認されていません。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="5"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>旧伊藤傳右エ門氏庭園</名称><名称_カナ>ｷｭｳｲﾄｳﾃﾞﾝｴﾓﾝｼﾃｲｴﾝ</名称_カナ><文化財分類>国指定名勝</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>旧伊藤伝右衛門邸</場所名称><住所>幸袋300</住所><緯度>33.66185</緯度><経度>130.68661</経度><電話番号>0948-22-9700</電話番号><員数（数） xsi:nil="true" /><員数（単位） /><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>2011/9/21</文化財指定日><利用可能曜日>月火木金土日祝</利用可能曜日><開始時間>9:30</開始時間><終了時間>17:00</終了時間><利用可能日時特記事項>12/29〜1/2除く</利用可能日時特記事項><説明>飯塚市内には、筑豊の代表的な炭鉱経営者のひとり、伊藤伝右衛門の本邸が残っており、一般公開しています。邸内には、大正時代中期から昭和時代初期にかけて造営された庭園があり、そのすばらしい景観は建物と共に来館者の目を楽しませています。特に敷地（約二千三百坪）の北半分を占める大規模な主庭は、中心に流れおよび二つの池を配し、園内を一巡しながら様々な景観を楽しむことができる回遊式庭園となっているのみならず、主屋南側の一階および二階に並んだ各座敷からの景観にも配慮した巧妙な構成・意匠を備えた庭園ともなっています。日本の近代化を支えた筑豊炭田の炭鉱経営者の本邸庭園として貴重なだけでなく、優れた造形美を備えた庭園として高く評価されています。</説明><URL /></row>
<row _id="6"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>明星寺のボダイジュ</名称><名称_カナ>ﾐｮｳｼﾞｮｳｼﾞﾉﾎﾞﾀﾞｲｼﾞ</名称_カナ><文化財分類>県指定天然記念物</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>明星寺826</住所><緯度>33.62484</緯度><経度>130.63559</経度><電話番号 /><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>本</員数（単位）><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>明星寺</所有者等><文化財指定日>1996/7/3</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>ボダイジュはシナノキ科の落葉高木で、中国原産です。葉は心葉形で、６月に開花します。明星寺のボダイジュは樹高16ｍ、胸高周囲3.7ｍあります。伝説では、明星寺を再興した鎮西（聖光）上人が地面にさした杖が成長してこのボダイジュになったといわれています。平成８年に県指定天然記念物となりました。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="7"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>大分八幡の大クス</名称><名称_カナ>ﾀﾞｲﾌﾞﾊﾁﾏﾝﾉｵｵｸｽ</名称_カナ><文化財分類>県指定天然記念物</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>大分八幡宮</場所名称><住所>大分1272-1</住所><緯度>33.58518</緯度><経度>130.62675</経度><電話番号 /><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>本</員数（単位）><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>大分八幡宮</所有者等><文化財指定日>1956/7/28</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>この大樟は、神功皇后が三韓の役から帰国の際に、持ち帰った３本の樟（宇美・香椎・大分に各々１本）の子孫であると言われています。樹高約３０ｍ、胸高周囲約９ｍを測り、推定樹齢は約３５０年です。昭和３１年（１９５６）に福岡県指定天然記念物になりました。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="8"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>内野の大イチョウ</名称><名称_カナ>ｳﾁﾉﾉｵｵｲﾁｮｳ</名称_カナ><文化財分類>県指定天然記念物</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>内野3367</住所><緯度>33.53307</緯度><経度>130.63768</経度><電話番号 /><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>本</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>2004/2/18</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>内野宿本陣跡の付近に樹齢３００年と伝えられる雄の大銀杏があります。以前は、本陣内にあったもう１本の雌の銀杏とあわせて「夫婦銀杏」と呼ばれていました。江戸時代に描かれた本陣の絵図にも、その位置が記載されており当時から内野宿のシンボルであったようです。平成１６年（２００４）に福岡県指定天然記念物になりました。