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    [1,434281,1,"熊本県","高森町","阿蘇の文化的景観　\n根子岳南麓の草原景観","アソノブンカテキケイカン\nネコダケナンロクノソウゲンケイカン","文化的景観","Aso'scultuallandscape nekodake'sgrasslandlandscape","重要文化的景観","その他","根子岳南麓の草原景観","熊本県阿蘇郡高森町\n大字上色見","","","0967-62-0227",243,"2017-10-13 00:00:00","阿蘇中央火口丘群の東端に根子岳の南側斜面に位置する草原。","高森町の景観を代表する根子岳の威容と合わせて本町の景観を代表する景観地を形成している。東隣の中原牧野と並んで根子岳附近における草原-森林のユニットの関係性を一望できる草原である。"],
    [2,434281,2,"熊本県","高森町","高森のにわか","タカモリノニワカ","にわか","takamorinoniwaka","無形民俗文化財","芸能","","熊本県阿蘇郡高森町\n大字高森","","","0967-62-0227",243,"2019-03-28 00:00:00","高森風鎮祭の主要行事のひとつ。","「高森のにわか」の起源ははっきりしないが、風鎮祭が始まったとされる１７５２（宝暦２）年頃と言われている。町内の住民が身近な暮らしを題材に高森弁で演じるにわかは、夏の楽しみとして人々に享受されてきた。町内の青年たちによって組織された「向上会」が、町中心部の街頭でにわかを披露する際、馬車やトラックを改造した移動舞台の上で、場所ごとに異なる演目を披露する点も高森のにわかの特徴の一つである。毎年作品が作り直される一方で「道行き」や「落とし」と呼ばれる所作は定型化され、演者間で継承されている要素である。こうした高森のにわかの独自性も顕著にみられる。"],
    [3,434281,3,"熊本県","高森町","尾下菅原神社獅子舞","オクダリスガワラジンジャシシマイ","尾下の獅子舞","okudarisgawarasyrinesisimai","重要無形民俗\n文化財","芸能","","熊本県阿蘇郡高森町\n大字尾下","","","0967-62-0227",243,"1981-03-27 00:00:00","高森町大字野尻の尾下菅原神社に伝わる獅子舞。","大分県竹田市大字戸上の小園八幡社の氏子により明治十一年(一八七八）に尾下菅原神社氏子中に伝承され今日に至る。十月三日尾下菅原神社秋祭りの際に奉納される。"],
    [4,434281,4,"熊本県","高森町","峯の宿ばんば踊り","ミネノシュクバンバオドリ","ばんば踊り","minenosyukubannbaodori","重要無形民俗\n文化財","建造物","","熊本県阿蘇郡高森町\n大字中","","","0967-62-0227",243,"1981-03-27 00:00:00","高森町大字峯の宿部落に伝わる盆踊り。","約二百年前の寛政年間に、日向・高千穂・椎葉方面から伝承したものとされる。毎年盆の夜(八月盆)、初盆のある家の庭先で踊る。初盆がない時は、地区の集会所近くの広場で踊る。提灯を掲げた竿を中心に輪を作り、笛・太鼓の伴奏を伴った大夫くどきの歌詞に合わせて踊る。"],
    [5,434281,5,"熊本県","高森町","高森阿蘇神社並びに附属観音堂","タカモリアソジンジャナラビニフゾクカンノンゾウ","高森阿蘇神社","takamorishrinenarabinihuzokukannnonndou","有形文化財","建造物","高森阿蘇神社並びに附属観音堂","熊本県阿蘇郡高森町大字高森354-2","32.808493","131.118514","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","健磐龍命(阿蘇大明神)など三神を祀る。","社殿はもと後方の宮山にあったが、四百年程前に現在地に奉還され、現在の社殿は三百年ほど前の建築と言われている。阿蘇三十三カ所巡礼の番外となっており、七月三十日の神幸式には、飾馬数十頭が出て賑わう。"],
    [6,434281,6,"熊本県","高森町","祖母神社","ソボジンジャ","祖母神社","soboshrine","有形文化財","建造物","祖母神社","熊本県阿蘇郡高森町大字高森2551","32.828345","131.137839","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","阿蘇比咩大明神など十神を祀る。","初代阿蘇大宮(惟人命）の祖母にあたる祖母大明神(阿蘇都媛)が祭神。醍醐天皇の延長五年(九二七）、阿蘇大宮司友仲が教示のため立ち寄り、「この社は第一代阿蘇大宮司惟人の祖母である。これより祖母と呼ぼう」と言ったと云われている。境内には樹齢三百年以上の杉や銀杏の名木があります。"],
    [7,434281,7,"熊本県","高森町","上色見熊野座神社","カミシキミクマノザジンジャ","上色見熊野座神社","kamishikimikumanozashrine","有形文化財","建造物","上色見熊野座神社","熊本県阿蘇郡高森町上色見2619","32.854736","131.158569","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","伊弉諾命･伊弉冉命･石君大将軍を祀る。","参道には百基近くの灯籠が並ぶ。神殿後方の穿戸岩には、健磐龍命の従者鬼八法師が蹴破ったと云われる縦横十メートル以上の大風穴がある。"],
    [8,434281,8,"熊本県","高森町","色見熊野座神社","シキミクマノザジンジャ","色見熊野座神社","shikimikumanozashrine","有形文化財","建造物","色見熊野座神社","熊本県阿蘇郡高森町大字色見2649","32.845406","131.116834","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","伊弉諾命･伊弉冉命･石君大将軍を祀る。","享保七年(一七二二)「上色見熊野座と分離し、上色見穿戸社の分霊を奉置す」と社記にあるが、鎌倉時代前後より存在した由緒ある社地であったようである。神社横手より湧き出る石清水や杉の巨木は、森厳な趣を与えてくれる。"],
    [9,434281,9,"熊本県","高森町","草部吉見神社","クサカベヨシミジンジャ","草部吉見神社","kusakabeyosimishrine","有形文化財","建造物","草部吉見神社","熊本県阿蘇郡高森町大字草部2175","32.782762","131.218174","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","日子八井命など十二神を祀る。","日本三大下り宮の一つ。鳥居の下に社殿がある珍しい神社。百三十程の石段を降りた先に社殿があり、その裏手にはご神木の大杉が鎮座している。手水舎の右手の鳥居から下った先には、御塩井・吉ノ池があり、不老長寿の長命水と称される湧き水を飲むことができる。夏と秋には例大祭が行われ、七月三十一日の夏季大祭では神輿の御幸、十月十七日の秋季大祭では大神御手相撲が奉納される。両日共に「草部吉見神楽」が奉納される。"],
    [10,434281,10,"熊本県","高森町","穿戸羅漢山","ウゲトラカンサン","羅漢山","ugetorakanMountain","有形文化財","その他","穿戸羅漢山","熊本県阿蘇郡高森町大字高森3634-4","32.806595","131.127507","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","釈迦如来座像･観音像･十六羅漢像などを祀る。","十六体の羅漢像が安置されている風穴は風化作用によってできたといわれており、「阿蘇大明神弓を放たれ、鬼八法師がその矢を足蹴にしたため、健磐龍命に追われた鬼八法師が鬼八岩を蹴破り逃げた」という阿蘇神話が残っている。"],
    [11,434281,11,"熊本県","高森町","安楽寺跡観音堂","アンラクジアトカンノンドウ","安楽寺","anrakujikannondou","有形文化財","建造物","安楽寺跡観音堂","熊本県阿蘇郡高森町大字色見1702","32.845093","131.118587","0967-62-0227",243,"1976-09-14 00:00:00","本尊　十一面観音を祀る。","安楽寺跡は戸狩六地蔵の横、道沿いにある。阿蘇三十三カ所観音霊場の南郷地区では最初の十八番札所である。寺庵の内部には、欅寄木造の見事な観音像が安置されている。"],
    [12,434281,12,"熊本県","高森町","守妙山善応禅寺観音堂及び仏像","シュミョウサンゼンノウゼンジカンノンドウオヨビブツゾウ","守妙山善応禅寺観音堂","syumyousanzennouzennjikannondouoyobibutuzou","有形文化財","工芸技術","守妙山善応禅寺観音堂及び仏像","熊本県阿蘇郡高森町大字野尻","32.828531","131.264060","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","本尊　十一面観音を祀る。","本尊の十一面観音は文禄三年(一五九四年)に作られた。昭和五十四年に、石壇上約二アールの地、二間四面欅造り小堂が修理された。"],
    [13,434281,13,"熊本県","高森町","津留年之神社","ツルトシノカミシャ","津留年之神社","turutosinokamishrine","有形文化財","建造物","津留年之神社","熊本県阿蘇郡高森町大字高森146","32.809531","131.118587","0967-62-0227",243,"1976-09-14 00:00:00","高森阿蘇神社神幸式の一の御旅所で、阿蘇三の宮国竜神を祀る。","五穀豊穣を祈る農事の神として知られ、阿蘇神社のある所必ず年之神があり、「年」は春夏秋冬を表し、一年中の農事のことで年彌社ともいう。"],
    [14,434281,14,"熊本県","高森町","小倉原天満宮（小倉原菅原神社）","オクラバルテンマングウ（オクラバルスガワラジンジャ）","小倉原神社","okurabarutenmangu","有形文化財","建造物","小倉原天満宮（小倉原菅原神社）","熊本県阿蘇郡高森町大字色見","32.847874","131.138125","0967-62-0227",243,"2017-06-01 00:00:00","高森町色見にある。","小倉原は細川藩家臣柏原家、藩主細川忠利入国の際、小倉より随行した半沢・村上と上益城より来往した安方の三氏より成り、村社一個を有する。"],
    [15,434281,15,"熊本県","高森町","草部三郎神社","クサカベサブロウジンジャ","三郎神社","kusakabesaburoutujishrine","有形文化財","建造物","草部三郎神社","熊本県阿蘇郡高森町大字芹口穴迫","32.776427","131.218060","0967-62-0227",243,"2017-06-01 00:00:00","天彦命などを祀る。","三郎の辻にある。宏大な杉林の中、拝殿は仮造り。神殿は昭和四九年改修、総欅、重厚な流れ造り。細緻の彫刻がある。"],