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="9"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>元亨二年在銘法橋琳弁石卒都婆</名称><名称_カナ>ﾎｳｷｮｳﾘﾝﾑｲｼｿﾄﾊﾞ</名称_カナ><文化財分類>県指定有形文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>明星寺826</住所><緯度>33.62484</緯度><経度>130.63559</経度><電話番号 /><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>基</員数（単位）><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>明星寺</所有者等><文化財指定日>1963/1/16</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>四角柱の自然石の四面に、キヤ・カ・ラ・バアの五大種子が刻まれ、正面には「法橋琳弁（朝）八十一入滅　元亨二年（1322）七月二日」と記されています。この碑は、僧琳弁（朝）を供養するため、五輪塔の代わりに建立されたものです。昭和38年に県指定有形文化財となりました。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="10"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>滑石刻真言</名称><名称_カナ>ｶｯｾｷｺｸｼﾝｺﾞﾝ</名称_カナ><文化財分類>県指定有形文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>飯塚市歴史資料館</場所名称><住所>柏の森959-1</住所><緯度>33.64305</緯度><経度>130.69702</経度><電話番号>0948-25-2930</電話番号><員数（数）>2</員数（数）><員数（単位）>基</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>1963/1/16</文化財指定日><利用可能曜日>月火木金土日祝</利用可能曜日><開始時間>9:30</開始時間><終了時間>17:00</終了時間><利用可能日時特記事項>12/29〜1/3除く</利用可能日時特記事項><説明>明星寺の境内に明星池又はひやんけさまと呼ばれる湧き水が出る小さな池があります。滑石刻真言は、この池の中から発見されました。大小２枚の滑石製の石板に梵字が刻まれていて、鎌倉時代末期につくられたと考えられます。昭和38年に県指定有形文化財となりました。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="11"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>木造薬師如来立像</名称><名称_カナ>ﾓｸｿﾞｳﾔｸｼﾆｮﾗｲﾘﾂｿﾞｳ</名称_カナ><文化財分類>県指定有形文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>宝幢寺</場所名称><住所>相田438</住所><緯度>33.66022</緯度><経度>130.65895</経度><電話番号 /><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>躯</員数（単位）><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>宝幢寺</所有者等><文化財指定日>1963/1/16</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>カヤ材の寄木造で、鎌倉時代以後に製作されたと考えられますが、平安時代後期の様式を残すおだやかな顔立ちをしています。宝幢寺境内に安置されていますが、秘仏であるため、33年ごとに開帳されます。昭和38年に県指定有形文化財となりました。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="12"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>聖観世音菩薩立像</名称><名称_カナ>ﾓｸｿﾞｳｾｲｶﾝﾉﾝﾘﾂｿﾞｳ</名称_カナ><文化財分類>県指定有形文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>養源寺</場所名称><住所>大分1281</住所><緯度>33.58518</緯度><経度>130.62675</経度><電話番号 /><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>躯</員数（単位）><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>養源寺</所有者等><文化財指定日>1971/6/15</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>本像は養源寺の境内南側の観音堂に安置されています。聖観世音菩薩は様々にその姿を変えながら、慈悲の心をもって衆生を救い導くといわれています。像高は１６７．８cmを測り、桧の一材より彫出している一木造りです。造像されたのは平安時代後期頃と考えられています。昭和４６年（１９７１）に福岡県指定有形文化財となりました。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="13"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>五智如来板碑</名称><名称_カナ>ｺﾞﾁﾆｮﾗｲｲﾀﾋﾞ</名称_カナ><文化財分類>県指定有形文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>筒野4</住所><緯度>33.5922</緯度><経度>130.76024</経度><電話番号 /><員数（数）>3</員数（数）><員数（単位）>基</員数（単位）><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>筒野区</所有者等><文化財指定日>1958/11/13</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>五智如来板碑は、通称権現谷と呼ばれている丘陵の南側側面の先端部にあります。