    [16,434281,16,"熊本県","高森町","河原熊野座神社","カワラクマノザジンジャ","河原熊野座神社","kawarakumanozashrine","有形文化財","建造物","河原熊野座神社","熊本県阿蘇郡高森町大字河原","32.884700","131.235252","0967-62-0227",243,"2017-06-01 00:00:00","古来、出雲との交流を伺わせる神社。","速玉男命を祀る。長い参道、杉並木が特徴。社地域は２アールほどである。"],
    [17,434281,17,"熊本県","高森町","達磨大師画像","ダルマタイシガゾウ","達磨大師画像","darumataishiimage","有形文化財","美術工芸品","達磨大師画像","熊本県阿蘇郡高森町大字高森1809","32.820160","131.132621","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","含蔵寺に保管されている。","京都醍醐㊞三宝院の僧・真海和尚の作と伝えられている。含蔵寺の宝物である。"],
    [18,434281,18,"熊本県","高森町","出山釈迦画像","シュツザンシャカガゾウ","出山釈迦画像","syutsuzansyakaimage","有形文化財","美術工芸品","出山釈迦画像","熊本県阿蘇郡高森町大字高森1809","32.820160","131.132621","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","含蔵寺に保管されている。","土佐光信の作と伝えられている。土佐光信は土佐派の画家で、光長・光起と共に三筆と称せられた人物。含蔵寺の宝物である。"],
    [19,434281,19,"熊本県","高森町","岩神関所太政官布告板","イワガミセキショダジョウカンフコクバン","岩神関所太政官布告板","iwagamisekisyodasyoukanproclamationboard","有形文化財","その他","岩神関所太政官布告板","熊本県阿蘇郡高森町大字草部2283","32.782749","131.216950","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","「五榜の掲示」の第一札であり、草部吉見資料館に保存されている。","現在関所跡の家屋は取り払われ何もないが、昔は玄関正面に槍・刺股・袖がらみの道具を飾り立て、太政布告を杉柾の板木に墨書して掲げて肥後五十四万石の威風を示していたという。"],
    [20,434281,20,"熊本県","高森町","柏姫の手鏡","カシワヒメノテカガミ","柏姫の手鏡","kashiwahimenohandomirror","有形文化財","美術工芸品","柏姫の手鏡","熊本県阿蘇郡高森町大字高森1328","32.816093","131.123798","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","高森城主高森伊予守惟直の娘:柏姫が使っていたとされる。","蓬莱鏡二面で、室町時代の作。室町時代の作。"],
    [21,434281,21,"熊本県","高森町","高森阿蘇神社高千穂神楽","タカモリアソジンジャタカチホカグラ","高森阿蘇神社高千穂神楽","takamoriasoshrinetakatihokagura","無形民俗文化財","芸能","高森阿蘇神社高千穂神楽","熊本県阿蘇郡高森町大字高森409","32.808285","131.118528","0967-62-0227",243,"1976-09-14 00:00:00","往古から同神社に伝承。高千穂神楽の系統で、出雲系と伊勢系が混じっている。","神楽は長年月中絶していたが、昭和五十一年六月、地元南青年団員により復活した。「神おろし」「鎮守」「四方割」「柴引き」等三十三座あり、神幸式の先駆けを務めるための道切神楽もある。服装は素襖・烏帽子、扇と鈴を持つ舞から、太刀・御弊・鉢巻き・神面と移る等、優雅端正なる舞から勇壮な舞に移る。神前以外には不許可という不文律がある。"],
    [22,434281,22,"熊本県","高森町","吉見神社高千穂神楽","ヨシミジンジャタカチホカグラ","吉見神社高千穂神楽","yoshimishrinetakatihokagura","無形民俗文化財","芸能","吉見神社高千穂神楽","熊本県阿蘇郡高森町大字草部2175","32.783083","131.218060","0967-62-0227",243,"1976-09-14 00:00:00","往古から伝承されている。高千穂神楽系統で、勇壮な舞である。","服装は素襖・烏帽子から鉢巻・神面となる。鉢巻は、八尺位の紅絹を後頭部から前に廻し、前額部で締めて両方のこめかみ節で下から上に挟み、残りを垂らす。上古の「みづら」の形である。"],
    [23,434281,23,"熊本県","高森町","風鎮太鼓","フウチンダイコ","風鎮太鼓","huchindrum","無形民俗文化財","芸能","風鎮太鼓","熊本県阿蘇郡高森町大字高森409","32.808285","131.118528","0967-62-0227",243,"1982-03-24 00:00:00","高森阿蘇神社に古来より伝承された雨乞太鼓を中心として昭和四十年に「風鎮太鼓」と呼称。","高森阿蘇神社には、昔から「雨乞い太鼓」「風鎮め太鼓」があり、日照り続きもは宮山の頂上にて太鼓を打ち鳴らして祈願した。高森阿蘇神社伝承の大太鼓を中心として、中太鼓四・小太鼓二が円形に並べられ、鉢巻に法被姿の打ち手がこれに立ち向かい、「まわり打ち」から「乱れ打ち」へと進行する。調子は阿蘇の風を表現し、風を鎮め五穀豊穣を祈願するものである。"],
    [24,434281,24,"熊本県","高森町","色見熊野座神社神楽","シキミクマノザジンジャカグラ","色見熊野座神社神楽","sikimikumanozashrinekagura","無形民俗文化財","芸能","色見熊野座神社神楽","熊本県阿蘇郡高森町大字色見2649","32.845400","131.116761","0967-62-0227",243,"1985-09-20 00:00:00","法量：一.鎮守の舞　二.杉登　三.伊勢　四.獅子舞(荒神)","法量：一.鎮守の舞　二.杉登　三.伊勢　四.獅子舞(荒神)"],
    [25,434281,25,"熊本県","高森町","深水摂津介頼則の墓","フカミセッツノスケヨリノリノハカ","深水摂津介頼則の墓","hukamisettsunosukeyorigrave","史跡","その他","深水摂津介頼則の墓","熊本県阿蘇郡高森町大字高森1666","32.818487","131.128521","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","「高森城の戦い」で戦死した深水摂津の墓。","高森落城の折、薩軍の先鋒として来たり攻め、敵将津留大蔵と戦い討死したという。"],
    [26,434281,26,"熊本県","高森町","高森城跡","タカモリジョウアト","高森城跡","takamoricastletrace","史跡","その他","高森城跡","熊本県阿蘇郡高森町大字高森3536-2","32.818566","131.139424","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","永禄･天正年間、高森伊予惟居の居城のあった所で、東に山を負い西に南郷平野を控え景勝･要塞の地である。","高森町東外輪山麓、含蔵禅寺裏手の山から高森公園裏手の山を総称して城山と呼んでいる。高森城は別名「囲いの城」と呼ばれ、城主は高森伊予守惟居であった。"],
    [27,434281,27,"熊本県","高森町","村山城跡","ムラヤマジョウアト","村山城跡","murayamacastletrace","史跡","その他","村山城跡","熊本県阿蘇郡高森町大字高森3308","32.829959","131.136934","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","高森町村山祖母神社の北方の山一帯を城平と呼び、神社東南一帯を高森塚と呼んでいる。","阿蘇家の家臣村山能登守惟広とその子の丹波守家久の在城したところと言われている。村山城は阿蘇家二十四城の一つであり、南郷七城の一つである。"],
    [28,434281,28,"熊本県","高森町","柏塚 柏姫の墓・古沢元倫の墓","カシワヅカカシワヒメノハカ・フルサワゲンリンノハカ","柏塚 柏姫の墓・古沢元倫の墓","kashiwadukakashiwahimegrave hurusawagenringrave","史跡","その他","柏塚 柏姫の墓・古沢元倫の墓","熊本県阿蘇郡高森町大字高森1413","32.816868","131.117035","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","高森町西郊の墓地。","高森城主娘の柏姫の墓があるので柏塚と言われているが、また、菅尾・柏の城主柏民部大輔が高森落城の際に援軍に来てこの地で戦死したため柏塚という説もある。"],
    [29,434281,29,"熊本県","高森町","山村主殿父子の墓","ヤマムラトノモフシノハカ","山村主殿父子の墓","yamamuratonomohushigrave","史跡","その他","山村主殿父子の墓","熊本県阿蘇郡高森町大字高森1678-4","32.817638","131.127536","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","山村主殿義久と次男大学宗久の墓。","山村氏はもと豊前国山村の庄の地頭職であったが、後に豊後に移り、義久の時に高森伊予守の客将となった。大学宗久は、小学とともに高森落城の際に奮戦し討死した。この墓は、主殿父子の墓である。"],
    [30,434281,30,"熊本県","高森町","津留大和守の碑","ツルヤマトノカミノヒ","津留大和守の碑","turuyamatonokaminomonument","史跡","その他","津留大和守の碑","熊本県阿蘇郡高森町大字高森津留","32.809787","131.113709","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","「高森城の戦い」で戦死した武田大和守元賽(津留大和守)の碑。","碑には、津留大和守は武田大和守元實のことで、津留村に住み高森落城の際に討死。その墓は含蔵寺境内にあるが、後世に津留一族が大和守敬慕の余り建立した遙拝碑と伝えられている。"],
    [31,434281,31,"熊本県","高森町","津留大蔵の碑","ツルオオクラノヒ","津留大蔵の碑","turuookuramonument","史跡","その他","津留大蔵の碑","熊本県阿蘇郡高森町大字高森津留","32.811790","131.112106","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","｢高森城の戦い｣で薩摩軍の大将:深水摂津介を討ち取った津留大蔵の碑。","津留大蔵は武田大和守元實の長子で津留姓を名乗り、高森落城の際に親子奮戦。攻手の大将である敵将深水摂津介を討ち取った豪勇の士であり、後世津留村中建立したものである。"],