五智如来板碑は、３つの板碑からなっており、中央碑には、五智如来像、八葉曼荼羅梵字、彦山三所権現が彫られています。左右碑には、大日真言や胎蔵界五仏を表す梵字が彫られています。中央碑の裏面には文字が刻まれており、その中に養和2年（1182）の銘があります。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="14"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>川島古墳</名称><名称_カナ>ｶﾜｼﾏｺﾌﾝ</名称_カナ><文化財分類>県指定史跡</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>川島古墳公園</場所名称><住所>川島407-2</住所><緯度>33.66081</緯度><経度>130.69174</経度><電話番号 /><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>基</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>1992/9/2</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間>9:30</開始時間><終了時間>16:00</終了時間><利用可能日時特記事項>4月・10月の第3土日に特別公開</利用可能日時特記事項><説明>径15ｍの円墳で、内部主体は複室の横穴式石室です。市内唯一の装飾古墳で、玄室奥壁に人物や円文などが描かれています。６世紀末頃の築造です。平成４年に県指定史跡となりました。平成10年に保存整備し、年２回（春・秋）、壁画を公開しています。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="15"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>小正西古墳</名称><名称_カナ>ｵﾊﾞｻﾆｼｺﾌﾝ</名称_カナ><文化財分類>県指定史跡</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>小正西古墳公園</場所名称><住所>小正780-2</住所><緯度>33.62357</緯度><経度>130.65886</経度><電話番号 /><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>基</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>1999/3/19</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間>9:30</開始時間><終了時間>16:00</終了時間><利用可能日時特記事項>4月・10月の第3土日に特別公開</利用可能日時特記事項><説明>復元墳高5.5ｍ，復元径約30ｍを測る二段築成の円墳６世紀頃の当地域を治めた首長墓と考えられます。墳丘には円筒埴輪が立てられ，上位は葺石が施されていました。墳丘の周りには周溝が掘られ，大量の円筒埴輪片，形象埴輪片が出土しました。この古墳の特徴は，一つの墳丘に主軸が直交する２基の横穴式石室が造られ，石室規模も大きく違います。大きい石室（１号石室）は，盗掘を受け，半壊状態で発見されました。奥行き4.5ｍを測り，石室壁面及び天井の全面に赤色顔料が塗布されていました。小さい石室（２号石室）は未盗掘で鉄刀，鉄鏃，鉄鋸，鉄鑿等の鉄製品，勾玉，管玉，ガラス玉等の装身具とともに人骨も残っていました。周溝から出土した巫女形の埴輪はほぼ完形で大変優美なものです。古墳からの出土品はすべて県指定の有形文化財で飯塚市歴史資料館に展示しています。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="16"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>山王山古墳</名称><名称_カナ>ｻﾝﾉｳｻﾞﾝｺﾌﾝ</名称_カナ><文化財分類>県指定史跡</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>西徳前401-28</住所><緯度>33.63762</緯度><経度>130.67918</経度><電話番号 /><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>基</員数（単位）><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>2015/9/3</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>山王山古墳は、標高約40ｍの丘陵上に立地しています。直径約18ｍを測る円墳で、内部には横穴式石室がつくられています。玄室の平面形は正方形に近く、敷石があり、奥壁側には仕切り石を有して屍床を設けています。奥壁の腰石に円文が確認されました。確実に円文といえるのは14カ所で、直径は約15cmを測ります。出土遺物は石室床面付近からガラス玉や耳環、空玉、金銅製馬具、鉄鏃、銀象嵌が施された円頭大刀柄頭、須恵器片などが出土しました。築造時期は、石室の構造などから６世紀末から７世紀にかけてのものとみられます。装飾技法については、敲き窪め技法（敲打技法）に近いものと思われます。この装飾技法を有する装飾古墳としては遠賀川流域で初めての例となり、大変重要な古墳です。</説明><URL /></row>
<row _id="17"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>綱分八幡宮神幸行事</名称><名称_カナ>ﾂﾅﾜｷﾊﾁﾏﾝｸﾞｳｼﾞﾝｺｳｷﾞｮｳｼﾞ</名称_カナ><文化財分類>県指定無形民俗文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>綱分</住所><緯度>33.63136</緯度><経度>130.73387</経度><電話番号 /><員数（数） xsi:nil="true" /><員数（単位） /><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>綱分八幡宮方生会御神幸祭保存会</所有者等><文化財指定日>1960/8/16</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>綱分八幡宮放生会御神幸祭は、無形民俗文化財として、福岡県より昭和５１年４月２４日に指定を受けました。放生会御神幸祭は、暦応年間（1338〜1341）以来の神事といわれ、天明年間（1573〜1591）の頃、領主秋月種実の崇敬篤く社領として２３町３００歩の地を寄せられ祭りも厳粛に執行せられたと伝えられています。現在は、隔年ごとに１０月１３・１４日に近い土曜・日曜日に執行されています。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="18"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>大分の獅子舞</名称><名称_カナ>ﾀﾞｲﾌﾞﾉｼｼﾏｲ</名称_カナ><文化財分類>県指定無形民俗文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>大分1272</住所><緯度>33.58518</緯度><経度>130.62675</経度><電話番号 /><員数（数） xsi:nil="true" /><員数（単位） /><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>大分八幡宮</所有者等><文化財指定日>1954/12/13</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>江戸時代中頃の享保５年（１７２０）、庄屋の井佐善左衛門直信が村人を上洛させて、京都の石清水八幡宮で獅子舞を習得させました。その後、この獅子舞は大分八幡宮の放生会において奉納され、大分の獅子舞の始まりとなりました。笛と太鼓と銅拍子の囃子の緩急に合わせ、二頭の獅子が一対となって舞い踊る様子は絶妙です。県内の獅子舞の一つの源流であることから福岡県指定無形文化財となっています。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="19"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>飯塚の紙芝居及び上演用具</名称><名称_カナ>ｲｲﾂﾞｶﾉｶﾐｼﾊﾞｲｵﾖﾋﾞｼﾞｮｳｴﾝﾖｳｸﾞ</名称_カナ><文化財分類>県指定有形民俗文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>飯塚市歴史資料館</場所名称><住所>柏の森959-1</住所><緯度>33.64305</緯度><経度>130.69702</経度><電話番号>0948-25-2930</電話番号><員数（数）>28</員数（数）><員数（単位）>点</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>2015/3/17</文化財指定日><利用可能曜日>月火木金土日祝</利用可能曜日><開始時間>9:30</開始時間><終了時間>17:00</終了時間><利用可能日時特記事項>12/29〜1/3除く</利用可能日時特記事項><説明>紙芝居は観客に絵を1枚ずつ見せながら、絵の裏に書いてある筋書きや台詞を語り、物語を構成するもので、昭和4年（1929）頃から登場したともいわれ、特に街頭で自転車の荷台に舞台を設置し、拍子木などで子供たちを呼び、その前で行われる街頭紙芝居は絶大な人気を得ていました。紙芝居は紙芝居を上演する「演じ手」のほかに、台本や絵を描く「作家・画家」、演じ手に紙芝居を貸し出す「絵元（貸元）」から成り、飯塚の紙芝居及び上演用具は、自身も演じ手であると同時に絵元でもあり、戦後に嘉麻川平和会と呼ばれる組織を作り、紙芝居を演じ手に貸し出していた飯塚市の吉住信勇氏（故人）が所有していた資料です。内容は、判明しているもので昭和25年（1950）から昭和30年（1955）に製作された、主にB4判サイズの紙芝居です。東京都の全優社、大阪府の優和社、兵庫県の神港画劇協会などの製作で、『水戸黄門』、『赤穂城』、『はてさてな』など時代劇、現代劇、マンガ、クイズの24のタイトルからなります。この多様なジャンル構成は、上演者に1日当たり時代劇1組（1組は約10枚）、現代劇1組、マンガ等1組の紙芝居が貸し出されたため、様々なジャンルの紙芝居を所有する必要があったと思われます。また、紙芝居をスムーズに演じるための舞台2点、道具箱1点、観客を呼ぶための拍子木1点が残されています。</説明><URL /></row>
<row _id="20"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>川島古墳群</名称><名称_カナ>ｶﾜｼﾏｺﾌﾝｸﾞﾝ</名称_カナ><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>川島古墳公園</場所名称><住所>川島407-5</住所><緯度>33.66081</緯度><経度>130.69174</経度><電話番号 /><員数（数）>3</員数（数）><員数（単位）>基</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>1996/5/16</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>川島古墳群のうち1・2・10号墳は、平成8年に市指定史跡となり、古墳及びその周辺は川島古墳公園として保存整備されています。いずれも6世紀後半に築造された径16〜17ｍの円墳で、横穴式石室を内部主体としています。