    [32,434281,32,"熊本県","高森町","高森手永会所跡","タカモリテナガカイショアト","高森手永会所跡","takamoritenagakaisyotrace","史跡","その他","高森手永会所跡","熊本県阿蘇郡高森町大字高森上町","32.816575","131.126237","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","江戸時代、高森村他十一ヶ村を併せて高森手永と呼び会所を高森町におかれた。","天和元年(一六八一年)、高森村の外に高森町を置き、二子石村を上下に、色見村を上下に分けました。会所は高森町に置かれ、その屋敷を「高屋敷」と呼びました。明治初年(一八六八年）より、寺子屋(高森学校）阿蘇南部高等小学校の敷地となり校舎が建てられた。"],
    [33,434281,33,"熊本県","高森町","高森手永出会所跡","タカモリテナガシュツカイショアト","高森手永出会所跡","takamoritenagasyukkaishotrace","史跡","その他","高森手永出会所跡","熊本県阿蘇郡高森町大字高森横町","32.814429","131.125255","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","手永会所は吉田村に移り、その出張所が出会所である。","はじめは高森に置かれていた高森手永会所は、後に吉田村に移ったため高森には出張所が置かれ、「出会所」と言った。"],
    [34,434281,34,"熊本県","高森町","高森村総庄屋及庄屋跡","タカモリムラソウジョウヤオヨビショウヤアト","高森村総庄屋及庄屋跡","takamorimurasoujouyaoyobisyouyatrace","史跡","その他","高森村総庄屋及庄屋跡","熊本県阿蘇郡高森町大字高森177","32.810043","131.113090","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","津留大吉氏･津留義親氏屋敷一体を内村屋敷または大蔵屋敷といい、高森手永・御惣庄屋の置かれたところと伝えられている。","津留大吉氏･津留義親氏屋敷一体を内村屋敷または大蔵屋敷といい、高森手永・御惣庄屋の置かれたところと伝えられている。"],
    [35,434281,35,"熊本県","高森町","永秀寺","エイシュウジ","永秀寺","ensyutemple","史跡","建造物","永秀寺","熊本県阿蘇郡高森町大字芹口1711","32.777229","131.212793","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","本尊：阿弥陀立像。江戸時代、後藤又兵衛基次の三男、後藤永秀が建立。","川嶺山、浄土真宗西本願寺派、仏厳寺松寺。慶長十六年(一六一一年）了現(後藤永秀)が開山した。"],
    [36,434281,36,"熊本県","高森町","円満寺","エンマンジ","円満寺","enmantemple","史跡","建造物","円満寺","熊本県阿蘇郡高森町大字矢津田高尾野","32.855258","131.176330","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","明暦二年(一六五六年）、明益により開山された。","清栄山、浄土真宗西本願寺、仏巌寺末寺。本寺は元清栄山にあり、天台宗寺院跡に草創、後に高尾野に移転したという。現在の本堂は文化一一年(一八一四年)改建。"],
    [37,434281,37,"熊本県","高森町","岩神下番所跡","イワガミシモバンショアト","岩神下番所跡","iwagamibansyotrace","史跡","その他","岩神下番所跡","熊本県阿蘇郡高森町大字永野原取首","32.768608","131.237911","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","高森町草部取首、熊本県と宮崎県の県境にある。","徳川時代より明治初年まで番所を置き旅人の物資を調べた。太政官布告を掲げ、肥後藩の威風を示したという。現在は番所の家屋も取り払われて畑地となっている。"],
    [38,434281,38,"熊本県","高森町","草部吉見山陵","クサカベヨシミサンリョウ","草部吉見山陵","kusakabeyosimihill","史跡","その他","草部吉見山陵","熊本県阿蘇郡高森町大字草部2162","32.782627","131.221070","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","吉見大神「日子八井命」の神陵である。","この山稜を俗に御明様(おあきさま)という。この神陵に三つの物忌があり、今に至るもこの物忌が守られており、もしこれを犯せば立所に兇事ありと伝えられている。"],
    [39,434281,39,"熊本県","高森町","社倉城跡","シャクラジョウアト","社倉城跡","syakuracastletrace","史跡","その他","社倉城跡","熊本県阿蘇郡高森町大字草部板井迫","32.796380","131.221954","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","普通「城山」と呼ばれており、山の神を祀る(神体はさかき)祭は春秋二回山麓の幸子部落が行っている。","普通「城山」と呼ばれており、山の神を祀る(神体はさかき)祭は春秋二回山麓の幸子部落が行っている。"],