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="21"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>庄内元吉の殿墓</名称><名称_カナ>ﾓﾄﾖｼﾉﾄﾉﾊｶ</名称_カナ><文化財分類>市指定史跡</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>庄内元吉101-1</住所><緯度>33.66214</緯度><経度>130.73569</経度><電話番号 /><員数（数）>4</員数（数）><員数（単位）>基</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>2001/5/31</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>飯塚市庄内元吉には、殿墓と呼ばれてきた古墓があります。小丘の頂上にある４基の古墓で、江戸時代前期から中期にかけて嘉麻郡元吉村に居住した武家、大塩家の四代目大塩八郎左衛門家勝とその妻、五代目金右衛門貞勝とその妻の墓であることがわかっています。大塩家は、播州（兵庫県）の出身で福岡藩主となった黒田家に従って筑前国にやってきた武家で、黒田家の家臣野村家に仕えました。黒田家から見れば陪臣（家臣の家臣）にあたります。庄内元吉の殿墓は、古文書などで大塩家の系譜や知行地などを知ることができ、江戸時代の庄内を考える上で貴重な史跡です。平成13年に、旧庄内町指定文化財に指定され、現在、飯塚市指定史跡となっています。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="22"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>大分八幡宮の大楠群　銀杏</名称><名称_カナ>ﾀﾞｲﾌﾞﾊﾁﾏﾝｸﾞｳﾉｵｵｸｽｸﾞﾝ ｷﾞﾝﾅﾝ</名称_カナ><文化財分類>市指定天然記念物</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>大分八幡宮</場所名称><住所>大分1272</住所><緯度>33.58518</緯度><経度>130.62675</経度><電話番号 /><員数（数）>4</員数（数）><員数（単位）>本</員数（単位）><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日>2000/3/24</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>境内に県指定天然記念物の大樟を取り囲むように大楠が３本立っています。各々胸高周囲が６.０ｍ、６.５５ｍ、５.９ｍを測ります。県指定の大樟と同様、神功皇后が三韓から持ちかえった樟の子孫とも考えられるので平成１２年（２０００）に町指定天然記念物となりました。
この銀杏は雄木で、胸高周囲５.４ｍ、樹高２５ｍを測ります。江戸時代に編纂された筑前続風土記附録の本宮の挿絵に本樹と推定される銀杏が描かれています。平成１３年（２００１）に町指定天然記念物となりました。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="23"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>巻き上げ機台座</名称><名称_カナ>ﾏｷｱｹﾞｷﾀﾞｲｻﾞ</名称_カナ><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称 /><住所>平恒460-8</住所><緯度>33.60558</緯度><経度>130.69154</経度><電話番号 /><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>基</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>1999/3/3</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>昭和６年頃，旧三菱飯塚炭鉱の施設として造られたと考えられます。巻上げ機台座とは，地下の石炭採取のために，人車の上げ下ろしや採取した石炭の搬出の際に稼動した巻上げ機を設置した台座のことです。台座は全面レンガ造りで，完全に残っているものとしては最大級です。町では町指定有形文化財（建造物）として案内板設置，保存整備工事を行いました。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="24"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>旧伊藤伝右衛門邸</名称><名称_カナ>ｷｭｳｲﾄｳﾃﾞﾝｴﾓﾝﾃｲ</名称_カナ><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>旧伊藤伝右衛門邸</場所名称><住所>幸袋300</住所><緯度>33.66185</緯度><経度>130.68661</経度><電話番号>0948-22-9700</電話番号><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>棟</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>2006/9/26</文化財指定日><利用可能曜日>月火木金土日祝</利用可能曜日><開始時間>9:30</開始時間><終了時間>17:00</終了時間><利用可能日時特記事項>12/29〜1/2除く</利用可能日時特記事項><説明>この邸宅は、明治30年代後半頃に、筑豊の著名な炭鉱経営者であった伊藤伝右衛門の本邸として建築されました。その後、大正時代初期、昭和時代初期に数度の増改築が行われています。敷地面積は約7,500u（約2,300坪）、建物延床面積は約1,020u（約300坪）あり、旧長崎街道に面して敷地を構え、高い塀を築き、西端部には昭和２年に移築された福岡市天神町にあった別邸（通称銅御殿）の長屋門があり、東端部には伊藤商店の事務所があります。住宅は正面の南棟、庭に面した北棟、両者を結ぶ繋棟、北棟の西側にある西棟の４棟と土蔵からなり、北側に池を配した広大な回遊式庭園から構成された近代和風住宅です。この邸宅は、明治時代末期から昭和時代初期にかけての最新、最高の建築技術が取り入れられた近代和風建築であると共に、筑豊には数少ない石炭産業の歴史を色濃く留める歴史的建築記念物です。さらに、著名な歌人・柳原白蓮が、伝右衛門の妻として約10年間住んだところでもあります。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="25"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>旧松喜醤油屋</名称><名称_カナ>ｷｭｳﾏﾂｷｼｮｳﾕﾔ</名称_カナ><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>旧松喜醤油屋</場所名称><住所>勢田730-1</住所><緯度>33.68692</緯度><経度>130.72426</経度><電話番号 /><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>棟</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>2001/5/23</文化財指定日><利用可能曜日>土日</利用可能曜日><開始時間>9:00</開始時間><終了時間>16:00</終了時間><利用可能日時特記事項 /><説明>旧松喜?油屋は、江戸時代から商いをしていた許斐家が、幕末から明治初期に建てた家屋です。明治13年（1880）から?油醸造を始め、当主の名にちなんで松喜?油と名づけました。昭和40年代に後継者が無く絶えましたが、町指定文化財として保存されています。醸造蔵などは既に無く、「舟天井」や「月見台」「箱階段」などに豊かな商家の面影が見られます。「大黒柱」に筑前竹槍一揆のきずあとがあります。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="26"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>明星寺関係資料</名称><名称_カナ>ﾐｮｳｼﾞｮｳｼﾞｶﾝｹｲﾘｼｮｳ</名称_カナ><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>飯塚市歴史資料館</場所名称><住所>柏の森959-1</住所><緯度>33.64305</緯度><経度>130.69702</経度><電話番号>0948-25-2930</電話番号><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>式</員数（単位）><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>明星寺</所有者等><文化財指定日>2008/3/31</文化財指定日><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>明星寺は比叡山延暦寺の末寺で、虚空蔵菩薩を本尊としています。開基の時期は明らかではありませんが、荒廃していた寺を聖光上人（1162〜1238）が再興し、鎌倉時代には大寺院として栄えていたようです。現在は、本堂（虚空蔵堂）のほか、一部を残すのみですが、毎年四月十三日には虚空蔵様まつりが行われて、多くの参拝客が訪れています。おまつりの時には、本堂に聖光上人の生涯や再建された五重塔を描いた掛軸、明星寺縁起など（平成20年に市指定文化財となっています）、地元で保存されていた資料が特別公開されます。</説明><URL /></row>
<row _id="27"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>スダレ遺跡出土品</名称><名称_カナ>ｽﾀﾞﾚｲｾｷｼｭﾂﾄﾞﾋﾝ</名称_カナ><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>飯塚市歴史資料館</場所名称><住所>柏の森959-1</住所><緯度>33.64305</緯度><経度>130.69702</経度><電話番号>0948-25-2930</電話番号><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>式</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>2014/4/16</文化財指定日><利用可能曜日>月火木金土日祝</利用可能曜日><開始時間>9:30</開始時間><終了時間>17:00</終了時間><利用可能日時特記事項>12/29〜1/3除く</利用可能日時特記事項><説明>土取り工事の際，甕棺墓が出土し，調査が行われました。木棺墓，甕棺墓を中心とした遺跡で，弥生時代中期の墓制の変遷を示す貴重な遺跡です。甕棺墓から検出された石剣（戈）の刺さった人骨は，石剣（戈）が実用品であったことを証明する資料です。また，木棺墓の近くから出土し，朝鮮半島にも類をみない特異な形態の「子持ち壺」は日本で唯一のものです。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="28"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>忠隈1号墳出土品</名称><名称_カナ>ﾀﾀﾞｸﾏｲﾁｺﾞｳﾌﾝｼｭﾂﾄﾞﾋﾝ</名称_カナ><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>飯塚市歴史資料館</場所名称><住所>柏の森959-1</住所><緯度>33.64305</緯度><経度>130.69702</経度><電話番号>0948-25-2930</電話番号><員数（数）>3</員数（数）><員数（単位）>点</員数（単位）><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日>2017/3/17</文化財指定日><利用可能曜日>月火木金土日祝</利用可能曜日><開始時間>9:30</開始時間><終了時間>17:00</終了時間><利用可能日時特記事項>12/29〜1/3除く</利用可能日時特記事項><説明>昭和29年水道揚水タンク設置の際発見されました。径約40ｍ，高さ５ｍを測る円墳で墳丘全体が割り石の葺石に覆われています。石室は長さ4.4ｍ，幅0.8ｍを測る竪穴式石室で６枚の蓋石が用いられていました。内部は粘土の出土状態から割竹形の木棺が置かれていたと考えられます。石室内から三角縁神獣鏡１面，獣形鏡１面，金銅製四葉座金具等が出土しています。