    [40,434281,40,"熊本県","高森町","中原城跡","ナカハラジョウアト","中原城跡","nakaharacastletrace","史跡","その他","中原城跡","熊本県阿蘇郡高森町大字芹口34-1","32.773872","131.225653","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","城主は工藤常陸守宗英。後に、甲斐監物の居城となったと伝えられている。","城主は工藤常陸守宗英。後に、甲斐監物の居城となったと伝えられている。"],
    [41,434281,41,"熊本県","高森町","色見六地蔵","シキミロクジゾウ","色見六地蔵","sikimisixjizo","史跡","工芸技術","色見六地蔵","熊本県阿蘇郡高森町大字色見1702","32.842432","131.118936","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","文明年間(一四六九～一四八七）、応仁の乱の渦中に建立。灯籠型の六地蔵幢である。","文明年間に建立されたもので、当時の日本では天下をあげて応仁の乱の渦中にあり、九州の各守護大名はその何れかの戦雲の中に紛れていた。そのような不幸な時代、村の庶民達はよりよき平和な時代を夢に託しながらこの六地蔵を建立したものだろう。"],
    [42,434281,42,"熊本県","高森町","洗川妙見社","ソソガワミョウケンシャ","洗川妙見社","sosogawamyoukenshrine","史跡","建造物","洗川妙見社","熊本県阿蘇郡高森町大字上色見2115-1","32.865461","131.172637","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","妙見菩薩が祀られている。","その昔、阿蘇大明神が日向の宮から阿蘇の宮に向かわれる途中、草部吉見に一泊され、次いで洗川に一泊された。目の前の岩清水で汗に汚れた服を洗ぎ、掛干に干された。その後、村の人々が、この岩清水を万病の薬として瓶に詰めて持ち帰った。人々はこの泉のほとりに社を建てた。部落名の洗川・掛干はこれより始まる。"],
    [43,434281,43,"熊本県","高森町","津留観音堂","ツルカンノンドウ","津留観音堂","turukannoutemple","史跡","工芸技術","津留観音堂","熊本県阿蘇郡高森町大字津留924","32.828531","131.264060","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","阿弥陀三尊が祀られている。","仏像は木造で、清栄山から移したものと伝えられている。"],
    [44,434281,44,"熊本県","高森町","野尻川上六地蔵","ノジリカワカミロクジゾウ","野尻川上六地蔵","nojirikawakamisixjizo","史跡","工芸技術","野尻川上六地蔵","熊本県阿蘇郡高森町大字野尻川上","32.834749","131.253032","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","正徳六年(一七一六年）、野尻清右エ門尉是忠が建立した。","地蔵菩薩は、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上の六道のあらゆるものを救護する仏。野尻清右エ門尉是忠が救世安民のため建立したものと言われている。"],
    [45,434281,45,"熊本県","高森町","河地下番所跡","カワジシモバンショアト","河地下番所跡","kawajisimobansyotrace","史跡","その他","河地下番所跡","熊本県阿蘇郡高森町大字野尻1505","32.826520","131.264088","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","(下)番所とは、山や海からの侵入を監視したところ。","野尻の河地にあり、附近の人はこの地を園と呼んでいる。野尻村津留は宮崎・大分・熊本県境にあり、この番所は重要な位置を示していたものと思われる。"],
    [46,434281,46,"熊本県","高森町","千人塚","センニンヅカ","千人塚","sennninmound","史跡","その他","千人塚","熊本県阿蘇郡高森町大字尾下多々野","32.856617","131.254751","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","天正年間大友宗麟と島津との合戦に討死した将士の墓であると云われている。","野尻・片山から尾下・多々野にむかう左手山林中に墓石がある。天正十四年（一五八六年）の大友宗麟と島津義久との合戦で戦死した人々の墓であると言われている。"],
    [47,434281,47,"熊本県","高森町","川上岡山城跡","カワカミオカヤマジョウアト","川上岡山城跡","kawakamiokayamacastletrace","史跡","その他","川上岡山城跡","熊本県阿蘇郡高森町大字野尻546","32.839858","131.256684","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","大分県営ダムの上流にあたる大谷川に沿う要害の地で、俗に城山と呼んでいる。","「野尻惟則翁事蹟」という本によれば、足利又太郎という人が川上に城を築いて岡山城と呼び、住まいを宮園と呼んだと記されている。"],
    [48,434281,48,"熊本県","高森町","日の丸塚","ヒノマルヅカ","日の丸塚","hinomarumound","史跡","その他","日の丸塚","熊本県阿蘇郡高森町大字津留472","32.829884","131.267217","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","足利又太郎の墓と伝えられている。","台座の四面に日の丸が朱で塗られているので、人々は「日の丸塚」と呼んでいる。川上城主だった足利又太郎の墓と伝えられている。"],
    [49,434281,49,"熊本県","高森町","甲斐有雄翁碑","カイアリオオウヒ","甲斐有雄翁碑","kaiariooumonument","史跡","工芸技術","甲斐有雄翁碑","熊本県阿蘇郡高森町大字津留・多々野","(津留)32.828709                                (多々野)32.854142","131.264057     131.253214","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","大字津留にある甲斐有雄翁の頌徳碑。","甲斐有雄氏は文政十二年(一八二九年）尾下の広戸の農家に生まれた。予のため人のために「道標」を作ることを決意し、高森町内はもちろんのこと遠くは宮崎県、大分県にも建て続け、その数は約千九百基以上である。"],
    [50,434281,50,"熊本県","高森町","上園古墳群","カミノソノコフングン","上園古墳群","kamisonooldburialmoundgroup","史跡","その他","上園古墳群","熊本県阿蘇郡高森町大字高森1090","32.824862","131.134982","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","西暦五百年～六百年(古墳時代～飛鳥時代)の古墳と推定される。","横穴式古墳でもなく装飾古墳でもなく、副葬品その他から推定すると後期古墳時代と思われる。"],
    [51,434281,51,"熊本県","高森町","豆塚古墳","マメヅカコフン","豆塚古墳","mamedukaoldburialmound","史跡","その他","豆塚古墳","熊本県阿蘇郡高森町大字高森2118","32.825000","131.134328","0967-62-0227",243,"1976-09-14 00:00:00","標高五四二メートル、陸地測量部の三角点に位置する前方後円墳と思われる。","阿蘇神話によれば、太古に南郷谷が湖底であった頃、阿蘇島に穀物を運ぶ船が嵐に遭って豆・米が水底に沈んで山となったという。その土を掘れば蝸牛がでて、その年は不作になるという。"],
    [52,434281,52,"熊本県","高森町","米塚古墳","コメヅカコフン","米塚古墳","komedukaoldburialmound","史跡","その他","米塚古墳","熊本県阿蘇郡高森町大字色見","32.848556","131.143639","0967-62-0227",243,"1976-09-14 00:00:00","高森町大字高森にある円墳。豪族の墓と言い伝えられている。","阿蘇神話によれば、太古に南郷谷が湖底であった頃、阿蘇島に穀物を運ぶ船が嵐に遭って豆・米が水底に沈んで山となったという。その土を掘れば蝸牛がでて、その年は不作になるという。"],
    [53,434281,53,"熊本県","高森町","長塚古墳","ナガツカコフン","長塚古墳","kagatukaoldburialmound","史跡","その他","長塚古墳","熊本県阿蘇郡高森町大字色見","32.835111","131.121333","0967-62-0227",243,"1976-09-14 00:00:00","高森町大字高森にある。豪族の墓と言い伝えられている。","高森町大字高森にある。豪族の墓と言い伝えられている。"],
    [54,434281,54,"熊本県","高森町","大村古墳","オオムラコフン","大村古墳","oomuraoldburialmound","史跡","その他","大村古墳","熊本県阿蘇郡高森町大字上色見2419","32.858014","131.131749","0967-62-0227",243,"1976-09-14 00:00:00","古墳時代後期のものと推定され、箱式石棺等が出土している。","個人所有の畑地から、過去数基の箱式石棺が発見された。内部は朱で装飾され、石板と石板のつなぎ目は外部からの侵入を防ぐために粘土で精巧に塗り塞がれている。いずれも数体の遺骨が交互に埋葬されており、九州の古墳に多い家族葬の形式であると思われる。"],
    [55,434281,55,"熊本県","高森町","下切権現堂(朱詰の塚)","シタギリゴンゲンドウ（シュヅメノツカ　　）","下切権現堂(朱詰の塚)","shitagirigongentemple","史跡","工芸技術","下切権現堂(朱詰の塚)","熊本県阿蘇郡高森町大字下切","32.792668","131.235858","0967-62-0227",243,"1976-09-14 00:00:00","朱色で塗られた石棺が納められている塚があるという言い伝えがある。","朱色で塗られた石棺が納められた塚があると言われているが、現在その形跡はなく、建物の床下から朱色を塗った石の破片が数枚見つかっている。"],
    [56,434281,56,"熊本県","高森町","土行松古墳","ドギョウマツコフン","土行松古墳","dogyoumatsuoldburialmound","史跡","その他","土行松古墳","熊本県阿蘇郡高森町大字草部2280","32.782839","131.216749","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","旧草部南部小学校の裏手にある。以前は横穴古墳であったと想像される。","以前は横穴古墳であったと想像されるが現在はその形跡はない。伝説によれば、山伏が穴を掘り、杯の水を持って中に入り口を閉ざして修行をしたところから「土行松」と呼ぶようになった、と言われている。"],