石室の形態，出土遺物から古墳時代前期に築造され，筑豊最古の古墳といわれています。古墳からは穂波が一望でき，また三角縁神獣鏡は筑豊唯一のもので，被葬者は穂波を中心とした周辺地域を治めた首長であったことがうかがえます。出土品は飯塚市歴史資料館に展示しています。</説明><URL /></row>
<row _id="29"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>曩祖八幡宮の黒田二十四騎図絵馬</名称><名称_カナ>ﾉｳｿﾊﾁﾏﾝｸﾞｳﾉｸﾛﾀﾞﾆｼﾞｭｳﾖﾝｷｽﾞｴﾏ</名称_カナ><文化財分類>市指定有形文化財</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称>飯塚市歴史資料館</場所名称><住所>柏の森959-1</住所><緯度>33.64305</緯度><経度>130.69702</経度><電話番号>0948-25-2930</電話番号><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>点</員数（単位）><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>曩祖八幡宮</所有者等><文化財指定日>2017/3/17</文化財指定日><利用可能曜日>月火木金土日祝</利用可能曜日><開始時間>9:30</開始時間><終了時間>17:00</終了時間><利用可能日時特記事項>12/29〜1/3除く</利用可能日時特記事項><説明>曩祖八幡宮の黒田二十四騎図絵馬は、現在知られる範囲で県内最大の黒田二十四騎図絵馬です。作者の式田春蝶は江戸時代末期から明治中期まで活躍した飯塚宿の町絵師であり、奉納者は江戸時代末期の飯塚宿の有力商人です。この絵馬は江戸時代末期における飯塚宿商人の文化活動や世相を伝えるとともに美術資料でもあります。飯塚市の江戸時代末期の歴史・文化を理解する上で重要なものであり、平成29年に市指定文化財となりました。</説明><URL /></row>
<row _id="30"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>嘉穂劇場主屋</名称><名称_カナ>ｶﾎｹﾞｷｼﾞｮｳｼｭｵｸ</名称_カナ><文化財分類>国登録有形文化財</文化財分類><種類>建造物</種類><場所名称>嘉穂劇場</場所名称><住所>飯塚5-23</住所><緯度>33.63662</緯度><経度>130.68716</経度><電話番号>0948-22-0266</電話番号><員数（数）>1</員数（数）><員数（単位）>棟</員数（単位）><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>嘉穂劇場</所有者等><文化財指定日 /><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>昭和６年に建設された歌舞伎劇場です。明治時代の古風な面影を残した劇場で、内部には廻り舞台や桟敷席などが設けられています。このように古い近代の劇場建築は全国に数箇所残っていますが、現在も営業が続けられている現役の劇場は、嘉穂劇場だけです。平成14年に市登録有形文化財となりました。</説明><URL>http://www.city.iizuka.lg.jp/rekishi/bunkazai.htm</URL></row>
<row _id="31"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>内野宿　御茶屋跡</名称><名称_カナ>ｳﾁﾉｼｭｸ　ｵﾁｬﾔｱﾄ</名称_カナ><文化財分類>その他史跡</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>内野3313</住所><緯度>33.53307</緯度><経度>130.63768</経度><電話番号 /><員数（数） xsi:nil="true" /><員数（単位） /><法人番号 xsi:nil="true" /><所有者等>個人</所有者等><文化財指定日 /><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>長崎街道は参勤交代の大名や長崎奉行などが往来する道でもありました。御茶屋とは、このような大名や長崎奉行が公用に利用する宿舎のことです。御茶屋跡は内野宿の街道筋から少し西に離れた所にあります。現在は水田となっています。</説明><URL /></row>
<row _id="32"><都道府県コード又は市区町村コード>402052</都道府県コード又は市区町村コード><都道府県名>福岡県</都道府県名><市区町村名>飯塚市</市区町村名><名称>高取焼初代八山の墓跡</名称><名称_カナ /><文化財分類>その他史跡</文化財分類><種類>その他</種類><場所名称 /><住所>中</住所><緯度>33.55619</緯度><経度>130.48564</経度><電話番号 /><員数（数） xsi:nil="true" /><員数（単位） /><法人番号>8000000000000</法人番号><所有者等>飯塚市</所有者等><文化財指定日 /><利用可能曜日 /><開始時間 /><終了時間 /><利用可能日時特記事項 /><説明>高取焼は、豊臣秀吉の朝鮮出兵の際、朝鮮に出陣した黒田長政に従って渡来した八山により開かれました。初代とその一統の墓は、市営白旗団地造成の際に改葬されました。その時に27点の陶磁器が墓から見つかっています。これらは平成13年に市指定有形文化財となりました。</説明><URL /></row>
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