    [57,434281,57,"熊本県","高森町","千穂坂馬頭観音像","チホザカバトウカンノンゾウ","千穂坂馬頭観音像","chihozakabatoukannonimage","史跡","工芸技術","千穂坂馬頭観音像","熊本県阿蘇郡高森町大字高森3711-1","32.796985","131.125272","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","正徳五年(一七一五年）、阿蘇家家臣今村源助惟末が建立した。","高森町別所池畔から蘇陽町(現山都町）へ通じる中坂峠旧道は難所であり、七合目の尾根続きに等身大の馬頭観音の石像がある。中坂峠を上下する牛馬の難渋を見て、その安全を祈って正徳五年(一七一五年）に阿蘇家家臣今村源助惟末が建立したものである。"],
    [58,434281,58,"熊本県","高森町","御成山","オナリヤマ","御成山","onarimountain","史跡","その他","御成山","熊本県阿蘇郡高森町大字高森3536-2","32.805177","131.138971","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","高森町から蘇陽町(元山都町）に通じる外輪山八八二メートルの山を御成山という。","太古、景行天皇が熊襲征伐の時にこの頂上にお成りになったのでこの名があると伝えられている。大正の末期まではこの峠の七合目に七合の小屋があり、附近に山伏塚や獅子口等がある。阿蘇五岳・南郷谷を一望する景勝の地である。"],
    [59,434281,59,"熊本県","高森町","御矢石","オヤイシ","御矢石","oyaishi","史跡","その他","御矢石","熊本県阿蘇郡高森町大字高森338","32.810105","131.120504","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","高森阿蘇神社南方にある大石。","阿蘇神話によると阿蘇大明神宮居を定めんと矢を放たれ、その矢が当たった後があり、雨降っても水堪らずと伝えられている。"],
    [60,434281,60,"熊本県","高森町","了誓上人父子の墓","リョウセイショウニンフシノハカ","了誓上人父子の墓","ryouzeisyouninhushigrave","史跡","その他","了誓上人父子の墓","熊本県阿蘇郡高森町大字高森1328","32.816070","131.123826","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","高森町西蓮寺境内にある、了誓上人(山村時行)とその父山村宗時の墓。","了誓上人(山村時行)の父、山村宗時は、高森城合戦で戦死した。了誓上人(山村時行)は、高森城合戦で討死した諸氏の菩堤を弔うため慶長十九年(一六一四年)に西蓮寺を開基した人。"],
    [61,434281,61,"熊本県","高森町","含蔵寺","ガンゾウジ","含蔵寺","ganzoutemple","史跡","建造物","含蔵寺","熊本県阿蘇郡高森町大字高森1809","32.820160","131.132621","0967-62-0227",243,"1972-01-31 00:00:00","起雲山、前曹洞宗。鎌倉時代の創建と伝えられ、代々高森城主の菩提寺であった。","天正年間の高森城の戦いで荒れ果てた寺を、文渓和尚が曹洞宗の寺として再建した。現在の本堂は独箭卓立が享保九年(一七二四年)建立。"],
    [62,434281,62,"熊本県","高森町","了蓮寺","リョウレンジ","了蓮寺","ryourentemple","史跡","建造物","了蓮寺","熊本県阿蘇郡高森町大字上色見1673","32.858051","131.157114","0967-62-0227",243,"1976-09-14 00:00:00","浄土真宗東本願寺派。慶弔十八年(一六一三年）、善西により開山された。","善西(俗称佐伯右獄)は上色見の人。戦国大名豊後大友宗麟の重臣で「佐伯氏の一葉」と言われた。"],
    [63,434281,63,"熊本県","高森町","高森殿杉","タカモリドンノスギ","高森殿杉","takamoridonnocedar","天然記念物","その他","高森殿杉","熊本県阿蘇郡高森町大字高森3341","32.823595","131.143923","0967-62-0227",243,"1976-09-14 00:00:00","樹齢四百年以上といわれる二本の大杉。","南外輪山・清栄山麓・黒岩峠に通ずる虎御前原の右下方に、樹齢四百年以上と言われる大杉が二本ある。高森城主高森伊予代守惟直及び近侍三森兵庫守能因の自刃の地と伝えられている。"],
    [64,434281,64,"熊本県","高森町","白水の滝","シラミズノタキ","白水の滝","shiramizuwaterfall","登録記念物","その他","白水の滝","熊本県阿蘇郡高森町大字尾下下山","32.880948","131.269289","0967-62-0227",243,"2007-07-26 00:00:00","大分県境に位置する滝。","この白水の滝の特徴は、岩間からほとばしり出る湧水にあり、滝の高さは三十八メートル、落差は二十四.五メートルある。"]
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